12.さぁ、手を繋ごう

 朝だ。食欲はないが腹が鳴って煩くて、それを黙らせるために味のしないきのみを飲み込む。したいこともするべきこともなく、再び寝るにも目はすっかり覚めて寝れない。重い体を起こして家を出る。適当に森を歩いて日が暮れれば家に戻って無理やり眠る。
 目を閉じても開いても、夜眠って朝に目覚めても輝く銀色はもうどこにもない。腕の中は冷えきって、熱を持っていた頃が嘘のようだ。
 こんな日々を送るようになってどのくらい経っただろう。数える気も思い出す気も起きない。ただ生きるために飯を食い、眠りに落ちる。あんなに鮮やかに輝いていた森は、川は、空は全て色を失った。
 原因?そんなもの分かりきっている。あいつが隣に居ないからだ。あいつはもうこの森にはいない。あいつは、この森にある人間の村よりずっと離れたところから来たと言っていた。オレの知らない遠い人間の村に行ってしまったのだ。
 あいつを理由に群れを抜けていたがもうその必要は無くなった。群れに戻って仲間と神木で暮らすことも出きるのに、オレは未だに此処にいる。群れに戻れば、あいつが此処に居ないと認めたことになる。オレはそれができない。どうしても。



 森を歩けばあいつとの思い出が浮かんでくる。あんなことがあった。こんなことがあった。どれも鮮明に思い出せるのに、目の前にあいつはいない。見ているものと頭に浮かぶ光景が一致せず、混乱してしまう。
 自分の中が空っぽになったような感覚に襲われる。何かが抜けたらその分軽くなる筈なのに、足を引きずるようにしか歩けないし、腕を動かすのが億劫になるほどに重たい。
 ひとりになりたくて、何も考えず歩いた。
 胸の奥が痛い。それは体の奥深くまで蝕んでいて、抉っても届きそうにない。例え、胸に風穴が空いたとしても、この痛みから解放されることはないだろう。
 あいつは、体が裂けてしまいそうなほど痛いと言っていた。その通りだった。体のあちこちを引き千切られているみたいだ。あいつもこんなにも痛い思いをしていたのだろうか。痛くて痛くて堪らないというのに。
 あいつは、どんな薬でもこの傷は直せないと言った。泉の力があったとしても。あの時は理解できなかった。泉に治せないものは無いと思っていたから。だが今なら分かる。この傷は泉であっても治せそうにない。
 オレには時間が必要だった。この傷を癒すための。この傷を、癒す薬は「時間」なのだから。


 ふと鼻を掠めたにおいにはっとして、顔をあげた。
 目の前には花畑が広がっていた。森の木々に遮られることなく太陽の光を一身に受けたそれは、小さくありながらも力強く輝いている。オレは膝を曲げてそっとそれに触れた。
 ここはあいつと来たことがある場所だった。


*  *  *


 飽きもせず、森を案内するといってホシガリスにつれ回されていたある日だった。よく晴れたその日は雲ひとつなく、澄んだ空がどこまでも広がっていた。あいつは日に照らされ、花に囲まれ笑っていた。とても綺麗で見とれていた。太陽みたいに眩しくて、視線を反らした。
 あいつとホシガリスの会話をなんとなく聞きながら足元に目をやると、健気に咲く黄色い花が風に揺られ、何気なくその花に手を伸ばした。
 手に取ったそれに不思議な感情を抱いた。花は食うものだと思っていた。しかし、あいつは花は見て楽しむものでもあると、花を綺麗だと言った。その時はよく分からなかった。そんな風に考えたことはなかったから。
 たが、かつてこれほどまでに花を美しいと思ったことがあっただろうか。様々な色で己の存在を示す花はとても輝いて見える。綺麗だと思った。同じ景色の筈なのに、今まで見たことのない世界がそこにある。自分の世界が広がっていく、そんな感覚を覚え、心が震えた。



「フシッ!!」



 ホシガリスが機嫌のよい声でオレを呼んだ。頭に輪になった花を乗せている。「はなかんむり」と言うらしい。作って貰ったと、ホシガリスは自慢げに胸を叩いた。
 それにしても器用なものだ。どうなっているか分からないが、茎が絡み合っているように見える。花は小さすぎて、オレの手では花弁を散らせないように摘むくらいしか出来ない。



「これはあなたの」



 頭の上に何かが乗せられた。甘い花のにおいがして、ホシガリスの頭の上にあるのと同じ「はなかんむり」であると察した。
 自分がどうなっているか見ることは出来ない。近くに川や湖があれば、自分の目で見れたのだが。花に囲まれ、はなかんむりを乗せた自分の姿を想像してみた。



「やっぱり似合うわ」



 青い目にはオレがいた。想像していたものとほぼ同じ姿を映している。白や青、桃、橙など色とりどりのはなかんむり。そしてホシガリスのような可愛いとはかけ離れた体と目付きのオレ。とても似合っているとは思えないし、喜べない。
 そう思いながらも、どこか嬉しいと感じている自分がいる。なんというか、胸奥がむず痒い。
 自分の分は作っていないのか、目の前の人物は銀色の髪をなびかせるだけだった。
 花はオレなんかよりこいつの方がずっと似合う。オレのはなかんむりをこいつに返すのは気が進まない。似合わないとはいえ、オレのために作ってくれたのだ。それを返すのは悪いだろう。かといって、初めて見たはなかんむりをオレが作れる筈もない。
 どうしようかと考えていると、先ほど手に取った黄色い花の存在を思い出した。



「これを私にくれるの?」



 差し出したのは一輪の花。はなかんむり程の華やかさはない。しかし、小さなこの花は、オレが初めて美しいと感じた花であり、このはなかんむりと変わらぬ輝きを放っている。
 オレが頷くと、あいつは「ありがとう。嬉しい」と言って目を細めて笑った。オレが貰ったものには遠く及ばないのに、喜んでくれたことが素直に嬉しかった。
 オレが差し出した花をそっと小さな手で包むと、それを耳にかけた。



「似合うかしら?」



 銀色の髪が飾られ、煌めきを増した。鮮やかに笑うあいつは綺麗だった。とても似合っていた。
 それはとても眩しくてオレは目を反らした。胸の奥にある筈の心臓は、触らずとも激しく動いているのが分かる。



「ふふ。冗談よ。
あら?あなたもくれるの?ありがとう」



 ホシガリスは小さな腕に花を抱え、あいつにそれを渡すとピョンピョンと跳ねた。そうしてあいつはまた、嬉しそうに微笑んだ。





*  *  *



 素直に感情を表現できるホシガリスが何となく羨ましいと思ったのはあの時だっただろうか。
 もしもあの時、似合っていると素直に伝えられていたら、あいつはずっと此処に居てくれたのだろうか。
 もっと早くこの気持ちに気付いていたら、想いを伝えれたらこんな事にはならなかったのだろうか。
 もしもオレがポケモンではなく人間だったら、オレはあいつとずっと一緒にいられたのだろうか。
 今更考えてもどうしようもない。だってここにもうあいつは居ないのだから。それに、オレはあいつを止める勇気も、追う勇気も無かったのだから。
 何も出来なかったくせに思い出ばかりに浸って、後悔ばかりして、先に進めない自分に腹が立つ。だが、胸の奥が痛くて、心が痛くて仕方ないのだ。
 ズキズキと痛む胸をぎゅっと握りしめた。そんな時、森がオレに囁いた。ざわめく時とは異なり、オレを呼んでいるような誘っているような感じだ。穏やかに流れる風がオレを撫でると、ぴくりと鼻が震えた。気が付けばオレは走り出していた。

 そんな筈はない、ありえないと、そう思いながらも体は動くのを止めない。一心不乱に進み続け、たどり着いたのは見覚えのある場所だった。
 よく晴れた空には雲ひとつ無く、青い空と同じ色をした大きな川。その水面は太陽の光を浴びて揺らめき、そしてキラキラと光っている。森ではよく見る色である。しかし、そこには普通では見る筈の無い色がある。オレにとっては見慣れた色であったが、最後に見たのは遠い昔のように感じる。見間違える筈もない銀色がそこにあった。
 あぁ、此処はあいつの初めて出会った場所だ。
 オレは今何を見ているだろう。これは夢か、それともついにあいつの幻覚でも見るようになってしまったのか。
 夢であるならそれで覚めない夢になれば良い、幻であるならそれで消えない幻になれば良い。ずっと求めていた目の前にあるそれに、オレはふらふらとした足取りで近付いた。
 近付けば近付くほど強くなる甘いにおい。それは確かにそこに存在していることを示しているのに、信じることが出来ない。
 不意に銀色の髪が揺れ、先程までは見えなかった空と同じ青色がこちらを向いた。
 後ろ姿だけじゃない。この目も鼻も口も、全部オレが知っているものだった。
 川辺で膝を抱えて小さくなっていたそれは、こちらを向くなり目を大きくして、それから立ち上がり、転びそうになりながらもこちらへ駆けてくる。なぜだか体が動かない。頭も動かない。だが、時が止まること無く、それは気付けば自分の胸の中にいた。
 甘い香りが漂った。冷えきったこの胸は、腕は、確かに熱を持っていた。
 背中に回されていた腕がするりと解かれ、今度はオレの頬を小さな手で包んだ。
 温かい。これは夢でも幻でもない。これは、現実……なのか?



「思っていたより戻ってくるのに時間がかかってしまってごめんなさい。」



 あいつは長い瞬きをした。



「またあなたに会えて良かった……」



 穏やかに微笑むそれは、やっぱりあいつのもので、それが夢でも幻でもないのを証明するには十分だった。間違いない、間違える筈か無い。ここにいるの間違いなく、オレが心から求めた人物だ。震える手で同じ様に頬にてを伸ばした。とても温かかった。
 裂けてしまう程痛かった心の傷は何処かへ消えた。胸からは塞いでいたものが溢れて、空になった心を満たしていく。
 目が熱くなって、じわりじわりと視界がぼやけはじめる。自分の頬を何かが滑り落ちた時、それが何かを理解した。



「泣かないで……。折角の男前が台無しよ?」



 生死に関わる酷い傷を負ったときですら涙は出なかったというのに。涙なんて流した記憶がないから止め方が分からない。痛いわけでも悲しいわけでもない。それなのになぜこんなにも次から次へと溢れてくるのだろう。
 あいつはオレの困ったように眉を下げて、オレの涙を掬った。



「もう……。私がいなくてそんなに寂しかった?」



 耳がピクリと震えた。穏やかに言うあいつとは反対に、オレの中で何かが沸々と沸き上がる。
 あいつは、思っていたより戻ってくるのに時間がかかったと言っていた。つまりあの別れは最後ではなかったということ。それなら、胸を痛めることはなかったのに。この森に帰ってくるならそうと先にいってくれれば良かったのに。胸に抱いた感情は怒りに近いものだった。
 声を荒げると、あいつは目を丸くして驚いた。オレの気も知らずに……!!頬に置かれていた手を勢いよく振り払うと、乾いた音が辺りに響いた。



「ちょっと、あなたなんでそんなに怒って……」



 再会出来た事にほっとしていた筈なのに、今はそれどころではない。信じていたのに裏切られた気分だ。誰よりも信じていたのに。それなのに冷静でいられるなんて、そんなの無理だ。



「待って!私はあの時、『必ず戻ってくる』と言ったわ!」



 ピタリと周りの音が消え、川のせせらぎがオレたちを包んだ。目の前にいる人物は、真っ直ぐにオレを見つめているが激しく困惑しているのが分かった。
 オレはあの時の事を必死に思い出した。この森から出ると言われて、オレはそれを理解するのに、受け入れるのに精一杯で……。思い出せるものといえばそれだけだった。その日、どう眠ったか、どう目覚めたか、どうあいつを送り出したか。何も覚えていない。
 そうか、オレは何もかも受け入れず、拒絶していたのだ。だから何も覚えていないのだ。
 そして、はっとした。オレはさっき何をした?加減もせず、あいつの手を強く振り払ってしまった。痛々しく赤くなったあいつの腕に手を伸ばした。
 オレがしたかったのはこんなことじゃないのに。



「ごめんなさい。あなたの事、ちゃんと考えた気になっていた」



 オレの手に、小さな手が重ねられた。突然あんなことを言い出したら驚いたよね。ごめんねと、あいつは小さな声で言った。



「私、この森にずっといたくて、だから森を一度出たの」



 ずっと居たいのならずっと居れば良いのに。それだけなのに。矛盾した言葉に混乱したが、それをあいつは察したのか「人間の世界は色々と面倒なのよ」と困った顔をして笑った。



「あなたが好きよ。
あなたの隣に居るだけで幸せで、何処へ行くのも楽しくて、何をしていても楽しい。」



 笑ったあなたが好き。困っている姿は可愛らしい。私に触れる優しい手が、優しい眼差しが好き。何処までも温かいあなたが好き。と、あいつは続けた。全部オレと同じ気持ちだった。



「ずっとあなたの側にいたい。
愛しているわ」



 あいつは笑った。今までで一番綺麗な笑顔だった。目の前がチカチカと光って、あいつしか見えなくなった。風が吹いて葉が擦れる音も、流れる川の音も何一つ聞こえない。聞こえるのはバクバクと激しくなる自分の心臓の音だけだった。
 もやもやと霞がかっていた気持ちが晴れた気分だった。
 今までずっと考えていた。「好き」という言葉では表せないほどのこいつに対する大きな感情の名前を。好きを越える言葉の存在を。
 やっとこの気持ちの名前が分かった。これは、「愛している」というのか。
 


「もしも私と同じ気持ちだったら……。手を合わせてくれないからしら……?」



 白い手がスッと自分に向けられた。先程まであんなにも穏やかな表情をしていたのに、青い瞳はぐらぐらと揺れ、差し出した手は震えている。何かに怯えているように見えた。
 オレたちは、言葉を交わすことが出来ない。出来てもお互い何となく分かるだけで、全てを理解することはできない。どんなに好きと、愛していると行動で伝えても、言葉を伝えることは出来ない。
 しかし、今やっとその方法が与えられたのだ。手を重ねる。それ行動であるが、それによって伝えられるものは間違いなく言葉である。



ーーお前が好きだ。愛している。



 その意味を込めて、オレは差し出された手に己の手を合わせた。掌が重なり、互いの体温が混じり合う。じわりじわりと伝わる体温は、やがて全身へと広がっていった。
 何かに怯えた青い目は、いつもの力強さを取り戻した。



「嬉しい。ありがとう」



 そうして、眩しいほどキラキラと輝きながら笑った。初めて会った時、この美しい人間を「月のようだ」と思った。月も当然美しい。だから、こいつを月のようだと思ったのだから。
 でも今は月だとは感じない。穏やかに、静かに森を照らす月とは異なり、その輝きはとても眩しい。まるで太陽だ。
 漸く気持ちを伝えられて、そして気持ちが重なったことが嬉しくて、待ち望んだその存在を自分の中に閉じ込めたくて抱き寄せようとした時だった。
 あいつは何かを思い出したような顔をすると、「あまり自信はないのだけれど……」といって、喉を鳴らすと、それから言った。発せられたその言葉にオレは目を見開いた。



ーーあなたが すき



 それは人間のではなく、間違いなくオレたちの言葉だった。心臓がドクンと一度だけ大きな音をたてた。



「それと、もうひとつ聞いて欲しいの」



 これは伝言よ、とあいつはまた喉を鳴らし短く息を吸った。



ーー父ちゃん オレは元気だよ



 気付けばあいつを抱き締めていた。嬉しいのに、嬉しくてたまらないのに、涙が溢れて止まらない。止めることなど出来なかった。
 
 子は旅立つものだ。親はそれを送り出すのが役目だ。立派になった息子の背中を押した。あいつならなんだってやってのける。そう思いながらも、不安になってしまうのは親として当然である。だから、未だ一度も顔を見せない息子がどうしているのか、無事のか気が気ではなかった。だが、確かにそれはココの言葉で。不安など何処かへ吹き飛んでしまった。立派にやっていると、それだけで十分だった。そうして、旅に出ると言ったときの事を思い出した。
 あぁ、オレの自慢の息子よ。お前は立派な架け橋だ。



ーーオレとこいつを結んだのはお前だったんだ


戻る】【TOP
拍手】【更新希望アンケート
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -