ストロベリーアイス
「しかし、あつかったねー」
「そうですねー」
今日は1日中ずっと、グツグツと血が沸騰するような暑さだった。汗ばんだ身体にシャリが貼りついていて、気持ち悪かった。いいや、それより前から、だったのかもしれない。道理で。
「──そう言えば今日、夢見たんだ」
仕事も一通り終わり、なんだか真っ直ぐ家に帰りたくなくて、無理を言って部下の家に上がり込んだ。
電気を付けるのとほぼ同時にエアコンが稼働しだした。まだ効果はない。「あっ、そこら辺で適当に座って下さい」とテレビの前にあるソファ辺りを指されて、「どうも」と一言。
グルリと部屋を見渡し、ネクタイを緩めながらソファに座った。男の一人暮らしの割りに部屋は片付いていて、性格が出ているなと思った。
「んで課長、夢ですか」
あまり興味がなさそうな返事をするものの、表情はにこやかな部下。俺と同じ干支で、一昨年から俺の下で働くようになったのだが、愛想がよくて営業回りが得意なコイツは、なかなか優秀だ。
俺はさっき買ってきたばかりのアイスの蓋を外した。ビールよりも甘いものが欲しかったから、ここに来る前に寄ったコンビニでカップのアイス。無難なバニラではなく、ストロベリーを選んだのは何となく。
カップを目の前の簡易テーブルに置いて、ほんのり溶けたアイスが蓋の裏についていたから、思わず癖で口元に近づけていた。
その時にソイツと目が合って、動きが一瞬、止まる。
「あ…すまん、」
恥ずかしくなって目を伏せ、慌ててコンビニの袋から木べらを取ってからその蓋を放った。
「分かります、やりますよね、ヨーグルトとかも」
はいどうぞ、と氷の入った水を差し出され、ニコリ笑われた。
フォローのつもりだったのだろうか、よく分からないがアイスを口に含む。
冷たい。それに滑らかで、甘い。当たり前だ、それが売りのアイスだから。体温で溶けていくそれを舌先で転がして、左手から伝わる冷たさに、俺も微笑んだ。
「人前でやるもんじゃないよな、」
「別に、いいじゃないですか」
「ははっ、まさか」
「んで、どんな夢見たんですか?」
話の切り返しが早いな、と思いながら、俺は「あぁ、」とアイスを含んだ。ゆるゆる、眼球を合わせて、それからアイスに落として笑った。
「夢に、君が出て来たんだよ、」
「あ……俺ですか」
「それが、気持ち悪い内容で」
「えぇー?何ですかそれ」
思い出してヘニャリと笑った。ソイツは俺の左側の足元に座って、ソファの下に寄りかかってペットボトルのまま、水を飲んでいる。
「君が俺にキス、したんだよ」
かすかな記憶を辿って、からかうように笑いながらアイスを食べた。
確かにあれは気持ち悪い夢だった。
体温とか感触とか脈動とかが、自棄にリアルで、死ぬんじゃないかってくらい恥ずかしかった。コイツの整った顔が目の前にあって、息を躊躇った夢の中の自分。
「な?気持ち悪いだろ? ──でもなんか、ちょっと可笑しかったから、…なんか、ちょっと思い出してよ」
アイスをまた口に入れた。さっきより溶けていて、口当たりがもっと良くなった。
──何ですかそれ。止めてくださいよ、そんな夢、見ないでください。これから夢に出てきたら出演料取りますからね。って。
「………ん?」
アイスを食べすすめていても、ソイツから思った通りの反応が無くて、無神経に傷つけてしまったのだと察して、それを味あわずに飲み込んだ。
やわらかく、冷たいそれは、喉を突き刺し、息を苦しめた。
「………課長、それ、」
言わないほうが良かったな、と今更の後悔が空気となり全身に体当たりしてきた。
「ごめんごめん、冗談だよ冗談」
合わす顔がなくて、ははっ、と渇いた声で笑って、溶けていくストロベリーを頬張る。
「ははっ、可笑しな夢見ますねー」
削られていくアイスのカップの中を見つめていたら、笑みを含んだ声が耳に触れて、ちょっとだけ安心した。視線を横に流したら、パチり、目が合って、ふはっ、て笑われた。
だけど、ほんのり残った、モヤっとした、違和感。ストロベリーのピンクじゃなくて、なんか、くすんだ色の何か。
「まぁ、ジョーダン、なんだけどね」
急に背もたれに寄りかかっているのが、似合わないと思って、浅く座っていた、ちゃちな木べらでアイスを掬って口に隠した。
「でも、いくら夢でも気持ち悪いって言われたくないですねぇ」
ソイツは俺の隣に座ってきたから、ソファはほんのちょっとだけ左に傾いて、心臓にイタズラされた気になった。
「だから、冗談だから」
「冗談だから、」
「ん?」
「冗談だから、なんですか?」
すごく利口そうな顔をして、ぐぐっ、と顔を寄せてきたソイツは、口元をゆるめて俺を困らせた。
あちらこちら目配せをして、分からなくなった。冗談は苦し紛れに言ったもので、見た夢は本当で、本物はどこにもなくて、目の前にある顔の唇を意識してしまって、もう駄目だった。
「そう怒るなって、…な?」
肩を3度叩いて、ははっ、と笑えば、ソイツにその手を取り上げられて、「あっ」と言う間に視界が何かに覆われて、鼻がやわらかい何かに当たって、そのまま唇が何かに触れた。
ち、ゅ。と可愛い音がして、ゆっくり何かが離れていく。それはまるで、夢のようで。
「これも……気持ち悪い、ですかね?」
凜とした表情の、彼が、吐息の熱が伝わるような、近くに、あって、だけど夢みたいな感覚は全くなくて、とにかくよく分からない感じで、むしろこれが夢なんじゃないかって思ってきた。
「…課長?どうですか?」
「へ?……な、にが?」
持っていたアイスのカップが傾いていたみたいで、太ももに溶けたアイスが垂れて、身体が跳ねた。
「いや、ちょっと、まて、え?」
「…課長、正夢になりましたけど、」
「え?お、おぅ、そう、みたいだな」
「……課長?」
パチパチと瞬きの数が多くなり、捕まれていた手首が、ゆるりと離され、これが現実だと言うように、ぎゅうと、手を握られた。
それは夢ほど、恥ずかしくなくて、案外あっさり事は進んで、キスされて正夢になった事に驚いたものの、気持ち悪いと思っていない自分に戸惑いが隠せないでいて、ほんわかとした気持ちになっていた。
「えっと…、」
「…な、んですか」
グワンとエアコンの稼働音。アイスは甘い液体になって、相変わらずスラックスを汚す。どうしようもなくて、ぎくしゃく眼球を動かした。
「……夢と、ぜんぜん、ちがうな」
アイスがどうなったのかは分からないけど、目蓋をわざと閉じてみて、夢の感覚を思い出そうとした。
「…夢の続きでもみますか、一緒に」
冷たいのに、気持ち悪くなくて、熱いのに、気持ち良くて、夢と現実の隙間にいるのかと思ったけれど、ストロベリーの甘い香りが鼻をくすぐっているから、なにも考えず、ピンクに染まったままがいい。