雛鳥の苦悩
「おい桃井ー」
ぼうっと気を抜いていた所に名前を呼ばれ、驚いた私は反射的に振り向いた。
「っうぉ!?」
「っ!」
振り向くと私のすぐ目の前には、私の名前を読んだ彼の顔が。
そして、次の瞬間に、彼は慌てたように一歩引いた
面倒くさいので簡潔に言おう。キスをしそうになった。
彼が驚いた声をあげた理由はこれだ。
私は女子にしては身長が高い。男子よりも高いなんてまれにあること。
普通に振り向いても今まで何も問題なかった。
だからいつも通り振り向いたんだ。彼ら男子が成長期である事を忘れて。
成長期とは恐ろしい。
入学当初は、私の目の高さほどだった彼の身長が、今では私と同じがそれ以上にまで伸びているのだから。
でも危ないところだった。
今時の中学生は色々と早いから実際のところどう分からない。でも今、林檎のように真っ赤に頬を染めている彼は、まだ経験はないのだと思う。
私がファーストキスの相手だなんて可哀想過ぎる。この上ない人生の黒歴史になってしまうだろう。
でも良かった。ギリギリセーフで彼のファーストキスを守ることができた。
顔の高さが同じくらいだと話しやすいという利点があるけれど、こんなリスクがあっただなんて考えてもいなかった。
今後は気を付けないとな。
私は「ごめん」と謝ってから、いまだに真っ赤な彼に用件を聞いた。
どうやら我が書道部、かっこ時々剣道部の顧問である山田太郎センセーに、「桃井にプリント渡しといて〜」と頼まれたらしい。
あの人のことだ。放送で私を呼び足すのも面倒くさくて、たまたま同じクラスだった彼を見つけて頼んだのだろう。
心の中でタローちゃんにため息をつきながら、私は彼に「ありがとう」といってそのプリントを受けとった。
それとほぼ同時だった。
「ナマエちん〜」
『な、…ぶっ』
背後から気だるそうな声がして、私は「なに?」と、その声の持ち主の名前を呼びながら振り向こうとした。
しかし、私が振り向くと、そこには紫原がいて、彼の胸に顔がぶつかった。
不覚もマヌケな声が出てしまった。
少し恥ずかしくなって顔に熱が集まり始めた。
ぱっと顔をあげて紫原の顔を見ると、そこには不機嫌そうに眉間にシワを寄せた紫原がいた。
私と目が合うと紫原は少し強めな口調で言った。
「お菓子」
それから紫原は私の手首を掴んで、ズカズカと歩き、私の腕を引いた。
なんだ良かった。怒っていた、というより私がぶつかったことで紫原の気分を害してしまったわけではないようだ。
ほっとすれば、笑いが込み上げてきた。
そんなにお菓子が食べたかったのか。可愛いやつめ。
私はスクスクと笑いを溢しながら紫原に着いていった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
………最近気になるというより、不思議に思うことがある。
「実験とかめんど〜」
『同じ班なんだからちゃんとやってよねー』
「知っているとは思うが授業態度も成績の評価対象だからな。」
「ん〜………」
唯と赤司と紫原と私の四人で教室移動をしているときはまぁ、私のとなりに唯がいるから仕方ないと思う。
ただ、二人で歩くときはどうなのだろうか。
「──んでね〜」
『それで?』
「それがね〜 」
部活とかなんとかで唯と赤司がいないとき、私と紫原の二人で歩きながら喋るときだ。
いつからだろう。
紫原は私の隣を歩かなくなった。そしていつも私の後ろを着いて歩くようになった。
今まで確かに大きな赤ん坊だと思ったことはあったが、こうも後ろを着いてくるようだと、母鳥の後を追う雛鳥のように見えてくる。
彼が私の隣ではなく後ろを歩く理由を訪ねたときがあったけれど、「別にー」といって教えてくれなかった。紫原はこう答えたけれど、何となく理由があるのだとは思っている。
紫原は以外と頑固だ。だからその時は、話す気がないと分かったのでそれ以上は聞かなかった。
でも正直気になってしかたがない。それに、何より隣ではなく後ろにいられると会話がしづらい。
よし。今日は話すまでしつこく聞いてやろう。
私は前を向いたまま紫原に聞いた。
何度教えてと言っただろう。回数は多くなると予想していたので数えていない。
クラスの教室についた時、紫原はやっと口を開いた。
「ナマエちん。
こっち向いて」
予想もしなかった突然の言葉に慌てて、ほぼ反射的に後ろを振り返った。
『んむっ』
振り替えるのと同時に、私の唇が何かに触れた。
そして、いつも少し上にある筈の紫原の顔は、私の目の前にある。
キスをしてしまったのかと錯覚し、一瞬にして顔が熱くなった。
私と紫原はキスはしていない。
顔の距離はほぼそれだけれど、私と紫原の間にはわずかな隙間がある。それは私の唇に触れるもの。──紫原の手のひらだった。
気だるげに開かれた彼の目は、私を見るいつもの目よりずっと鋭く、揺れること無くまっすぐに私を見つめていた。
彼と出会って数ヵ月。良くも悪くも自分に正直で裏表がない紫原。感情を隠すこともしないし、態度や表情を見れば、彼が何を思っているのかがというのが分かった。しかし、今の彼は何を考えているのか全く分からない。
紫原の行動の意図も、私を見つめる瞳の感情も分からず、私は半ばパニック状態になっていた。
そんな私に、紫原は追い討ちをかけた。
紫原は一度瞬きをして、スッと屈めていた体を起こすと、私の唇に触れていた手を退けるなり言った。
「これで分かってくれたでしょ?」
私を見つめる瞳は相変わらず鋭さを含んでおり、目が合っているようであっていない。彼の目線は、私の目より、鼻先より下に向けられている気がした。
紫原のいう『これ』が何を意味するもの。──いつぞやに、クラスメイトに名前を急に呼ばれ、驚いて振り向いたらクラスメイトとキスをしそうになった、あの日の記憶が脳裏を駆けた。
思い返せば、紫原が私の横ではなく後ろを歩くようになったのはその頃だったかもしれない。
つまり、つまりは、紫原が私の後ろを雛鳥のように付いてまわっていたのは……。
気付いてしまえば、瞬間に顔が熱くなった。
紫原が私の後ろを歩く理由に、深い意味はないのだと思う。
事故を防ぐために……ということなのだろうけれど、いつぞやのクラスメイトにキスしそうになったあの事故を、紫原に見られていたのか、と。そして、紫原が私の後ろを歩く理由を何度も何度も問っていた事が、何故だか恥ずかしくてしかたがない。
「ナマエちん顔まっか〜」
彼はヘラりと笑った。
しかし、私にそんなの余裕は無く。
「うける〜」
こんなことを言われても何も言い返せない。
どういうわけか心臓がバクバクしてそれどころではなかった。
いつも
「つーか、もうすぐ授業始まるし早く行こ〜」
彼の耳が赤くなっていることなんて、私には気付く余裕はなかった。
この胸の
(ナマエちんがキスとか、オレ以外許さねーし)
(ナマエちんの唇……やわらかかった……)
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