15.はじまる未来

 オレたちは番になった。
 しかし、何かが特別変わったわけでもなかった。

 森のポケモンたちから冷たい態度を取られることも覚悟していたのに、寧ろ彼らは温かくオレたちを受け入れてくれた。

 群れの仲間に関してはオレたちを完全に認めてくれたのか、人間の番の儀をやったのだからザルードの番の儀もやろうと言い出した。そうして知らぬ間にオレたちのいない所で話は進んでおり、ある日突然神木に呼び出され、「急になんだ?」と疑問を抱えながら向かえば、広場の真ん中に座らせられ、そのまま番の儀が始まったのは、つい数日前の出来事である。


 正直、リーダーたちからは、人間と番になることを一番反対されて、認めてもらえるまで長い時間が掛かると思っていたから、何というか拍子抜けだった。
 仲間に拒絶されることもなく、あいつに辛い思いをさせずに済んだのだから、これで良かったのだと思いつつ、逆にこんなに順調すぎて良いのだろうかという不安が押し寄せた。
 しかし、何も起きることはなく、変わらぬ日々を送っていると、ある日思い付いたように友達は言った。


「そうだ!君たち新婚旅行しなよ!」


 聞きなれぬ言葉に首をかしげると、友人はそれが何かを説明してくれた。
 簡単に言えば旅のようなものらしい。
 
 その日は家に帰り、寝転がりながらぼんやりとシンコンリョコウとやらの事を考えた。
 正直興味はある。
 しかし、旅をするとなれば、暫く仲間のもとだけでなく、この森を離れることになる。短い旅とはいえ、息子の帰る場所であるこの森を離れてもいいのか。それに、この森を守るのは、ザルード全員の役割で、一時的であっても勝手にこの森を出るのはおかしい。
 シンコンリョコウをするにしても、仲間に話して許可なり、話を通しておくべきだろう。
 仲間の反応を想像すると頭が痛くなる。
 しかし、それでも未知のものに対する興味や、彼女と居ればどこへ行っても楽しいはずだという、胸の高鳴りの方が大きかった。
 長い瞬きをしている、不意に彼女に腕をつつかれた。


「彼の話、覚えてる?」


 シンコンリョコウの事だろうと、そう思ってオレは首を縦に振った。


「あなたと色んな場所に行って、色んな物を見てみたい。でも……、あなたはこの森に必要でしょう?」


 この人間が何を言おうとしているのかを察し、浮かれて熱を持っていた頭がすぅと冷えていった。
 彼女が隣にいる。──それだけで十分なのに。
 自分は気付かぬ間に、相当欲張りになっていたようだ。
 シンコンリョコウをしてみたいという気持ちがあったからか、少しだけ気分が落ち込んだ。
 しかし、それも束の間の出来事だった。


「だから、あなたも行ったことがないような、この森のもっと奥の、ここからずっと遠いところまで行ってみるのはどうかしら?」


 首をかしげる彼女の肩から銀色の髪が滑り落ちるのを見つめながら、頭の中で彼女の言葉を繰り返した。
 てっきり「シンコンリョコウは止めよう」と言われると思っていた。
 予想と反対の言葉に驚いたが、次には跳び跳ねて喜んでいた。


 早速次の日、リーダーにその事を相談しに行った。
 「何を考えている。ダメだ」と言われると思っていたのに、返事は「好きにしろ」とあっさりしたもので、ちゃんと帰ってくるのならそれでいいと、リーダーは続けた。


 そんな調子で話は順調に進み、いくらかの準備の後、その日を迎え、人間の友達や森のポケモンたちに見送られながら、オレたちは特に目的地のない森の奥へと足を進めた。
 見慣れた場所までは彼女を抱きかかえて移動し、その先はお互いの足であちこちを歩いて、ゆっくりと森の中を進んだ。

 見慣れぬ景色。地面の感触。森を包む空気。何もかもが新しい。
 この先に何があるのだろう──という好奇心の中にも僅かな不安があった。
 しかし、輝く銀色と真っ直ぐな青色は、いつも変わらずにオレの隣にあって。

──こいつとならどこへでも行ける。

 と、根拠の無い自信さえ湧いてくる。
 そうしてどれくらい経っただろう。
 その日も、彼女の瞳のように、すっきりとした綺麗な青色が広がるよく晴れた日だった。



* * *



 神木からも随分と離れ、見慣れた森はそこにはない。
 見るもの全てが新しい。
 目の前に広がるこの景色も、こいつと出会わなければ見ることは無かったのだと思うと、不思議な気持ちである。

 数歩先を歩くあいつの背中を眺めていると、ふわりとやわらかい風が吹き、あいつの細く綺麗な銀色が舞った。
 不規則に揺れる髪をただ何となく目で追った。
そしてふと、甘い香りが鼻をくすぐった。あいつの甘いにおいとはまた違う。何処か懐かしさを感じるものだった。
 このにおいは何だっただろうか。思い出せそうで思い出せない。
 においを辿れば、このにおいの正体が分かるだろうか。と、少しずつ消えていくにおいを見失わんと鼻に意識をやった。
そのせいで、オレは目をつぶってしまっていた。ただつられるように足をすすめていた。


「っ!!!……待って!!!」


張り詰めたような焦りを帯びた声と、小さな手に腕を掴まれ我に返った。
 いつの間にか閉じていた瞼を反射的に開けば、喉がひゅっと音を立て、嫌な汗が全身から吹き出だ。

 一歩先は崖だった。

 自ら危ないことをする気なんて無かった。
 でもこいつには、そう見えたに違いない。
 その証明に、いつも真っ直ぐな青い瞳がぐらぐらと揺れている。その表情は、オレが死にかけた時のそれによく似ていて、罪悪感に近い感情がわいた。
 崖から飛び降りる気など無く、甘い匂いを追っていただけだと言い訳をしようとしたその時、突然ぐらりと視界が変わった。


「あっ……!」
「──!!!!」


 視界が、森の緑から空の青に変わった理由が、自分が立っていた地面が崩れ落ちたからだという事に気付いた頃には、彼女の体も浮いていて、突き飛ばすにはもう遅かった。
 天地が返り、浮遊感の中、耳元で嫌な風音が唸る。
 体制を整えるよりもまず、白く細い手首をしっかりと握り、自身の胸へ引き寄せた。

 自分が立っていた場所の崖が崩れ、落ちて行くオレの手を彼女は掴んだが、こいつがオレ体重を支えきれるわけもなく、そのまま崖から落ちているこの状況。
 焦りからか、心臓がバクバクと激しく動きつつ、頭は妙に冷静だった。

 落下を防ごうにも、崖壁に手を伸ばしても届かないし、ツルを巻き付けるられるような場所は何処にもない。どうにかしたいが、どうにもできそうになかった。
 そうなれば、もう重力に従うしかない。
 
 オレはどうなっても良い。だが、腕の中の存在だけは何としてでも守らなければならない。
 彼女の体をより強く抱き寄せ、オレは体を丸め、受け身の姿勢をとった。

 風の唸る音に加え、どこかから水の流れる音が聞こえる。
 どうやら落ちる先は川のようだ。
 これならどうにか助かるかもしれない。

 固く目をつぶったと同時に、鋭くもあり鈍い痛みが全身に走り、オレの意識はそこで途絶えた。







 結果から言えば、オレたちは助かった。

 やはり、地面ではなく水に落ちたからだろう。
 一番守りたかった存在も、少し怪我はさせてしまったが、擦り傷程度のものだった。自分は左腕の骨が折れたものの、高い崖から落ちた結果と考えれば、この程度ですんで良かったと思える。

 怪我の手当てはあいつがしてくれた。あいつは、「これくらいしかしてあげられなくてごめんなさい」と言ったが、そんな訳はなかった。そのままでいるより、痛みはずっと少ない。それと、今までどれだけ神木の泉に頼ってきたのかを、今更ながらに感じた。
 

 そう。オレたちは確かに助かった。
 しかし、川の上流の方向を見ても、どこを見てもオレたちが落ちた崖の姿はどこにも見当たらない。
 シンコンリョコウで、はじめから森の奥に行く予定ではあったのに、どこまできたのか分からないこの状況。怪我までしてしまっては、一度引き返した方が良いだろう、と。オレたちは川を辿るように歩くことにした。

 そうして、休みながら、食料を探しながら、数日が経過したが、未だその影は見えない。相当遠くまで流されたようだ。

 怪我をしていなければ、こいつを抱えてツルを伸ばして木々の間を飛んでもっと速く移動できるのに。早くあの崖の場所が分かれば、シンコンリョコウの続きが出きるのに。
 いいや、オレがあの時あんなことをしなければ──と、そう思っているとあいつは言った。


「そういえば、あの時は何故あんなことをしたの……?」


 体がピクリと固まった。
 眉が下がり、揺れる青い瞳は、不安げにオレの顔を覗き込んでいる。

 あの時、いくら興味がそそられたからといって、周りも見ずにおいを追った自分の行動は軽率だったなと、苦い思いが込み上げた。

 言い訳にしかならないが、訳を話そうと息を吸う。同時に、ふわりと舞った風が、オレの鼻をくすぐった。
 無意識に、風が舞ってきた方へ顔が向いた。
 すんっと鼻を鳴らしながら、もう一度風を嗅ぐ。

 そうだ、オレはこのにおいを追っていたんだ。
 なんだったかは思い出せないけれど、どこか懐かしい、数度しか感じたことはないのに、印象に残るにおい。色で例えるのなら桃色で、触れれば弾けて消えてしまう、そんなにおい。
 そしてそれは、崖で感じたそれよりもずっと濃い。

 これなら見失わずに、においを追えそうだ。

 理由は分からないが、「そこへ行かなくては」という使命感のようなものを感じていた。
 しかし、オレはこの匂いを追って危険な事をした。それに、桃色のにおいがする方向は、オレたちが今辿っている川から逸れた、森の中からするものだった。
 果たして、追っていいものなのか。
 どうしたのもかと迷っていると、やわらかくて温かい手がオレの腕に触れた。


「そっちに何かあるのね」


 オレはゆっくりと頷いた。
 すると、彼女はにこりと微笑むなり言った。


「じゃあ行きましょう」


 思わぬ言葉にまた体が固まった。

 オレのせいで、この……、迷子のような状態。唯一手がかりとなるこの川を逸れて森へ入ったとして、再びこの場所まで戻ってこれるのだろうか。戻ってこれなければ、一生を群れの元へ、家に帰れないのではないかと思うと、素直に頷けずにいる。
 黙ったままのオレに、彼女はそれを察したのか、帰る方法については気にしなくて良いと。「こう見えてもサバイバルにはなれているのよ!」と自身の胸を叩いた。


「さぁ、行きましょ!」


 少し不安はある。しかし、そこまで言うのなら大丈夫なのだろう。こいつは嘘はつかない。オレはこの人間を信じている。
 考え込んでいたためか、いつの間にか強ばっていた表情が弛むのを感じた。

 オレはもう一度彼女に微笑み返し、差し出された小さな手を握り、桃色のにおいのする方へと進むことにした。



*  *  *


 桃色のにおいは濃く甘く、すぐ近くにあるように感じていたのだが、ついには日がくれ、さらに数日が経過した。

 おかしい。
 方向はあっているはずなのに。においは確かにするのに。
 同じところをぐるぐる回っている訳でもなく、辿り着けないのはどうしてなのか。不安を募らせながらも歩くしか無かった。


「ねぇ、そんな顔しないで?私はあなたと一緒にいれて楽しいわ」


 俯くオレの顔を覗き込むようにしながら彼女はにこりと笑いながら言った。
 穏やかで柔らかな声が、スッと自分の中に落ちていく。
 半ば迷子のこの状態も、シンコンリョコウの続きと思えば良いのだと、彼女は続けた。

 あぁ、そうだった。
 オレは何をそう気に病んでいたのだろうか。
 帰る方法はきちんとあるのだから、そこまで気にする必要はなかった。

 胸にのしかかる重たいものを、ふぅと吐き出し、風に舞う彼女の銀色の髪を指の背で軽く撫でた。
 青い瞳と目が合えば、自然と自分の口角が弛んで笑みがこぼれた。
 輝く銀色と青色に見惚れていたのだが、不意に違和感を覚えた。


「どうかしたの?」


 細められていた彼女の瞳が丸くなり、不思議そうに首をかしげた。

 ひとつ風が吹く。

 違和感の正体に気付き、オレは辺りを見回し、鼻を鳴らした。
 なぜだ。一体何が……。
 ドクドクと心臓が嫌に激しく動き出す。


 あんなに濃かった桃色のにおいが消えた。

 ほんの数秒前までは確かに感じていたのに。
 
 どういうことなのかと慌てていると、またひとつ風が吹く。
 ふわりと、一瞬だけ甘い香りが鼻を掠めた。
 次の瞬間には彼女を抱えて走り出していた。


「ちょっと……!!あなた、怪我してるのに!!」


 確かに痛みは感じるが、ほぼ治っており、大した痛みではない。それよりも、あのにおいを追わなければと、何故か必死になっていた。

 森がざわめく。招くかのように木々が揺れ、森の奥へ奥へと誘う。
 追った先に何かあるのだろうかと、漠然と思っていたものが、この先に絶対に何かがあるという確信に変わっていた。

 一歩、また一歩と地面を蹴るたび、心臓がバクバクと跳ね上がる。
 呼吸が荒くなって苦しくなっても走るのを止められない。何かに突き動かされているようだった。

 此処じゃない。
 此処でもない。
 まだ……、もっと先だ──。

 生い茂る木々は空へと伸び、地面へと降り注ぐ太陽の光を遮る暗い森を抜け、目の前が明るく開けた場所にたどり着いてオレはやっと足を止めた。

 あまりにも美しく広がる光景に、一瞬息の仕方を忘れた。

 背の低い滝に、湧水のような澄んだ綺麗な水が流れ、日の光を反射させながらキラキラと輝いている。反射した水面は、立派にそびえ立つ木々の幹や葉に、ゆらめく模様を映していた。滝の水は地面に落ち、小さな湖を作っており、その湖の真ん中に浮島がひとつあった。そして、その浮島にあるぽつりとした存在に気付いた。

 アレだ──。

 オレが今まで追いかけていたものは、アレなのではないかと、目に映ったソレに釘付けになった。
 固まったまま動かないオレにの腕から、人間はするりと腕から抜け出した。


「もう!!どうした……の、……」


 少し怒ったような口調だったが、オレの目線の先にあるものに気付いたのか、途中で言葉を止めた。

 やわらかく包むような風がひとつ、穏やかな湖の水面を撫でた。
 それから一瞬だけあのにおいがした。

 懐かしいそのにおい。
 いつか見た光景が脳裏に甦る。


「あれ、は……。……タマゴ?」


 そうだ。まだ赤ん坊だったココを見つけた時と同じにおいだ──

 それにしてもどうしてこんな場所にタマゴがあるのだろう。呑気なオレとは反対に、あいつは眉間にシワを寄せ難しい顔をしていた。
 曰く、普通であれば、親であるポケモンはタマゴから離れる事はないだという。
 あたり前の事過ぎてあまり考えたことはなかったが、言われてみればそうである。

 だが、そのにあるのはタマゴだけ。
 親であるポケモンの姿も、気配すらも感じない。
 タマゴだけが存在している。

 さて、どうするべきか。

 オレたちは一度その場所から少し離れ、様子を伺う事にした。(タマゴができたポケモンは、そのタマゴを守るために少々気が荒くなるし、仲間以外が近付くことを嫌がる。それ故の選択だった)

 しかし、いつ来るか来るかと待ち続けた親らしきポケモンは現れず、ついには日が傾き始めてしまった。


「……あのままだとタマゴが危ないわ」


 保護しましょう、と彼女は言葉を続けた。
 念のため、このタマゴの親らしいポケモンがいないか辺りを見てきてほしいと頼まれ、オレは頷きその場を離れた。

 目だけではなく、鼻や耳を最大限にとぎすませてもそれらしい気配はなにもしない。

 オレたちポケモンがタマゴに離れること基本的に無いのだが、もしタマゴから離れるとしたら、それはきっとタマゴを守るために、なにかと戦う時くらいだろう。しかし、争った形跡は何処にもないし、それ以前に、ポケモンの気配すら感じない。この場所はどこまでも穏やかだった。

 なんの収穫もなく彼女の元へ戻る足取りは重い。
 頭の中は、あのタマゴのことで一杯だった。
 親は普通はタマゴから離れない。しかし、タマゴの親はどこにもおらず、近くに気配すらもない。タマゴから離れるような出来事があったようにも思えない。
 となれば、何故タマゴだけがあったのだろうと、自分の頭で考えられるものはひとつしかなかった。いやまさか。そんな……「捨てる」だなんて、そんなことがあるのだろうか。
 もしも、それが事実ならば、かつての自分もあのタマゴと同じ存在だったのだろうか。オレは「捨てられた存在」だったのだろうか。──

 これまで自分の生まれなど考えたことはなかったのだが、気付いてしまえば気になって仕方がない。
 ぐるぐると考えていると、ついに彼女のもとへ辿り着いた。
 優しそうな手付きでタマゴを抱える銀色のその人を見て、目の奥がじわりと熱くなるのを感じた。

 オレは自分が生まれた時のことは余り覚えていない。しかし、生まれた時、自分はひとりだったことだけはハッキリと覚えている。
 右も左も分からない。自分が何者なのか、生きる術を教えてくれる親も仲間もおらず、ひとりぼっちで、本能に従い、必死に生きていた。
 そうやっていつの日か今の仲間たちと出会い、色々なことを教わるなかで、ひとりで生きていた頃、抱いていた感情の名前を知った。
 胸の奥がじくじくと痛くて、沈んだ気分になっていたそれ。
 寂しい。悲しい。苦しい。
 そうだ。このタマゴは、自分のように、生まれた瞬間から、ひとりぼっちになるかもしれなかったのだ。
 このタマゴと昔の自分の姿と重なってか、今まで忘れかけていたかつての記憶が甦り、自分の顔が歪むのを感じた。


「おかえりなさい」


 彼女の声がして我に返った。
 余程顔に出ていたのか、何かあったのかと尋ねられてしまった。彼女に心配されて、何故だかとても情けない気持ちになった。
 
 なんでもない、と首を振る。
 半ば嘘であることを悟られぬよう、「タマゴの親は見つからなかった」と話をそらした。彼女もそれ以上問いただすことはせず、「見てきてくれてありがとう」と言った。


 これからこのタマゴはどうなるのだろう。無意識に視線は、彼女の腕に抱かれたタマゴへといっていた。


「私はこの子を孵したいと思っているの」


 このタマゴがどうしてここにあったのか。親が誰なのか。どんなポケモンかも分からない。でももし孵すことができたのなら、どんなポケモンかも分かるし、親を探すことや、親が見つからなくても、その群れに返すことは出来るかもしれない。孵ったこの子に最善の事をしてあげたい。と彼女は言った。


「旅は一旦中断になってしまうのだけれど……」


 困ったように笑う彼女に、オレは首を振った。
 何故ここへ導かれたのかは分からない。知らないままなら仕方なかったのかもしれない。だが、見つけてしまった以上。出会ってしまった以上、知らないふりは出来ないし、せずにはいられない。

 自分と似たこのタマゴを放っておけなかった。


 こうしてオレたちは、タマゴを孵す間、この場所に留まることとなった。




「……この子、あまり元気がないのよ」


 ポケモンのイシャであるあいつはそう言っていた。
 曰く、タマゴはあの状態で暫く放置され、世話をされていなかったのだろう──と。最悪の場合、孵らず、タマゴのまま死んでしまう可能性もあるそうだ。
 どうしたらいいのだろう。オレは何か出来ないのだろうか。そうだ、オレのあの力を使えば、元気なるのではないかと考えたのだが、この力はポケモンにしか使ったことがない。果たしてこの力をタマゴに使って良いものなのか。寧ろ回復するどころか悪化してしまうかもしれない。
 全くの未知数で尻込みをしていると、彼女がそっとオレの手をとった。そして、その手をタマゴへと引き寄せた。
 タマゴに触れた指先に、じんわりとした温もりを感じた。


「それでもこの子、頑張って生きてるの。強い子よ。だからきっと大丈夫」


 彼女は優しく微笑んだ。

 指先に意識を集中させると、僅かではあるのだが、とくとく──と、波打つような感覚が伝わってきた。
 これは心臓の拍動だろうか。
 脈を打つ度感じる。このタマゴは生きているのだと。
 大きさは、ココが赤ん坊だった時より一回りほど小さいタマゴ。それでも懸命に生まれてこようとしている。その姿に一瞬にして情のようなものが移ってしまった。

 自分に似ているから放っておけないなどという気持ちは消えていた。そんな面倒くさい過去の感情はもう無い。

 この子を守りたい。
 無事に生まれてきて欲しい。

 理由のない単純な気持ちへと変わっていた。

 オレひとりではどうにも出来なかったかも知れないが、ここにはオレよりもポケモンに詳しい彼女がいる。きっと大丈夫だ。
 この小さな命が無事誕生することを切に願った。


 それからオレたちは、簡単な巣を用意し、タマゴに細心の注意を払ながら、彼女と共に世話をした。といっても、オレに出来ることは余り無く、タマゴは、彼女が作った『かんいふかそうち』の中で、タマゴが無事生まれるよう彼女が診ている。

 難しい事はよく分からないが、『ふかそうち』とはタマゴが孵るのを助けるキカイらしい。しかし、これは簡易的なもので、ふかそうちと比べたら機能は劣るらしい。
 でも無いよりはきっといいと、彼女は言った。

 オレはポケモンなのに、人間であるこいつのほうがポケモンのことをよく知っている気がする。なんだか不思議な気分である。決して不快なものではなくて、こんなに詳しいのはポケモンを好きでいてくれているからなのでは、と嬉しい気持ちである。

 全てを彼女に丸投げする気は無い。だが、実際オレに出来ることは無い。それでも、オレも何かしたい。してやりたい。でも、何をすればいいのだろう。悩む頭に、ふと、昔ココとした会話を思い出した。

 ポケモンにはそれぞれ得意なことがあると。

 今でいうなら、あの人間は、タマゴの世話をするのが得意で、オレは得意ではない。得意でないことをひとりで無理にやる必要はなくて、周りの手を借りることも時には必要だと、例の一件で学んだ。

 自分なりに考えていて行動する事にした。

 彼女がタマゴの世話をする。その間オレは、きのみを採ってきたり、タマゴの親の手がかりを探した。日が暮れる前には戻り、夜は愛しい人間とタマゴを抱き、守るように眠った。

 そんな日々が続き、怪我したオレの腕も治った頃、タマゴもすっかり元気になった。意識をしないと感じられないくらい弱々しかった拍動も力強いものになり、時々タマゴが動くほどになった。もうちょっとでタマゴが孵りそうだと聞いて、安心と喜びを感じつつ、生まれた後のことを考えると少し不安もあった。

 何日もここで生活をして、オレはあちこちへタマゴの親の手がかりを探していた分けだが、何一つ痕跡はないし、探す場所をどんなに広げてもポケモンにすら出会えなかった。何かタマゴの親のことを知らないかと聞いてまわることさえ出来ず、このタマゴのことは何も分からないままである。

 タマゴを拾った瞬間から、何があっても最後まで責任を持って見届ける覚悟はしていても、やはり不安はある。ココの時のように、辛い思いをたくさんさせてしまうかもしれない。

 まだ起きてすらいない事に、あれはこれはと考えては、嫌な方向に思考がいってしまう。


 水浴びをしていたオレは、一度頭を冷やそうと、顔を思いきり水の中に埋めた。鼻から漏れる息は銀色の玉となって顔を沿い、水面へすり抜ける。不規則に弾ける泡の音とゆっくりと流れる水の音に、少しずつ頭が冷えていった。

 水面から顔をあげ、水を払うために左右に頭を振る。ポタポタと滴る雫が水面に落ち、そこに映る自分の顔は歪んで見えた。何て情けない顔をしているのだろう。


──あなたは優しくて責任感が強いから仕方ないのかもしれないけど、あまりひとりで抱え込まないで。私たちは番でしょう?もっと私の事を頼ってくれると嬉しいわ


 いつか彼女にそう言われた日も、こんなひどい顔をしていたのだろうかと、オレは自分の両頬を叩いた。
 そうだ。今のオレはひとりじゃない。隣に愛しい人間がいて、仲間だっている。抱え込む必要なんてないじゃないか。

 胸に重くのし掛かっていたものが無くなり、気分も頭もスッキリした。水浴びは済んだし、彼女とタマゴのもとへ戻ろう。
 川から出るために、脚に力を入れた時だった。


「きゃあ!!!」


 彼女の叫び声が聞こえて、オレは川から飛び出し、全身ずぶ濡れのまま走り出していた。
 オレが水浴びをしている間、彼女は川の近くの木陰で適当な石の上に座り、タマゴの世話をしていた。木や岩のせいでこの場所から彼女たちは見えず、危険な目にあっているのではないかと焦る気持ちから心臓が痛いほどに鳴った。

 彼女たちの姿が見えて、オレの目は大きく見開かれた。


「あら、あなた。水浴びをしていたのに大きい声をごめんなさい。何でもないわ。少しびっくりしただけよ」


 彼女の言う通り、ポケモンに襲われたとか、怪我をしたとか。危険に晒される様なことは何もなかった。
 ただひとつ、違うことがあった。
 彼女がいて、その腕にはタマゴが抱かれている。それは同じなのだが──


「急に肩に触れられて私が大袈裟に驚いてしまっただけなの」


 ソレは、銀色の小さな羽を振るわせて、彼女とタマゴの周りを楽しそうに飛び回っている。ソレはオレの存在に気付いたのか、緑色の瞳をこちらへ向けた。


「悪気はなかったのよ。そうよね?セレビィ」


 濃い桃色の体をしたそいつは、うんうんと首を縦に振った。
 セレビィ──最近姿を見ないと思ったら、こんな森の奥にいたからだったとは。どうりで会わないわけだ。それにしてもまさかこんな場所で会うとは思わなかった。神木を住処とするザルードとは事なり、セレビィは、神木を気に入っているようだが住処にしているわけではない。自由気ままに好きな場所へと飛び回っているから、この森の事はオレたちよりも詳しいはずだ。もしかしたら、セレビィは、あのタマゴの事を知っているだろうか。

 落としていた視線を持ち上げれば、再び緑色の瞳と目が合った。そして、そいつはにこりと笑った。


──ボク、タマゴのこと知ってるよ


 まだ何も言っていないのに、セレビィはそう言った。
 だが、何を知っているのかと聞く間もなく、セレビィは宙返りをすると、この開けた水辺から、木々が繁る森の中へと飛んでいった。元から小さい背中が、小さく遠ざかっていく。

 やつが笑った時から、何か嫌な予感はしていた。
 セレビィは、本当にタマゴの事を知っているのだと思う。しかし、あいつの性格は気まぐれで悪戯好き。オレが「待て!」と呼び止めても、チラリと後ろを振り向くだけで、飛ぶ速さを緩めようとはしない。あいつのことだ。おいかけっこで追い付いたら教えてあげる、とかそんな所だろう。
 遊びに付き合っている場合ではないと、一言言ってやりたいのだが、見失ってはどうしようもない。


「きゃっ……!!」


 いきなりオレに抱えられた人間は、驚きからか短い声を上げた。いつもなら、すまない、と謝るのだが、今はそれどころではない。

 腕の中にいる人間とタマゴを落とさないよう気を付けながら、蔓を伸ばし、木から木へと渡る。オレたちが着いてきている事に気付いたセレビィは、チラリとこちらに視線を向けると、ぐんとまたスピードを上げた。こちらは人間とタマゴを抱えた状態だというのに、全く容赦がない。

 息は上がり、疲れから手足の先が痺れ出す。セレビィに追い付くどころか、寧ろどんどん距離が開き、離れていく。見失わないようにするのに精一杯だった。
 目が霞んで、上手く呼吸が出来なくて胸が苦しくても、セレビィを追った。やっと見つけたタマゴの手がかりを。親を。無事に生まれて親に育てられて、仲間と暮らし、立派に育つという、このタマゴが幸せに生きる手がかりがあるというのに、目の前で見失う訳にはいかなかった。

 追うことに必死で、周りの景色など気にしている余裕はなく、途中、森ではない、細い蔓で出来たうす緑色の淡い光を放つ不思議なトンネルの中を駆けていることさえも気付かず、ただただセレビィの背を追い続けた。

 トンネルの出口に差し掛かり、先を行くセレビィの姿が外から差し込む光に包まれる。あまりの眩しさに思わず目を細めた。それでも脚は止めず、すいすいと上空を飛び回るセレビィしか見ていなかった。トンネルから出たその先が下向きの緩やかな傾斜だというのは当然見えておらず、いつかの日のようにぐるりと視界が回った。


「っ……!!!」


 はっと我に返り、タマゴと、それを抱える人間を自分の胸に引き寄せ、体を丸めて受け身の体勢をとった。転がるように斜面を下り、止まった頃には、どっちが上か下かも判らないくらい頭がくらくらしていた。幸い、硬く凹凸のある斜面ではなく、柔らかい芝だったから、怪我どころか痛いところもない。
 オレの事はどうでもいい。それよりも、人間とタマゴの方が大事だ。
 丸めていた体を解き、未だ揺れる視界の中にふたりを収める。青い瞳と目が合って、視界は徐々に鮮明になっていった。


「私もこの子も大丈夫よ。それよりもあなたは?怪我はしてない……?」


 彼女もタマゴも無事であることに安堵し、オレも怪我はしていないと首を縦に振った。
 お互い怪我が無く、ほっとしつつ、今度はまた別の問題が発生した。

 セレビィを見失った。

 先ほどまでいた、蔓でできたあの不思議なトンネルから見失いつつあったのだが、においでなんとか追えていた。しかし、今は姿も見えなければ、花のような甘いにおいさえしない。完全に見失ったといって良いだろう。

 きょろきょろと辺りを見回したが、やはり姿は見えない。
 さっきまで、なんとしても見失わんと必死だった。
 確かに、タマゴの親を見つけて、その後タマゴが幸せに生きる「未来」は大切だ。しかし、今この瞬間も大事であって。「今」がなければ「未来」はない。「今」、オレの腕の中にいる人間とタマゴを危険に晒してまで、セレビィを……。「未来」を追ってはいけなかった。守るべき順序を間違えていた──と、気付けたからだろうか。あんなに熱くなっていた頭は、今はすっかり冷えて妙に冷静である。

 この人間はいつだってオレと向き合ってくれる。
 今だって、なぜ急にあんなことをしたのかと怒るのではなくて、「理由があってのことでしょう?」と、微笑んでくれている。だからといって、この人間に甘えすぎてはいけない。
 そんな自分が情けない。でも同時に、オレを否定せず受け入れ、向き合ってくれる彼女の気持ちが嬉しくもあった。

 二つの感情が混ざり合い、気分が落ち着かない。それでもどうにか気持ちを伝えたくて、オレは彼女を抱きしめた。
 優しく、そっと抱き寄せたつもりだったのだが、彼女はビクリと肩を跳ねさせた。そして、大きな声を上げた。


「待って!あなた!タマゴがっ──!」


 強く抱き締めすぎてしまったかと焦ったのも束の間。今度は自分の肩が跳ねた。慌てて腕を解き、彼女の体を離した。
 彼女の腕に抱えられたタマゴを見て、思考が停止した。

 タマゴのてっぺんに小さなヒビが入っていた。

 さっき彼女を抱き寄せた時の衝撃でタマゴにヒビが入ってしまったのだろうか。
 オレはなんてことをしたんだ。どうしたらいいのだろう。ヒビが入ったら、もうこのタマゴは孵ることはできないのだろうか。今からでもどうにかならないのか。目眩を感じるほど、気が動転していた中、ソレは動いた。

 ぐらりと一度。しばらくの間の後、また一度揺れ、その間隔は短くなり、タマゴのヒビはどんどん広がっていった。
 動揺してたから、目の前で何が起きているのか理解出来なかった。目に映る情景を受け入れるだけで精一杯だった。
 頭の整理が着かぬまま、ついにタマゴが割れた。割れたタマゴの殻が地面に落ち、タマゴの中を見たとき、オレはやっと、「タマゴが孵った」のだと理解した。
 オレのせいでタマゴが割れてしまったと、心臓が止まる思いから一変し、無事生まれてきてくれた事に激しく安堵し、そして何より嬉しかった。
 タマゴから出てきた小さなポケモンは、その瞼を振るわせるとゆっくり目を開いた。
 オレたちと目が合うと、そいつは「きゅう」と可愛らしい声で鳴いた。
 そして彼女は言った。


「この子……、あなたにそっくりね」


 赤と緑の瞳。毛の色は黒く、姿形は彼女の言う通り、オレとそっくりだった。唯一違うところ言えば、目の周りや体の模様の色が、灰色ではなく、若干金色が混ざったような色をしている事だろうか。それを除けばオレと同じである。つまり、こいつはザルードってことだ。

 タマゴの中のポケモンはザルードだった。オレはザルードだし、こいつの手助けをしてやれるだろう。生まれてくる前にしてやれることはほぼ無かったが、これからしてやれることはありそうだ。
 なによりも無事生まれてきてくれてよかった。
 だが同時に疑問が湧いた。なぜあんな場所にタマゴがあったのか。
 オレたちは神木を住処にしているし、仲間の誰かがあの場所にタマゴを置いたとは考えられない。ならば、神木からずっと遠いあの場所にも実はザルードの群れがあって、タマゴがあったのか。いいや、それも考えにくい。オレがあちこち見て回った時に、そんな痕跡はなかった。

 訳が分からない。混乱する頭の上で、不意にクスクスと笑う声が聞こえ、反射的に声がした方を向いた。

 そこには、見失ったと思っていたセレビィが口に手を当て、何か企んでいるような笑みを浮かべていた。
 そうだ。オレは、タマゴの親を知っているといったこいつを追ってきたんだ。タマゴも無事生まれた。もう追いかけこっをする必要もない。散々セレビィに振り回され、苛立ちを覚えたオレは、セレビィに向かって叫んだ。
 もう追いかけっこはいいだろう。こいつの親はどこにいるんだ、と。
 オレは大きな声を出したのに、セレビィは驚くこともせず、笑みを崩さないままだった。相変わらず何を考えているのか分からない顔でこちらを見つめるセレビィの腕が、風になびくように滑らかに動いた。あまりの自然さに、その指先が何かを指差しているいるのだと気付くのに少し時間が掛かった。
 指の先はこちらを向いている。オレは自分の背後を振り返った。しかし、そこには何もない。誰も居ない。どういうことなんだと、もう一度セレビィに向き直るが、その腕は既に下ろされており、セレビィは、可笑しそうに、意味あり気にクスクス笑うだけだった。そして軽やかに上空に舞い上がると、光の中へ姿を消した。

 タマゴから生まれたばかりのこのポケモンの親は分からず終い。「知っている」と言っていたセレビィは居なくなってしまったし、もうこの件でセレビィが姿を表すことは無いと、直感的に思った。

 頼りにしていた手がかりはもう無い。これからどうしようか。
 セレビィが指差したのはオレではなくて、その先に何かあるかもしれないと、様子見程度の気持ちで、オレたちはその方向へ進むことにした。歩く度、土を踏む感触の心地よさと、足によく馴染むのを感じた。
 どうしてだろうと疑問を抱くうちに、オレたちはついに辿り着いた。草の茂みを抜けた先に広がる景色は、見覚えのあるものだった。見間違えるはずもない、オレが育った森の景色。
 オレたちは、神木からずっと遠い場所に居たはずなのに。セレビィを追って此処に来るまでにまだ一日も経っていないどころか、陽ままだ高いままである。どう考えてもおかしい。
 それは、隣にいる人間も同じ様に感じたようで、信じられないと目を丸くしていた。「セレビィの力なのかしら?」と彼女は言った。

 それからオレたちは、なんとなしに足を進めた。行く先は仲間のいる神木である。手を繋ぎながら、ゆっくりと歩く。ふと彼女が、「旅行楽しかったわ」と微笑んだ。そうか、神木に着けば、シンコンリョコウも終わってしまうのか。もう少し楽しみたかったと感じつつ、今度は別の何かが始まるような予感がして、それほど寂しさは感じなかった。

 無事帰ったと伝えるために神木へ来たのだが、オレたちを見るなり仲間は固まった。仲間の視線の当然、彼女の腕の中ですやすやと眠っている小さなポケモン。──生まれたばかりのザルードへと注がれていた。
 あのリーダーさえ、口をポカンと開けて驚いている。みんな同じ顔をして驚いており、面白くてつい笑いそうになったが、オレはこれまでの経緯を説明した。
 話し終えると、なんだそういうことかと、これまた皆同じ顔をしていた。


「それで、こいつの親についてなんだが……」


 最近生まれたタマゴを失くした番は居ないかと尋ねたが、タマゴを失くすだなんてあり得ない、そんなことがあるはずないと、あちこちから声が聞こえた。


「長老。此処以外にもザルードの群れはあるんでしょうか」
「そうじゃなぁ。この森も広い。無いとは言いきれんじゃろう。……じゃが、タマゴだけがあったのも、お前がその場所で、どんなに親を探しても見つからなかったのなら、……つまりは、そういうことなのじゃろう」


 つまりはそういうこと──つまり、こいつの親はいない。そういうことだ。


「なら……」


 この小さな存在に出来る最善はなんだろうか。
 いないのだから親は探してやれない。ならば、たくさんの仲間に囲まれて育つことが。群れで暮らすことが、こいつにとっての最善だろうか。
 タマゴの時から今までずっと守ってきた存在が、自分の側を離れて群れで暮らす事に寂しさを感じてしまう。でもこれは、オレの気持ちの問題である。
 考えがまとまらず、言葉をつまらせるオレに長老は言った。


「それならお前さんたちが育てればよかろうて」
「なっ……」


 予想もしない発言に、オレは固まった。そんなことはお構いなしに、長老は続けた。


「なによりその子は、お前さんたちを親と思っているようだしのう」


 にこやかに笑う長老の目線は、オレの隣に向けられていた。
 彼女の腕に抱かれる小さなザルード。いつのまに起きたのか、風で揺れる彼女の銀色の髪を不思議そうに眺めては、弄るようにして遊んでいる。じっと見ていると、オレと同じ目の色をしたそいつと目が合った。突然のことで体が固まったが、それも一瞬の事だった。


「きゅう!」


 ぱっと花を咲かせたような笑顔を見せ、オレに手を伸ばした。無意識にその手に、自身の指先を寄せており、その指先を握られた。
 初めてタマゴに触れたあの時と同じ温もり。じわじわと染み込んでいくやわらかな温もり。胸の奥から勢いよく沸き出る感情に激しさはなく、ふわふわとした穏やかな感情が広がった。透き通る赤と緑の瞳に吸い込まれた。


「……はい」


 胸が一杯になって、それ以上言葉か出てこなかった。
 風が吹き、銀色が舞う。その銀色を辿れば、今度は深い青色があった。彼女と目が合っただけ。何も言葉を交わしたでもなく、意志疎通が出来たわけでもなく、オレたちは頷いていた。

 この瞬間、オレたち番は、森の奥深くで見つけたタマゴ生まれた、小さなザルードの親となり、小さなザルードはオレたち番の息子となった。
 いいや。「なった」のではなく、自覚しただけかもしれない。本当はもっと前から。タマゴを見つけた瞬間から。タマゴに触れ、温もりを感じた瞬間から、オレたちはとっくに親だったのかもしれない。


 あれからどれくらいの時が過ぎただろう。
 ホシガリスより一回り小さかった息子は、モロバレルやガントルと同じくらい大きくなった。まだまだオレより小さいが、いつかオレよりも大きくなると、毎日のように言っている。

 不意に、きらりと輝いた金色がオレの目を指した。
 これは太陽ではない。これは息子の色だ。


「とうちゃーーーん!!ぼーっとしてないで、はやくかあちゃんのところにいこ!!」


 生まれたばかりの頃は気のせいかと思っていたのだが、息子の体の色はオレたちとは少し違った。体は黒で同じ。しかし、腹や目の回りの色は灰色ではなく金色である。

 煌めく金色の眩しさに、オレは目を細めた。

 いつの日か、なぜ自分だけ他のザルードと違うのかと疑問を抱く時が来るだろうか。


「あぁ、今行く」


 例え自分の存在に疑問を抱く時が来たとしても、自分という存在を疑わないように。決して悲しい思いをさせないように。親として、これからも息子と向き合い、成長を見守っていこう。


「あらふたりとも!遅いから心配したのよ?もう」


 彼女のシゴトバに着き、息子は、ごめんごめん!と言いながら母親のもとへ駆け寄った。
 視界の銀と金が混ざり合い、それはとても綺麗だった。
 

「やあふたりとも!あれ息子君!また大きくなったんじゃない?いやぁ〜!成長期は恐ろしいね!僕なんてあっという間に追いこされそうだ!」


 少し離れた場所に居た友達は、楽しそうに笑いながら、オレたちを迎えた。
 その言葉に息子は「あったりまえだろ!」と胸を叩いた。その得意顔といったらない。親のオレでも、思わず吹き出しそうになる程だ。


「子供の成長は早いもんだねぇ〜」


 あぁ、全くだ。
 昨日まで出来なかったことが、次の日には出来るようになったり。少しずつ大きくなっていく背中に、喜びを覚えつつ、同時に寂しさもある。
 それが親心というものだ。上の息子──ココのときもそうだった。


「いつか君の、もうひとりの息子君にも会ってみたいなー」


 友達はオレの隣に並ぶと、独り言のような、それにしては大きい声で、オレに語りかけるような声でそう言った。


──ココ


 ココが旅に出てから、今まで一度もこの森に帰ってきたことはない。それでもお前の事だ。きっと上手く、立派にやっているのだろう。

 早く帰ってこないかと。会いたいと。思わなかった日はない。
 どんな場所に行ったのか。どんな出会いがあったのか。どんな旅をして来たのか。たくさん話をしたい。
 オレの小さな願いである。

 それでも、人間とポケモンの架け橋になると、強く願い、知らない地で、なれない環境で、努力するココが、その理想を実現できることが、オレの望むこと。大きな願いである。

 お前はきっと身も心も大きく成長して帰ってくる。
 その時オレは、お前に恥じない父親でありたい。

 この森も随分と変わった。

 オレたちザルードは、掟の意味を正しく理解しておらず、長い間、森を我が物のように思い、他のポケモンに対して、腕力に訴えていた。

 だが、例の一件があってから、以前は決して混じり合えなかった、オレたちザルードと森のポケモンたちは、互いに歩み寄り、協力し、支え合いながら生きるようになった。

 ポケモンとだけじゃない。人間とも助け合って生きている。傷つけられた神木も、薙ぎ倒された木々も元通りになりつつある。森を破壊した人間。ポケモンを連れ去り、大きな傷を負わせた人間。いろんな人間に出会ってきたが、それでもオレは、無条件で人間を遠ざけようと思えない。人間を嫌いになれない。

 あぁ、そうだ。オレにも友達ができた。それも人間の。時々鬱陶しいと感じることもあるが、悪くないと思っているのもまた事実。
 仲間とも少し違う友達という存在。ココのトモダチはどうなのか。帰ったら聞かせて欲しい。



 なあ、ココ。お前は今のこの森を見て、どう思うだろう。お前が思い描いたものに近づいているだろうか。

 オレも、ココのような、ポケモンと人間の架け橋でありたい。


「あなた」


 名前を呼ばれている訳ではないのに、それは自分に向けられたものだとハッキリ分かる。白い頬を少しだけ染め、太陽の光を受けて柔らかく輝く銀と青。
 呼ばれる度。この笑顔を見る度。穏やかさを感じる度。この人間に出会えて良かったと心からそう思うのだ。


──あぁ、今行く


 オレは地面を蹴った。


 これから先、どんな困難があろうと生きて行こう。

 仲間と、友達と、愛しい家族と。そしてこの美しい森と共に。──





密林の花嫁──fin.
 









【あとがき】

祝・完結!です!!!
ここまで読んでくださりありがとうございました!
作品を書き始めたのが2021年の1月……。完結に3年もかかってしまってすみませんでした!!!
ここまでお付き合いしてくださり感謝してもしきれません!


あとがき……ということで、この作品について少し語らせていただきます……←


映画見た瞬間とうちゃんに惚れましたよ!はい!恋しました!!!(劇場で6回観に行って、手持ちポケモン6体全部とうちゃんザルードにして、ワイルドエリアでキャンプしました笑)

映画冒頭のオープニング……。

とうちゃんが赤ちゃんのココを育てているシーンで完全に惚れました……。

ちゃんと子育てしてる!人間の事なんか全く分からないのにイヤイヤ期に苦戦しながらも頑張っている。ココの親がいないかもしれないと察して、ココを育てる。親になる覚悟を決めた瞬間のとうちゃんで陥落です。

映画開始数分でとうちゃんのこと大好きになりました!!(私と同じ方います!??いますよね!!←)

映画見終わった瞬間から創作してしまいましたとも!!!!
そして勢いで書き始めました……。。

タイトルの「密林の花嫁」ですが、詳細設定決めずに、「ジャングルでポケモンと人間が結ばれるから〜〜」と、適当につけたんですよね。

なので、「主人公が自暴自棄になって自◯したくなるくらいしんどい出来事ってなんだろうね?」
とか、1話目を載せてから考え始めたくらいのグダグダ設定だったのですが、よくここまで色々とこじつけて書けたなーと……(白目)
主人公がオコヤの森に来る理由(妹の結婚式会場)も後付けです(白目)


映画の主題歌「ココ」がすごくすごく好きで、
「恐れにまかせて爪を立てないように」のフレーズが特に好きで、小説部分にぶちこみました←
※主人公がポケモンハンターに怪我をさせれて、とうちゃんが主人公を失うかもしれない恐怖にカッとなり、暴走してたとうちゃんを止めるため主人公が怪我をする回


あと、主人公が一度オコヤの森から去るのも当初の予定では無かったりします。
書いているうちに「どこかでココを登場させたいな」と思って、急遽変更したような感じです。完全に思い付きでした。
なので、途中書き直しをしたりとご迷惑をお掛け致しました。すみませんでした!!!


行き当たりばったりで書きつつ、落ちはなんとなく決めていて、
とうちゃんと主人公が結婚式をするシーンなのですが、
当初は、
とうちゃんがオコヤの森に主人公を繋ぎ止める方法はないかと考える

「まずは人間のことを知ろう」と、ミリーファタウンに偵察に行く。

ミリーファタウンの式場で、男女が幸せそうにしているのをみて、「あれをすればあの人間を繋ぎ止められるのではないか」と考える
※とうちゃんはそれが結婚式で、人間が愛を誓い合う式とは知らない。なんとなく「あれなら」という感覚

結婚式の様子を思い出し、森のいい感じの場所を探して、ひとりで少しずつ準備する

主人公を呼ぶ

ふたりきりの結婚式

END


の予定でした。

書いていて、人間の生活を見ただけで、人間の生活のことを全く知らないポケモンが、そこまで理解するのは厳しいのではないかと思い、
これも急遽、とうちゃんに助言する「人間」を登場させることにしました。
登場人物が増えるのもなーと迷った部分はあったのですが、自分的にはこれでよかったのかなと思っています。

はじめは、とうちゃん、主人公、男の三人きりの結婚式にする予定だったのですが、「どうせならみんなにお祝いしてもらったら良いんじゃない!?」と思い立ち、森のポケモンやザルードたちにもお祝いしてもらうことにしました。
書いているうちにピコーン!と思い付いてしまって書き直す……、の繰り返しで、書くのに時間が掛かって、更新が長引くということをしておりました!!
はい!完全に更新遅れた言い訳です!!


あと、最後新婚旅行にいくのも思い付きでした(おい)
結婚式して結ばれてめでたしめでたし──。の予定で。
はじめに書こうとしていたのは、とうちゃんと主人公が森を歩いていたら、セレビィが現れて、「なんだろう?」と思ったら、セレビィにタマゴを渡された。
or
無事結ばれて、抱きしめあって眠っていて、朝起きたら腕の中にタマゴがあった(セレビィが持ってきてこっそりふたりに渡した)
みたいなのを考えていました。

ちなみに、最終話でセレビィを追っていた時に通った細い蔓のトンネルは、セレビィの力で作られたもので、ワープホールみたいなものです。
蔓のトンネルは、あの時セレビィが作ったもの(一時的なもので、常にそこにあるわけではない)で、トンネルを抜けた先が、神木の近くだったのは、ワープしてきただけで、ふたりがタマゴを見つけた位置から神木までの実際の距離は、めっっっちゃくちゃ遠いです。
あと、タマゴから生まれた赤ちゃんザルードは、色違い個体です。



思い出せば思い出すほど行き当たりばったりな小説でしたが、こうして無事完結させることができ、今はほっとしています……!


ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました!!!

とうちゃんの夢小説とか需要あるのか!?と思いつつ、「とうちゃんが好き!!」という勢いで書き始め、なんとなくでpixivをはじめ、投稿させていただきました。
pixiv初投稿作品がこの小説で、皆様のいいね、ブックマーク、コメントには大変励まされました!ありがとうございました!!!
あと、とうちゃん夢女子が自分以外にもいて、とても嬉しかったです!!←


まとまりのないあとがきをここまで読んでくださったあなたは聖人です。

自分はとうちゃんザルードの夢女子でもありますが、リーダーザルードの夢女子でもあります。(なんの告白)

リーダーザルードの夢小説も書きたいなと思っています(ドンドンパフハフ!!!)

二作品考えていて、タイトルは、
ひとつは「神木と共に」。もうひとつは、「迷子は時には役に立つ!」のふたつです。

「神木と共に」の方は、特殊能力持ちの主人公。過去に闇あり、訳あり主人公です。原作沿い小説です。

「迷子は時には役に立つ!」の方は、方向音痴の主人公がオコヤの森で迷って、リーダーザルードに助けてもらい惚れる。みたいなストーリーです。
※こちらは、「密林の花嫁」と同じ世界線です


話数的に「神木と共に」の方が短いかな〜という感じなので、こっちを先に書けたらなと思っています。


以上、宣伝でした!!!←


最後に……。
この作品で少しでも皆様に胸キュンをお届けできていたらいいなと、思っております!
そうでなくても、読んでいただけただけで大大大満足でございます!!


最後までご閲覧ありがとうございました!!!

戻る】【TOP
拍手】【更新希望アンケート
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -