破月エチュード



「お前昨日の夜、誰といた」
「…それ先輩に関係ないですよね」


深夜を過ぎたバーは人気があまりない。自分は仕事の後輩を連れてカウンターの隅に座り、焼酎の水割りを呑んでいる。その隣で後輩は何かを呑んでいた。女性が好んで呑みそうな鮮やかな色をしているお酒、いや、ジュースみたいにも見える、フルーツカクテル。

聞いた事は関係、ない、とは言いきれなかった。昨日の夜、電話しようかしまいかで迷って結局電話しなかったのだ。若いから女と遊んでいるんだと思っていたから。でも今日職場の女性陣が「女に興味ないのかな」とコイツの為に施された化粧を落としながら会話しているのを小耳に挟んだのだ。真偽を確かめてみる。ついでに昨日の夜はどうだったのか。


「お前、女にキョーミないんだろ」


自分がそう聞けばソイツの動きが微かに止まったのを感じた。


「…先輩酔ってますね、もう帰ったらどうですか」


それにまだ明日仕事ありますし、ソイツは流し目に自分を捉えた。図星だったのだろうか。恐らく両方ともそうだったのだろうか。思考はぐるりと一回転した。と言うかふざけるな。俺はお前の先輩なんだぞ。

わざとらしく焼酎を流しこんだ。一瞬頭に糸が張り、吐き出した息が熱を帯びてきた。見兼ねたソイツが小さく何か言った。ばかめ。俺は酔ってないから今の愚痴は余裕で聞こえてんだよ。


「駅まで送りますから…」
「……てか俺の質問に答えろよ」


薄暗い照明が雰囲気を煽りたてるようだった。目が合い、逸らされた。そして飲みかけのグラスに口づけをすようにちびっとだけ飲む。いやらしい呑み方だった。ソイツは「いいじゃないですか、別に」グラスに口付けて「先輩には関係ないですよ」とまたグラスに口付けをした。確信に変わった。

驚きはしなかった。自分の予想が的中して鼻の穴を広げたくらいだ。自分も焼酎を通す。独特の風味に喉を鳴らした。


「いや、別に俺は偏見ないからさ」
「……はい」


視界の端にある手が目に止まった。シミひとつない綺麗な手だ。女らしい透き通った肌色をしていて溜め息が漏れそうだった。汗をかいたグラスをカウンターにおいて、濡れた手で置かれたソイツ手を握ってみた。ソイツの手は温かみがある。皮膚の下を流れる熱い血潮が心臓が脈打つ度にジンとしているのが伝わってくる。違う。これは俺が、か。


「……先輩、帰りましょう」
「…もう少し」


動揺しないんだな。本当に男にそうゆう意味で抵抗がないんだなと思った。指の隙間を指で埋めてみたら、何故だか無性にこっ恥ずかしくなってきた。手を離して酒を飲み干す。気持ち悪い、と自分に悪態をついた。


「センパイ…」
「悪い、いま多分酔ってる」


頭を抱えながら呑太い息を吐いた。カウンターにうつ伏せて視界を閉ざした。自分が酔っているのかさえわからない。思考が鈍い。脈もあがってる。たいおんも、あがってる。


「先輩…、センパイ」
「…あー、ここは俺が出すから」


ひらひらと手だけを泳がせた。二杯だけだから安いものだ。うつ伏せたままソイツが帰るのを待とうと思った。もう、放っておいてくれ。

待ったところでソイツは帰るそぶりを見せない。腕越しで隣を見れば澄ました顔でカクテルに口付けをしていた。うわ、目が合った。


「ンだよ…さっさと帰れよ」
「先輩、昨日の夜なんかあったんですか?」


心臓が跳ねた。


「先輩、今日仕事でミス目立ってませんでしたか?…コーヒーこぼしてさっきまで一緒に書類の作り直してたじゃないですか…今だって、らしくないです」


らしくない、だと。日頃の俺なら直ぐ様胸ぐらを掴んで怒号を耳元で響かせていただろう。でもいくら今日迷惑をかけたからと言ってその理由を言う必要はない。昨夜起こった自分の恋愛事情を後輩に曝して何になるんだと言うんだ。だが今は夜だからか、元気がないからか、酒の所為にしておくが、確かにその通りだ。


「あー、まあ、そうかもな」
「…俺、そんな先輩一人に出来ません。それにさっき駅まで送ると言ったのでそうさせていただきます」

「いいよ、んな事」
「いいえ、決めた事なので」


ならば盛大に甘えてやろうと思った。すべては酒の所為にしてしまって。火照った体を起き上がらせるとよろめいた。血液が上手く循環されていないからか、これも酒の所為にする。

「センパイ、大丈夫じゃないじゃないですか」ソイツはさりげなく肩に手を回してきた。おっきくて男らしい手が厭らしい。見た目との違いに違和感があった。女に好かれる奴なのに男が好きだなんて涙が出でくる話だ。


「ね、センパイ…」


酷く甘い声に聞こえた。囁くように耳元でわずかに鼓膜を震わせてきた。「今日はこのまま俺ん家に泊まっていってくださいよ」ソイツは言った。擦れた声が妙に近くて、甘い臭いと熱を感じた。どうせ帰ったら一人なんだし、いま家に帰ると本当に一人なんだと認識して虚しくなるだけだし、いま酒で酔っているし。


「すまん、そうさせてくれ…」


カウンターに二千円だけ置いてソイツにもたれかかりながらバーを後にした。落ち着いたネオン街の灯りの残光に、ただただ酔い痴れていたかっただけだった。





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