10.過去は消えない
森のポケモン達が消える事件はあの日以来起きていない。消えたポケモン達は全員、やつらの持っていた箱に入っていた。ナゾノクサ程ではないとはいえ、みんな怪我をしていたが、泉の力もあって今では元気に森を駆け回っている。力を使いすぎて、あちこち痛かったオレの体もすっかり良くなった。
やつらは……、あの悪い人間は一体何者だったのか。あいつに尋ねると、やつらはポケモンハンターとかいうやつららしい。ポケモンを奪ったり、捕まえて、そのポケモンを辛い目にあわせると、あいつは言った。どんな目に合わせられるのか想像はつかないが、あいつが唇を噛む姿を見て、死ぬよりも苦しめられるのだろうと思った。
ただ捕まえるだけのポケモンハンターもいれば、やつらのようにポケモンを痛め付け、人間に対する恐怖心を受け付けて大人しくさせるポケモンハンターもいる。あの状況から、やつらがポケモンハンターであることは明白だったが、やつらは人間の世界では悪い意味で有名らしい。捕まらない自信があるのか、ボウハンかめらってやつにわざと写り込んで、わざと顔をあちこちに残しており、証拠がなくてもやつらをタイホできるんだとか。
こいつがイシャをしている時、やつらの様なポケモンハンターに傷つけられたポケモンをたくさん見てきたらしい。治療が間に合ったポケモンもいれば、手遅れで助けられなかったポケモンもいた、とそいつは言った。しかし、そんなポケモンハンターがもう悪いことができないように捕まえられて良かったと、少しほっとしたような表情でそいつは言った。
人間の世界のことも言葉も、知らないことばかりで、全てを完璧に理解は出来なかったが、『あとのことは人間に任せて』と言われた理由がなんとなく分かった。あのポケモンハンターたちは、信頼できる人間の所へリーダーが連れていったと言っていたから、もう心配することはないだろう。
やはりオレたちポケモンだけでは、やつらをどうすることも出来なかっただろう。人間のこいつがいて良かったと思った。こうしてまた、森に平和を取り戻せたのだから。
しかし、オレは忘れていた。こいつを守れたと思っていた。あの傷を見るまでは……。
* * *
あの時、かなりの力を使ったから、泉の力を借りても回復には時間を要した。その数日間は仲間の許可を得て、あいつも一緒に神木で過ごした。 あの一件で、いい人間も悪い人間もいるとみんな理解している。だから、今回の件もそれを理解している。この人間はいい人間だと認めたのか、このまま神木に戻ってくればいいと言われたが、あいつは、それでもここに人間がいてはいけないと思うと返した。ここはポケモンだけの場所だと、そう続けた。
そういうわけで、神木から家に帰ってきた。あいつは、いつもごめんねとオレに言った。迷惑だと思ったことはないし、オレは好きで一緒にいるんだ。寧ろ、オレは神木に戻って仲間と大勢で過ごすより、こいつとふたりきりで一緒に居たい。こいつの選択はオレの望みと同じだった。
神木を出た時はまだ日は高かったのに、辺りはすっかり暗くなっている。そう何日も経っていないというのに、久々に帰ってきたような感覚だ。きっと色んなことがありすぎたからだろう。
人間をオレの腕から下ろすと、くるりとオレの方を向いた。きらきらと輝く青い目に見つめられ、同じ様に見つめ返した。何か言いたげで、オレはじっとそれを待った。
風が吹けば消えてしまいそうなほど小さく震える声で言った。
「あなたが生きていてよかった……」
ふわりと甘いにおいが漂い、体がカッと熱くなる。胸に飛び込んできた熱に驚いて、体が固まった。遠慮がちに背中に触れる手の存在に気付き、抱きしめられていると理解した。
そういえば、こいつを抱きしめたことはあってもこいつから抱きしめられたのは初めてだと呑気なことを思いながらも、心臓はバクバクと大きな音を立てている。震えた体を落ち着かせようと、オレも同じ様にこいつの背中に手を延ばそうとした。しかし、その手が届く前にオレの胸からぱっと離れると、今度はオレの頬を小さな手で包んだ。先程まではぐらぐらと揺れていたのに、突き抜けるように真っ直ぐな瞳へと変わっていた。
「私を助けてくれてありがとう。
でも……あなたには生きていて欲しいから。だから……二度とあんな無茶はしないで……」
一瞬だけ、青が揺らめいたが、すぐまたあの真っ直ぐな青に戻った。
「お願い。約束して」
あの時、あいつがどんどん冷たくなっていくのが怖かった。どこまでも晴れた青空のように鮮やかなその色が何も映さなくなるのが怖かった。自分はどうなってもいいと思っていた。再び目を覚ます事が無くなってもいいと思った。失うことが何よりも怖かった。こいつのためにオレは消えてもいいと思った。
でも死を察した時、やっと気付いた。あいつが動かなくなって、触れてもらえなくなるのが怖い。それと同時に、オレが命を手放して、あの熱に触れられても何も感じられなくなるのが怖いと思った。オレは死にたくないんだと気付いた。
花をあげて喜ぶあいつが見たい。あいつと一緒にきのみを食べたい。一緒に同じ景色を眺めたい。ずっと一緒に居たい。オレはこいつと一緒に生きたい。ふたりでいないと意味がないんだ。
もしまたあの時と同じ様な状況になったら、オレは迷わず、あの力を使ってこいつを助けるだろう。
だが、死ぬ気は毛頭無い。こいつを見捨てて自分が助かろうとも思っていない。一緒に生きたい。だから、あいつがオレの力で救えるなら迷わず力を使うし、それで死ぬようなことになったとしてもオレは死なない。オレは何をしてでも生きたい。
自分でも滅茶苦茶なことをいっているという自覚はある。ただそれ程までに共に生きることを望んでいるのだ。
あいつへの返事として、オレは首を縦に降った。この先、あいつのいう無茶をするかもしれない。でも、オレは死ぬ気はないから。その約束だけは必ず守ると、胸の中で呟いた。
そいつは「絶対よ?」と念を押した。心を読まれているのかと一瞬どきりとしたが、オレの返事に満足したのか、そいつは「ありがとう」と言って微笑んだ。
「今日はもう寝ましょう」
そうしてオレ達は眠りについた。
眠る前、横向きになって、何かを話すわけでもなくお互いの顔を見つめ合った。何も考えず、お互いの存在を確かめているようなそんな感じだった。そうして、幾らか経った後、互いの手が同時にゆっくりと相手へと延びていった。何気なくて自然だった。オレ達は抱きしめ合っていた。この腕の中の温もりをもっと感じたくてゆっくりと目を瞑った。
胸の奥がふわふわと温かくなる。この穏やかな気持ちをオレは知っている。幸せってやつだ。ずっとこのままでいたいと願った。そして、オレの腕の中で眠るこの人間が同じ気持ちならいいのにと思った。
オレは幸せに身を委ねて深い眠りへと落ちていった。
相当深く眠ったのであろう。オレが目を覚ましたのは日が高くなった真っ昼間だった。
腕の中に居たはずのそれは、別の場所に居た。オレより随分前に起きたのか、あいつに触れていた筈の腕はすっかり冷えていて、物寂しさを感じた。
いつもは、オレと同じか、オレの方が少しだけ早く起きるからなんだか変なかんじだ。起こしてくれても良かったのにと慌てたが、起こすにもオレがあまりにも気持ち良さそうに寝ていたからそのまま寝かせていたと、柔らかい表情でそいつは言った。自分はどんな間抜けた顔で寝ていたのかと思うと恥ずかしさで顔が熱くなる。
「お腹が減ったでしょう?ご飯にしましょう!」
家に置いていたきのみは殆ど無かった筈なのに、部屋にはきのみが山積みになって置かれている。自分の記憶違いを疑ったが、ふたりではとても食べきれない量のきのみを置いておくことはしない。きのみが自然と湧く訳もなく首をかしげた。
「あなたが眠っている間に森のポケモン達が持ってきてくれたのよ。きっとあなたへのお見舞いとかお礼だと思うの」
余計に状況が分からなくなってきた。こんな事は初めてだったから。
過去は消えない。掟に縛られ、間違った解釈をして森を我が物のように思っていたことも、オレ達ザルードが森のポケモン達にしていたこともだ。
ずっと心に引っ掛かっていた。あいつらの仲間として受け入れてもらえたのだろうかと。かつての過ちを許してもらおうだなんて思っていない。それだけのことをした自覚はある。でも、森の一員として認めてもらいたいとずっと思っていた。欠けてはいけない森の一部として。
人間は、オレの見舞いに来たポケモン達の名前を指を折りながら挙げた。ポケモンハンターに捉えられていたポケモン、そうでないポケモンもたくさんいた。
「あなたはこの森の大切な存在なのね」
にっこりと笑ってあいつは言った。胸につっかえていたそれがすっと消えた気がした。オレは森の一員として認めてもらえたと。眠っている間に起きたことでとても信じられないが、大きな山になったきのみがそれを証明している。
適当に掴んだきのみを口へと運んだ。噛む度に目の奥が熱くなる。そのきのみは今まで食べたどんなきのみよりも美味しかった。
きのみはやはり残った。何時もより食べた気がするが、流石にあの量は無理だった。
きのみいれに入るだけ入れて、後はみんなで分けて食べるのはどうかとあいつは提案した。このままでは腐らせてしまうし、みんなで食べた方がずっといい。オレは首を縦に振った。
あいつはにこりと微笑むと、両手いっぱいにきのみを抱え、後ろにあるきのみ入れへと体の向きを変えた。オレはなんとなくその姿を目で追った。
その時だった。思わず目を細めてしまうほどの強い風が吹いた。美しい銀色が更に輝きをまして舞い上がる。煌めくそれに魅入っていたが、次には別のものが目に飛び込んできた。その風はまるでオレに『忘れるな』と言っているようだった。
長い髪でずっと見えなかったもの。風はすぐやんで見えたのは一瞬だった。けれど、それだけで十分だった。
ガンガンと頭が痛くなり、あの時の光景が思い出さされた。爪先には嫌な感触が蘇る。心臓は嫌な音を立て始めた。
オレが見たもの。それはあいつの背中。服は裂け、その隙間からは服と同じ様な痕がはっきりと見えた。肩から腰にかけて残るそれは、間違いなくオレがやったものだった。
体が震えだした。オレの力が足りなかった?だから、傷が残った?人間の体はポケモンよりずっと弱いから、泉の力でも完全には治らなかった?
いいや、違う。そもそもオレがあんなことをしなければ、こいつが怪我をすることは無かったんだ。
オレはこいつを助けたかもしれない。守ったかもしれない。しかし、同時にオレはこいつを傷付けたんだ。
オレは強い。何かを守る力はある。でもその力は、何かを奪うことだって出来るのだ。
きのみを入れ終えたあいつがこちらを振り返った。目が合うとすぐにあいつはオレの異変に気付いた。あんなことがあったのに、あんなことをしたのに、オレを恐れることもせず、今までと変わらず穏やかな色をした瞳でオレを見つめている。
「元から傷だらけだからこのくらいの傷痕対したことないわ」
イシャだった時、ポケモンに引っ掛かれたり噛みつかれたりして他にもたくさん痕が残っていると言った。だから気にすることはない、と。
「あなたがいなければ私は今頃死んでいたわ。あなたがいたから私は今生きているの。
あなたは私を守ってくれたのよ」
ーーでもオレが傷付けなきゃ、あんなことにはならなかった。
「悪いのはポケモンハンターよ。あなたは何も悪くない」
ーーそれでもその傷は消えない。
オレが悪くないなら、その傷痕はなんなんだ?この指に残る感触は?一体何なんだ?
もう訳が分からなくなって、頭の中がぐちゃぐちゃになってオレはそこから逃げ出した。珍しく大声を出して待ってと言ったあいつの言葉を無視して。
そうだ、過去は消えない。それは目に見える形で残った。
失いたくないと思っていた存在を、自分のせいで失いかけた。オレが守ったとしても、わざとでなかったとしても爪を立てた事実は変わらない。
ただでさえ力が強いというのに、あいつを失う恐怖で感情にのまれて力を振るって、またあんな風に暴れまわったら?恐らく、あいつはまたそんなオレをあの小さい体で止めるだろう。今度こそあいつを失うかもしれない。もしもそんなことになるかもしれないのなら、オレ達は一緒に居ない方がいいのかもしれない。
ーー共に生きたい
この願いは叶わない。ーー
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