06.昇らない太陽

 私には婚約者がいた。過去形なのは、婚約を破棄され、私の妹に妊娠させたからという理由で。

 私は、ポケモンの医者だ。街のジョーイさんとは異なり、同じ場所で治療をする様な医者ではなく、災害が起きてしまい支援が必要な場所へ行って、傷付いたポケモン達を治療をする。そうやって、色んな地域で、地方でたくさんのポケモンを助けてきた。
 この仕事は危ないし大変だし、家族には猛反対された。その時唯一背中を押してくれたのが、その人だった。『君がやりたいことをやりたいだけやればいい。やりきった時、僕と結婚してくれないか?ずっと待ってるから』と。そうして私たちは婚約をした。
 仕事は思った以上に忙しく、電波が無い場所に行くこともあって、連絡がまめに取れない事は多々あったけど、可能な限り連絡をした。あちこち飛び回るものだから、体力的にも精神的にも辛いことはあったけれど、私を待つ彼を思うと頑張れた。休暇をとれるときは休暇をとって、彼に会いに行った。
 そうして数年が経過し、私も先輩になり、後輩もできて仕事も落ち着いた。彼の言葉に甘えて、何年も彼を待たせてしまったし、仕事をしていく中で、まずは目の前にいるポケモンを助けたいと思うようになった。
 だから、今の仕事を辞めて病院で働こうと決めた。これからは彼の近くでずっと一緒に生きていこうと、仕事を辞めて故郷に戻った。彼にはまだ言っていない。私からもう一度プロポーズをするときに一緒に言おうと思っていた。
 いつも私が帰る時は、決まって街の入り口まで迎えに来てくれたが、その時は違った。それから、話があるから家に来てほしいと彼から連絡があり、私は足早に家へと向かった。今思えば、この時おかしいと感じるべきだったが、早く彼に会いたい、早く伝えたいという気持ちばかりが走って、その違和感に気付くことがなかった。
 家に着くと、婚約者と私の妹が私を迎えた。妹がこの場にいるのは不自然だし、妹の腕には小さな赤ん坊が抱かれていた。普通なら、妹の出産を祝うべきだが、妹の妊娠なんて聞いていないし、この妙な空気がそうさせなかった。
 リビングに通され、告げられた事実は受け入れられるものではなかった。その赤ん坊は他でもない、彼と妹の子供で、ふたりの関係がはじまったのは、私があの仕事についてから割りと直ぐだったと。それだけでも十分だというのに、あのふたりはなんと数日後に行われる結婚式に出席して欲しいと言ってきた。私の事が好きだから、だから出席して欲しいと。
 もう何が何だか意味が分からなくて、私は家を飛び出した。携帯には何件もの着信やメッセージが届いたがどれも無視をして、携帯の電源を切った。
 仕事であちこちに行っていたから、地元で借りている部屋もないし当てもない。帰る場所が無い私は適当なホテルを借りた。馬鹿みたいに泣いて食事もろくに取れず何日かが経過した。
 あれからどれくらい経ったのだろうと、携帯の電源を着けたら、たくさんの通知がいっきに入ってきて、驚いた私は誤って画面に触れてしまった。画面にはメールが表示され、そこには、妹の名前と結婚式に関する情報が記載されていた。日付に場所、それから要らない情報まで。地元から随分離れているけどその式場を選んだのは、なんとその日は夜にあるお祭りで花火を上げるため機材が揃っており、特別に昼の花火を上げてもらえるからだとか。
 日付を確認したら結婚式は今日だった。今から行っても開始時間には間に合わない。だが、ぎりぎり着くことは出来るだろう。行く気など毛頭無かったけれど気が変わった。式の途中に突然あのふたりの前に現れたらどんな反応をするのか。『素敵な思い出』になるように、式をぶち壊してやろう。と、私は式場へと向かった。



 式が行われるその街は四方を森で囲まれていて、とても穏やかな場所だった。しかし、そんなことを感じられる余裕すら私にはなかった。
 暫く歩くと祝いの言葉が飛び交う声が聞こえた。そのチャペルは開放的で、敷地内に入らずとも様子が見えた。誓いを交わしたのか、真っ赤なヴァージンロードを歩く新郎新婦の姿が見えた。遠くからでも分かる幸せそうな顔をして、その腕には愛の証が抱かれている。私にしつこく来てほしいと連絡を寄越したのに、私がいなくてもあんな風に笑い合っている。
 あぁ、私は何故ここに来てしまったのだろう。式をぶち壊してやろうと意気込んでいたのに、ふたりの顔を見みたら頭が真っ白になって何をする気も失ってしまった。
 そうだ、ぶち壊してやろうと意気込んでいたのはただの空元気だった。
 私の居場所はもうどこにもなくなってしまった。じくじくと胸が痛み、堪えることの出来ない涙で視界が歪んだ。
 そうして私は走り出した。早くあの場から離れたくて、ひたすらに、闇雲に走った。
 彼の言葉に甘えて、仕事を続けたから?私は出来る限りの事をしたのに、どうして?何故今更……もっと早く本当の事を言ってくれたら……!!
 ふたりの関係が、ここ最近からだったらまだ良かったかもしれない。ここ最近どころではなく、何年も前から関係があったとなると、彼のために、彼を思って頑張った日々が、辛いことに耐え抜いてきた日々が、私の過ごしたこの数年間が全て無意味なものに感じた。彼を放って、自分のやりたいようにやった結果なのだと頭では分かっていても、彼らを悪者にしないと正気を保っていられない。そんな自分に嫌気がさした。
 


 ここ数日睡眠もろくにとらず、まともな食事をしてこなかった体は既に限界だった。森にひとり。おまけに遭難だ。体力ももう残っていない。重たい脚を引きずり、森の木々に体を預けながら、ただただ歩いた。
 漸く森を抜けたと思ったら、そこには静かに流れる川があった。どこまでも高い紺色の空には、満月が優雅に浮かんでいる。全てを忘れてしまうほど綺麗だった。
 力を振り絞り、川のそば迄行くとひどい顔をした自分の顔が映った。揺れる水面のせいで余計に顔が歪んで見える。彼が月のようだと褒めてくれた髪が肩を滑り落ちて私の視界へ入ってきた。
 婚約者のために好きだった仕事を辞め、故郷に帰ったら婚約者は妹と結婚していて。森にひとりで遭難。それに加えて夜。心も体もボロボロで、目の前にあるのは死しかなかった。
 半ば自暴自棄になっていた。それなら自分で死んでやろうと、目の前の川を進んだ。これでいい、これでいいんだ……。
 息が苦しくなって、大量の水を飲んで死を悟った。このまま現世にさよならを告げようと思ったのに。何かが私を助けた。どうして……?どうして私を助けたの……?赤と緑の瞳と目があって、私の意識は途切れた。



 目が覚めるとそこには、意識が無くなる最後に見たあの目があった。夜ではっきり見えなかったそれは、黒くて大きな身体をした、見たことも聞いたこともないポケモンだった。
 ポケモンは賢い子が多い。しかし、このポケモンはその中でも特に賢く、そして温かくて優しいポケモンだった。
 どこからか現れたホシガリスとその黒くて大きなポケモンはどこか不思議な雰囲気を纏っている。こんな森の奥でポケモンが人間に出会うことはそうない。人間を見たら警戒をするのが普通なのに、警戒心というもを一切感じない。人馴れしている、と。そんな感覚を覚えた。
 自然に触れ、そしてポケモン達といる時間は本当に楽しくて、嫌なことを忘れられた。血が上っていた頭も冷静さを取り戻し、昨日自分がしてしまった恐ろしい行動に身が震えた。
 ホシガリスに連れられて、流れが緩やかで浅い川に着いた時、今まで私たちを見守るように斜め後ろを歩いていた黒いポケモンが私の前に立ちはだかった。私の肩を強く掴み、歯を剥き出しにして唸っていた。ポケモンが自ら命を絶つなんて聞いたことはないし、仕事柄で様々な論文を読むがそういった見たことはない。だから、ポケモンの世界ではないことなのだと思う。でもこのポケモンは、私が昨日何をしようとしたか分かっているのだと思う。そうでなきゃこんなにも必死に私を止めようなんてしない。本当に頭のいいポケモンだ。
 思わず感心してしまったが、大丈夫だと伝えると私の肩から手を離してくれた。そうしているうちに日は傾き夜へと近付いた。夜も活発に活動する人間とは異なり、森のポケモン達は日と共に暮らす。もうそろそろ巣に帰る時間なのだろう。ホシガリスは私の足元をくるくると駆け回ると森の中に姿を消した。
 すると不意に地面から脚が離れ、温かい何かに包まれた。大きな黒いポケモンと目が合って、その腕に抱き抱えられているのだと理解した。居心地が良くとても温かい。どうしてこんなにも落ち着くのだろう。どうしてこんなにも優しいのだろう。そんな事を考えていたら、徐々に森が明るくなっている事に気付いた。なんだろうと思って目をやったがそれは決して森の明かりでは無かった。
 途端に背筋に悪寒が走り、体がブルブルと震え出す。体が勝手に目の前のものを掴むみ、呼吸もうまく出来きず、次から次へと涙が出てくる。その時、昼間あれほど笑えたのは傷が癒えたからではなく、嫌なことを忘れていられたからだと分かった。
 突然頭に何かが触れた。温かくて大きい。それが彼の手だと理解するのにそう時間はかからなかった。その手はとても優しかった。ーー



 彼の腕の力が弱くなったと思ったら、大きな木の上に座らされた。そのポケモンは私をチラリと見ると、ゆるりと顔の向きを変え、私も釣られるように彼と同じ方向をみた。
 そこには言葉では言い表せない美しい景色が広がっていた。月はこの広い大地をどこまでも照らし、それに負けじと星は輝いて見せた。木々は月の光を受けて輝き、昼とは違った顔を見せている。夜の森は寝ていて、この世界には私たちをしか居ないように感じてしまうほどだった。暫く見とれていたが、自分の髪が視界に入り現実に引き戻された。そうして口が自然と動き出した。
 ポケモンに人間の言っている事なんて、ましてや色恋沙汰なんてもっと分からないだろうけど、胸に溜まったこのドロドロした感情を吐き出したかった。
 一方的に話して一方的に話し終えて、それからもう少しだけこの森にいたいなんて、本当に勝手だ。野生のポケモンに甘えて迷惑まで掛けて。でもこの優しさに今の弱った私は太刀打ち出来なかった。
 ここにいていいと頷いた、名前も知らないポケモンと目が合うと、柔らかな夜風が私たちを包んだ。そうしてまた錯覚してしまうのだ。



この世界には私たちしかいないと。ーー








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