07.薬のない傷
その人間が言っていた『ココロノキズ』ってやつをずっと考えていた。ココロってやつは分からない。でもこいつはどこか怪我をしている。
あの日、治癒の泉にいれた筈だが、治っていない傷があったのだろうか?もう一度泉に連れていこう。それにはまずあいつらの許可を……と思った時だった。
「ここ最近姿を見ねぇと思ったらこれはなんだ?」
地を這うような聞きなれた低い声。顔を見なくてもその不機嫌さが伺える。これは……リーダーの声だ。
今日も森を案内しようとホシガリスと一緒に森をまわっていただけだったが、とんでもない展開になってしまった。リーダーの登場により穏やかに流れていた空気は、一瞬にして張り詰めた。人間は、ただならぬ雰囲気になったこの状況に体を強ばらせている。
オレに向けられていた鋭い眼差しが人間へと向けられた。リーダーは仲間を守るため、人間を見極めているだけだ。ショクリンとやらで、この森に人間の出入りが増え、人間に対するポケモン達の警戒心が弱くなっている。それもあり、最近のリーダーの目は鋭さを増している。
何もしていない人間を攻撃したりはしない。リーダーがこいつを攻撃することはないと分かっていたが、その眼差しは獲物を狙うように鋭利で、オレは自分の背に人間を隠した。
リーダーには言い訳も嘘も通用しない。オレは全てを話した。森の奥で出会い、自ら命を絶とうとしていたこと。人間なのに人間を恐れていること。リーダーは、オレと同様に信じられないと唸った。
こいつの傷の事を伝えようとしたが、背後の存在が動いたかと思うと、それはオレの隣にいた。
「私のせいなの。今すぐここを出ていくから……。だから彼の事は許してあげて」
再び、リーダーの鋭い目がそいつを捕らえた。人間にオレ達の言葉は分からない。しかし、この緊張しきった空気を察して出た言葉なのだろう。
森のポケモンは、リーダーのあの形相を見ると一目散に逃げていき、仲間でも震え上がるやつがいるほど険しく恐ろしい。しかし、こいつは恐れる様子を少しも見せない。怒りを受け入れている様に見える。
リーダーに怯まず立ち向かう姿は勇ましくも見えるが、やはりどこか弱々しい。リーダーではなく、森から出ることを恐れているように感じた。
「怪我してんだ。こいつ」
堪らずオレは口を挟んだ。再びリーダーの視線がオレに戻る。その目は何か言いたげだ。
「オレもどこが悪いのか分からねぇ。ただ、ココロってやつに傷があるらしい」
「ココロ?何だそれは」
リーダーもココロを知らない様だ。
いくらこいつが怪我をしていたとしても、リーダーが最も嫌がるのが、人間が神木に近付くことだ。あんな事があったのだから当然だ。森に入ることを許しても、神木には立ち入ることを許さない。あそこは我らポケモンの領域だから。
しかし、目の前に怪我をしている人間がいるのに、見て見ぬふりはオレには出来ない。
「……まずは長老達に話してからだ」
リーダーは俺たちをひとにらみすると、神木の方へと姿を消した。
いつの間にかオレの足元に隠れていたホシガリスがひょこりと出てきて、安心したように息を吐いた。
「私のせいで怖い思いさせてごめんね」
人間はしゃがむと、ホシガリスの頭を撫でた。笑いかけているが、その眼差しは暗い影を落としている。
ホシガリスはこいつに撫でられるのが相当好きなようで、顎の下や背中と撫でて欲しい所をそいつの手に押し付けている。ホシガリスを撫でているうちに、表情が少しずつ明るくなっていきオレは安心した。そう思っていると、ふとその眼差しがオレには向けられた。
「あなたには迷惑を掛けてばかりね。ごめんなさい。」
オレは首を降った。これはオレがしたくてやった事だったから。こいつのせいじゃない。悲しげな顔をするそいつの頬に触れようと手を伸ばした。
「長老の許可が出た。だか、何かあった時は……」
「分かってるさ。ありがとよ」
オレがそう言うと、リーダーは早々と蔦を伸ばし木を渡っていった。さてと、許可が出たことだし、奴等の気が変わらないうちにさっさと連れていくとしよう。
暗い顔をしたままの人間を片腕に収め、リーダーの後を追った。珍しくバタバタと暴れたが、気付かないふりをして神木へと向かった。
* * *
人間は暫くオレの腕の中で暴れていたが、神木の近くまで来るとパタリと動かなくなった。チラリと様子を伺うと、人間は力強く大地に根を張り悠々と聳え立つ神木に見惚れていた。
そのままオレは木を渡っていたが、ある瞬間にそいつは身体を跳ね上がらせるとオレの身体を掴んだ。
「ここはあなた達のすみかなの……?だめよ!そんなところに人間を連れてきちゃ……!」
ポケモン達の安寧の場所がそうで無くなってしまうと、そいつは言った。確かにそうだ。しかし、怪我をしているなら話は別だ。オレ達や他のポケモンも同じ考えだ。
再び離してと言いながら暴れだしたが、オレが抱える腕の力を強めると諦めたように身体を小さくした。
「綺麗……。」
泉の近くまで辿り着き、オレは人間を降ろした。神木の根元から空を見上げれば、その青色は神木の生い茂る葉によって殆どが隠れてしまう。
オレは早速、泉に入るように促したが、水遊びはさっきホシガリスとしたのにどうしてここで?と人間は言った。それに加え、早くここから出ていかないと、と言い出した。それではここに来た意味がない。突き落とすのが手っ取り早いが、それは気が進まない。
この人間を泉にいれる方法を考えていると、何やら騒がしい音が聞こえてきた。うす緑色のそれは、よたよたと不自然に飛んでいる。喧嘩っ早いフライゴンの事だ。また何処かで喧嘩をして翼をやってしまったのだろう。いくら泉があるとはいえ、頻繁に怪我をされると、いつか泉でも治せない大きな怪我しをそうでひやひやしてしまう。
「あのフライゴン、怪我をして……っ!」
フライゴンが泉に落ちると、人間は顔を青くした。人間はフライゴンを助けようと泉に飛び込もうとしたが、それよりも前にフライゴンが勢いよく泉から飛び出した。フライゴンが纏った水のしぶきがキラキラと輝く。
弱々しかった羽音は力強くなり、不安定だった飛び方もいつも通りになった。フライゴンはその大きな羽を嬉しそうに震わせると、空高く舞い上がり姿を消した。
「傷が……治った……?」
丸い目を更に丸くして驚いていたが、この泉の力は理解したようだ。オレは人間の背中を軽く押して、再び泉に入るよう言った。
「でもどうして?私怪我なんてしてな……」
くるりとオレの方を振り返った。オレがそいつの胸を指を差すと人間は言葉を止めた。
オレはココロってやつが何処のか分からない。だが、こいつが時々胸に手を当てることが何度かあった。その時は決まってどこか遠くを見ていて、何を見えいるのか、何を考えているのか分からない顔をする。だから、そこがココロなのだと思った。
人間は俯いて、自身の胸をぎゅっと握りしめた。
「心の傷はね……、身体の傷とは違うの」
きっとオレの考えは当たっている。だってこんなにも苦しそうに笑っているのだから。
「この傷はね、……すごく痛いの。体が裂けてしまうんじゃないかって位。……でも、どんな薬でもこの傷は治せないの。」
ーーこの泉であっても……
頭にでかい岩が落ちてきたような感覚だった。泉に治せないもの?そんなものがあるのか……?この泉は全てを治してくれると思っていたのに。
オレは治したかっただけなのに。なのにどうしてこいつは今にも泣きそうな顔をしているのだろう。オレは、そんな顔をして欲しかったんじゃない。
青い瞳に、情けない自分の顔が映った。治らないんじゃあここにもう様はねぇ。こいつの顔も、その瞳に映る自分の顔も見ていられなくて、オレはそいつを抱き上げ、蔦を伸ばした。
木を渡り、木々をすり抜け、風を切る音を聞きながら考えていた。そして分かったことかある。ココロってのは胸にあって、ココロの傷はずげぇ痛ぇってこと。それから
ーーオレにこの傷は治してやれないってことも
オレがこいつにしてやれるのは、一緒にいてやることだけだった。
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