08.それは同じで違うもの

※若干の流血・暴力表現あり





 あの後暫く暗い顔をしていたが、時が経つに連れ、少しずつ明るさを取り戻していった。ココロの傷は時間が治してくれるものだとあいつは言った。
 オレが腹に受けたあの傷のように、大きな傷は治癒の泉でも治るのが遅い。ココロの傷は、体が裂けそうなほど痛いと言っていたから、恐らくそういうことなのだろう。ココロの傷は、目に見えない大きな傷なのだ。そう考えると治癒の泉でも治らないことに納得がいった。
 それと、ポケモンにもココロがあると教えてくれた。あれが好き、これが嫌い、それが怖い。そういうのもココロだと言う。息子がこの森を旅だった時、その成長を嬉しく感じながらも寂しさを感じたのはそのココロのせいなのだろうか。
 ココロの存在を知ったオレは不思議な感覚を覚えた。こいつが悲しい顔をすれば、オレも悲しいし、こいつが嬉しそうな顔をすればオレも嬉しい。こいつがオレに笑いかけてくれるとふわふわとした気持ちになる。
 こいつから漂う甘いにおいが好きだ。オレを見る日溜まりのような温かな青い目が好きだ。花をあげると喜ぶ顔が好きだ。オレに触れる優しい手が好きだ。でもこの『好き』は他の『好き』とは違う。このココロは一体なんと言うのだろう?
 




 オレは今、群れを抜けている。理由は言わなくても分かるだろう。
 オレに気を遣って、そいつは街に連れていけと言ったがオレはそうしなかった。危なげな雰囲気を時々見せるのもあるが、もっと別の……ココを送り出す時のような、隠しても隠しきれない離れたくないという気持ちがそうさせなかった。

 群れを抜けてこいつと暮らすようになってから暫く経った。時々監視に来るリーダーも、この人間はいい人間と認めたのか、こいつを睨む事は無くなった。それも、こいつがイシャとかいうやつで、泉の力を借りずポケモンの怪我を治したからだろう。
 そんなある日だった。リーダーがいつもの様に監視に来たのかと思うと、話があるとかで神木に来こいと言った。
 今は、神木から少し遠いきのみのなる木がたくさん生えた場所に来ていた。人間を連れていこうにも神木までは連れていけない。しかし、すぐ集まれというものだから困った。理由は知らないが相当な緊急事態らしい。



「何処にも行かないわ。此処で待っているから。」



 この人間は不思議だ。ココのトモダチがそうだったように、ポケモンの言葉は分からないはずなのに、分かっているような。そんな風に思わせられる。
 ホシガリスは足元でぴょんぴょんと跳ねると、自身の胸を叩き得意気な顔をした。任せろってことだろう。少し頼りないが、仕方がない。何かあったらすぐに、この人間を連れて逃げろとホシガリスに言ってからオレはその場から離れた。
 総毛立つようなその胸騒ぎは、神木を攻撃された時のそれに近い。森に何かが起こっている。話を聞いたらこの胸騒ぎも少しはおさまるだろうかと信じて、オレはリーダーの後を追った。
 森のざわめきを聞きながら、オレ達は木から木へと渡り、神木へと急いだ。



「お前、いつまであいつと居るつもりだ」



 もう傷は治っているんじゃないのかと、リーダーは言った。そろそろだとは思うが、まだ完全に治ってはいないとオレは返した。



「なぁ、お前。ただ『人間』と一緒にいたいだけなんじゃないか?ココと同じ、『人間』と」



 リーダーの言葉で頭が真っ白になった。違うとはっきり言い返せなかった。寧ろ、あのよく分からない『好き』の正体はそれなのではないかと、思った。それは、あの人間があいつだからではなく、あいつが人間だから。考えても答えははっきりしてこない。
 オレは何も言えないまま、とうとう神木まで辿り着いてしまった。




「集まったようじゃの」




 長老は少し長く目を瞑った後に言った。森からポケモンがひとり、またひとりと消えていると。そしてその理由も分からないと。
 神木にはザルード以外のポケモンもいたが、いつもと様子が違う。いつもタネボーと一緒にいるコノハナはひとりだし、いつもラフレシアの側にいるナゾノクサも見当たらない。他にも、モンメンの数は少なく、番のいるバタフリーももうひとりの番がいない。ただ同じなのは、そいつらが全員暗い顔をしている事だ。
 長老は、暫くはひとりで行動しないで仲間で纏まって行動するようにと言って、集会は終わった。
 話を聞いて胸騒ぎが少しはマシになるかと思っていたが、逆だった。身体がドクドクと脈を打ち、鋭い牙がきしんだ。気付けば身体が動いていた。リーダーがオレを止める声など聞こえなかった。早くあいつらの所へ行かねぇとってそれだけで頭が一杯で、他に何も考えられなかった。



ーー頼む……無事で居てくれ……!




 胸騒ぎの正体はこれだったと、気付いた時にはもう遅かった。
 何処にも行かないと、此処で待つと言ったのに、その姿はその場のどこにも見当たらない。不自然に落ちているきのみを見て、全身の毛がざわざわと逆立ち始めるのを感じた。
 ふと、何かが鼻を掠めた。あいつのにおいだ。それは僅かに感じる程度で、見失わない様に必死にそのにおいを追いかけた。あいつのにおいに近付くほど、あの時の『嫌なにおい』が強くなり、目の前が赤くなり始めた。やっと、ホシガリスと人間を見つけた時、どこか怪我をした様子もなく安心したが、その人間の腕には傷だらけのナゾノクサが抱かれており、再び体がざわついた。
 その傷は見たこともない傷だった。転んだり、木から落ちたり、そんな傷ではない。
 人間はオレの存在に気付くと、叫ぶように言った。



「この子を早くあの泉に……!!」



 ナゾノクサの体には葉が巻かれていたり、すり潰した草が貼ってある。きっとこいつがやってくれたのだろう。またこいつを置いていくのを躊躇ったが、私の事はいいから早く!とそいつは声を荒げた。真っ直ぐな青色の目に、かっとなっていた頭が少し冷静になった。
 ここは神木からかなり離れている。どんなに急いでもこの傷では、間に合う保証はない。
 だが、泉の他に治す方法がひとつだけある。オレのあの力を使うしかない。きっと今が、この力を使う時だ。
 この力を使うのはあの時以来だった。あの技は、一度使うだけで相当な体力を消耗する。やはり、使ったあとはとてつもない疲労感に襲われ、体を支える事が出来ず地面へと倒れ込んでしまった。
 突然のことにこいつは目を丸くし、地面に体を預けるオレを心配したが、大丈夫だと笑いかけると、ほっとした顔をした。
 恐れられるばかりだったあの頃とは違い、温かい言葉を掛けられたりする。弱々しく今にも途絶えてしまいそうだったナゾノクサの呼吸は落ち着き、目を覚ました。先程まではぐったりとしていたのに、ピョンピョンと跳ねて嬉しそうにしている。そうして、『ありがとう』と言った。そうして人間もオレに『ありがとう』と言った。同じ言葉の筈なのに、この人間に言われるとなんだかくすぐったい。
 ふとオレの手にその人間の手が重ねられた。オレよりずっと小さいそれは、ふたつあってもオレの手を覆うことはない。オレの手が大き過ぎるのかこいつの手が小さすぎるのか。多分どちらもだろう。オレがそんなことを考えていると、その人間は言った。



「あなたはこの子と一緒にここで休んでいて」



 強い眼差しをしていたが、何故か嫌な予感がした。足元にいるホシガリスはそいつに着いていこうとしたが、あなたはここで彼らを守ってあげてと言って駆けていってしまった。追いかけるにも先程あの力を使ったばかりで、体がいうことを聞かない。
 怪我が治り、ぴんとしていたナゾノクサの葉っぱがへにゃりと萎れた。ナゾノクサもオレと同じ様に、あの人間の小さくなっていく背中を浮かぬ顔で見つめていた。そういえば、なぜこいつはあんな怪我をしていたのだろう。オレは訪ねた。
 ナゾノクサはびくりと体を跳ねらせると、さらに顔を歪めた。それは、いつかの自分達に向けられていた恐怖の表情だったが、オレが知っているその顔よりも暗く、酷く怯えているのが分かった。カタカタと音をさせながらナゾノクサは自分の身に何があったかを話し始めた。ぞくりと背筋が震えた。
 ナゾノクサの話を聞いて、あの人間が何をしようとしているのか。考えられることはひとつしか無かった。



「おい!何があった!」



 それはリーダーの声だった。
 オレのあの力は、理由がなければ使わない。つまり、あの力を使う程の理由があった。それに、あの力は良くないことが起きた時にしか使わないのだ。だから、何があったのかと。
 しかし、オレはその質問に答えている余裕はない。早く行かなければ、あの人間が危ない。



「こいつらを頼む」



 重い体を無理矢理起こして、オレは蔦を延ばした。森のざわめきが激しさを増していく。風を切る音は聞こえず、自分の速い拍動しか聞こえない。
 あいつの目を見て感じた嫌な予感はもはや確信へと変わっていた。











 あれからどれくらい時間が経ったか分からない。ただオレにはとてつもなく長い時間だった。
 やっと探していたその姿を目にした時、目の前が真っ赤になった。爪や牙がビキビキと音を立てた。体の中から何かが溢れ出てくる様な感覚に襲われた。鈍い音と、小さな悲鳴が頭の中に響き、漸くそれが怒りであると理解した。
 変な箱の中には、ナゾノクサのように傷だらけになったポケモンが入っており、その側に立っているふたりの人間は、気味の悪い笑みを浮かべている。その人間達の足元には、何かを守るように体を埋め、地面に伏している人間がいた。それはオレが探していた人物だった。
 そいつはもうボロボロで、服から除く白い肌は紫色に変色していた。ここで何が起きたのか、聞かずとも明らかだった。
 ナゾノクサが言っていた。ナゾノクサのあの怪我は人間に殴られたものだと。あの綺麗な人間を、こんなにも酷く痛め付けたのがそいつらに違いなかった。
 嫌につり上がった口をさらに吊り上げると、笑い声をあげてそいつらは拳を振り上げた。その瞬間、ぶつりと何かが切れる音がした。
 その後の記憶は殆どない。ただ、暴れて暴れて、暴れまくった。森のポケモン達を、仲間を、そしてあいつを傷つけたその人間達を許すことが出来なかった。激しい怒りと、あいつを失うかもしれないという恐怖がオレを襲った。
 押さえきれない感情も力も、もう自分で止めることなど出来なくなっていた。



「っ……!!だめ……!!!!」



 何かが裂ける音がして、オレの体はようやく止まった。赤くなった指先が、オレのしてしまった行動を物語っている。その音の原因は間違いなくオレのせいだった。
 ピタリと動かなくなったオレの体に、そいつの手が触れ、そしてオレの顔にその白い手を乗せた。青い瞳と目があった。その目は変わらずに美しいのに、やつらにやられたのか綺麗な顔は青く腫れて、口元からは赤いものが垂れている。真っ直ぐな青に映るそれが自分の姿だと理解するのに時間がかかった。その姿は醜く、恐ろしくて自分の姿とは信じたくなかった。



「怖がらないで……。大丈夫……大丈夫だから。
そうよ……。いい子ね……」



 白い手がオレの顔を撫でた。痛いくらいに優しかった。頭に血が上って我を忘れ、真っ赤になっていた世界は徐々に色を取り戻していった。



「で、も……あなたの力を、そんな風につかって……は、だめよ。人間を……殺してはだめ」



 そいつの体がぐらりと揺れ、倒れないように慌てて手を伸ばした。そいつの背中は、濡れていた。水とは違う感触に驚き自分の手を見た。それは、オレの爪についたそれと同じ色だった。



「私はっ……大丈夫よ。
ねぇ……。あなたの、その立派な蔦で……、あの人達の手足……縛れるかしら……?それだけで十、分よ……」



 オレは頷いた。するとこいつはまた、いい子ねと言った。
 逃げようとしていた人間の手足を蔦で縛り、さらに木に巻き付けた。こいつはそれを見ると、あのとことは人間に任せて、と言った。少しずつ閉じられていく青い目を見ることしか出来なかった。青い目が完全に目蓋に覆われると、オレに触れていた優しく温かい手がするりと落ちた。またじわりじわりと目の前が赤くなりはじめた。
 体が振るえて仕方ない。いつもはこいつに触れた所は熱くなるのに、今はなぜたが冷たい。違う……。オレがしたかったのはこれじゃない……オレはこいつを……!
 


「何をしている!!!早く泉に行け!!!」



 目の前にリーダーが居ることに気付かないほどオレは放心していた。その足元にはホシガリスとナゾノクサがいて、心配そうにこちらを見上げている。ナゾノクサの話を聞いてここまで来てくれたのだろうか。



「話はこの人間とお前の傷が治ってから聞く。だからここは任せて早く行け!」



 オレが怪我……?どこも痛くはないのにどうしてと疑問に思った時だった。がくりと力が抜けて、全身に痛みが走った。目には割れた大地が映った。見慣れないそれに違和感を覚え顔を上げれば、木はいくつもなぎ倒され、あの人間達のいうことを聞いていた大型のポケモンが、数体瀕死の状態で地面に伏している。記憶はなくても自分がやったことなのだと理解した。



「おい!!しっかりしろ!!!」



 リーダーがオレの肩を掴んだ。
 その時、オレはただココと同じ『人間』と居たいだけなのではないか、と。リーダーに問われたことを思い出した。何故あの時違うとはっきり言えなかったのだろう。こんなにも失うのが怖いのに。



「あとの事は人間がどうにかしてくれるらしい」



 こいつの言っていたことをリーダーに伝え、オレを支えてくれているリーダーの手を払った。
 片腕にあるその存在を離し、地面に寝かせた。白い肌はさらに白くなり、痛々しく腫れた頬にそっと触れた。辛うじて息はしている。まだ間に合う。オレの力があれば。
 正直、倒れないように自分の体を支えているのも限界だ。もう一度この力を使ったら自分がどうなるか分からない。
 こいつは自分より大事なものだ。ココへの思いと似て非なるもののこの正体は分からない。だが、こんなにも失いたくないと、この人間の熱が消えてしまうことが怖い。理由はそれだけで十分だ。
 森をこんなにしてしまって、この森はオレの願いを聞いてくれるだろうか。力をかしてくれるだろうか。オレは目を瞑った。
 真っ暗だった目の前が、少しずつ緑色を帯びていった。瞼を突き抜けて輝くその光が消え、オレはそのまま倒れ込んだ。重い瞼を持ち上げると、そいつの顔があった。血色はいくから良くなっている。ぴくぴくと瞼を震わせたかと思うと、そこから深い青が覗き、一瞬だけオレを映した。
 体の痛覚も麻痺をして痛みを感じない。遠退いていく意識を繋ぎとめるだけで精一杯だ。どんどんと音が遠くなっていく。
 あの悪い人間達を良い人間の所に連れていかなくてはならない。変な箱に閉じ込められているポケモンを解放しなくてはならない。一度意識を取り戻したものの、目を覚ます気配を見せない目の前にいるこの人間を、泉に連れていかなくてはならない。他にもやることはたくさんあるのに指一本動かせない。
 すると、「リーダー!」という仲間の声が聞こえた。



ーー後はあいつらに任せれば良い



 そうしてオレは意識を手放した。
 この場に似合わない柔らかな風がオレを撫でた。それは何時かに香ったあの甘いにおいに似ていた。

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