09.熱い熱い温かい

 その手がずっと不思議だった。


 ホシガリスを撫でるその手を見ていた。他のポケモン達も、この人間に撫でられると皆気持ち良さそうにして目をつぶる。あの人間に撫でられると、ウソハチは怖がりのはずなのに眠ってしまうし、あの硬いガントルはなんだか軟らかそうに見えてくる。
 頭を撫でられるのはそんなに良いものなのか。自分でやってみたが、何も感じない。今まで頭を撫でることはあっても撫でられたことは無かった。
 興味もなかったが、あんな風に骨抜きにされているのを見ていると、興味が湧いてくるものだ。小さなポケモンは、撫でて撫でてとアピールをするが、オレがそんなこと出来るわけがなかった。眺めるばかりでただ時間だけが過ぎていった。
 そんなある日だった。相変わらずこの人間に森を案内するといって、散々ホシガリスに振り回されたが、日も落ちて家に戻ってきた。腹は減ったが、家に置いてあるきのみはほとんど無かった。きのみが自然と湧いてくる筈もなく、取りに行くしか方法はない。
 家にあるきのみを人間の前に置いてから、オレは自分の分のきのみを取りに家を出た。以前は両手の蔦を延ばして移動をしていた。しかし、ここ最近はあいつを抱えていることが多いからか、無意識に片手だけで移動することが増えた。片腕にあいつがいないと違和感を感じる。先ほどまで腕の中にあった熱は、夜の風に奪われていった。
 あいつが甘くて美味しいと言っていたモモンのみを少し多めに取って家に帰ってきた。先に食べているかと思っていたのに、あの人間の前に置いたきのみは少しも減っていない。ただそれは、大小ふたつの山に分けられていた。



「おかえりなさい」



 そいつは、オレの姿を目に映すと笑って見せた。初めて会った時もこの人間は美しかったが、あの時より輝きを増している。こいつが笑うと何故かチカチカと光って見えるのだ。
 オレに、いつもありがとうとと言うと、一緒に食べようと続けた。
 仲間と共に飯を食うのとこいつと一緒に食べるのは同じじゃない。仲間と飯を食うと言っても、輪になって食べることはない。各々が好きなものを好きなだけ食べる。きのみの成った場所についたやつからきのみを食べる。同じ場所で同じことをそれぞれでしているだけだ。
 しかし、こいつと食べる時は、言葉は通じないが会話をしたり、時々笑いあったりしながら食べた。なんだか楽しいと感じる。不思議だった。
 今日もその日にあったことを話しながら、腹一杯きのみを食った。飯を食ったら後は寝るだけだ。オレはその場でばたりと仰向けになった。屋根のせいで空は見えない。一度長いまばたきをすると、覗き込むようにしてこちらを見ているそいつの顔が映った。
 驚いて体を起こした。そいつはすっと、速くもなく遅くもない動きでオレに手をのばした。優しげな瞳に目を離せずにいると、頬に触れると思っていたその手は、いつもと違う場所に熱を与えた。



「あなたみたいな大きなポケモンは嫌がる子が多いのだけれど、いつもじっと見ているから……。
違ったらごめんなさい」



 その手の行く先はオレの頭だった。そいつの手がオレの頭で動いている。突然でかつ初めてのことで、撫でられていると理解するのに時間がかかった。
 確かに興味はあったが、いざ実際にされるとどうしていいのか分からない。ただ、悪くはなかった。その心地よさに目を閉じて、頭に伝わる熱を感じていたが、自分が喉を鳴らしているのに気付き、オレはその手を払った。
 乾いた音が森に響いた。そんなに強くしたつもりはなかったが、オレは慌てた。
 こいつはポケモンが嫌がるこは絶対にしない。もしさっきのことで、オレが嫌がったと思われたかもしれない。自分が甘えるような声を出していたことに動揺して手をはらってしまったが、頭の撫でられるのは嫌ではなかったのだ。
 それに、自分と人間の力の差は理解している。もしかしたら、痛かったかもしれない。
 おろおろとしていると、そいつは笑いだした。痛がってもいないし、気分を悪くした様子もなく安心したが、そいつの言葉に体が固まった。



「ごめんなさい、あなたが可愛くてつい」



 固まるオレをよそに、そいつは目を細めながら未だにくつくつと笑っている。可愛い……?オレが……?
 可愛いってのは、ホシガリスのような小せぇポケモンによく言われている言葉だ。当然オレは言われたことがない。可愛いと言われるポケモンと自分を頭の中で比べたが、どう考えても同じとは思えないし、撫でられていたときホシガリスのような間抜けな顔を自分がしていたのかも知れないと思うと、なんだかぞっとしてしまう。
 オレが違うと声を上げると、『可愛いなんて言われても嬉しくないわよね。あなたは格好良いわ」と言って、またくつくつと笑った。
 思わず顔を反らした。可愛いだとか格好良いだとか。こいつに言われてくすぐったくて、嬉しいと思ってしまっている。顔が熱くて仕方がない。どうすることも出来なくて、オレはまた、ばたりと仰向けに寝転んだ。



「あなたに嫌がられなくてよかった」



 そいつはぽつりと言った。背を向けていた体をそいつに向けた。暗がりでも分かるほど美しい髪をなびかせ、どこまでも広い空の様に青い瞳はオレだけを映していた。体が、一度だけ大きくドクンと脈を打った。
 そいつはまたオレの頭を二、三度撫でた。離れていく熱に、もの寂しさを感じていた。もっと触れられていたいと、そう思った。
 耳にきらきらと光る髪をかけると、そいつも体を横たえた。変わらずオレを見つめたまま、おやすみなさいと言って、ゆっくりと瞬きをした。それは段々とゆっくりさを増し、最後には動かなくなると、次には規則正しい寝息が聞こえてきた。
 夜風が銀色の髪をさらい、そいつの顔へと降りた。そしてまたひとつ、風が吹いた。この森は暖かいとはいえ、夜は昼に比べると少し寒い。オレは平気だが、こいつにとっては冷たかったのか、少し震えると体を丸めた。先程まで安らかだった顔には、眉間にシワがよっている。
 オレは、顔にかかった銀色の髪をはらうと、そのままその人間を自分の胸へと抱き寄せた。寒そうだったからなんてただの言い訳だった。本当はただ触れたかった。
 ちらりとそいつの顔を除けば、よっていたか眉間のシワは無くなっていて、穏やかな表情に戻っていた。いつも綺麗なのに今は可愛らしく見える。自分でも顔が緩んだのが分かった。
 触れているところが温かくてそして熱い。胸の鼓動も落ち着きがない。だが、不快どころか寧ろ気分が良い。もう少しこのままこいつを見ていたかったが、不意に睡魔襲った。オレは、さっきよりも少しだけそいつを自分の胸に寄せて、重くなった目蓋を閉じた。


ーーあぁ……、今日はよく眠れそうだ。


 こいつとオレの鼓動が重なるのを感じながら、深い眠りへと落ちていった。


 次の日も、そのまた次の日も、こいつと色んなものを見て、感じて、笑い合った。楽しいことや嬉しいことがたくさんあった。こいつとの思い出は全部温かい。



 
 今は夢を見ているのだろうか?何か心地の良い温かさに包まれながら、オレはその中に漂っている。ここは何処だろう。この温もりはなんだろう。目を開けているのに、何も見えていない様な、よく分からない感覚だった。なぜ思い出ばかりが頭の中に浮かぶのだろう。ここは一体、何処なんだ?
 遠くから声が聞こえた気がした。耳を傾ければ、少しずつ明瞭に聞こえてくる。今ではすっかり聞きなれた声は、ひどく震えていて、何度か聞いた事のあるその声音に胸がざわついた。ぱたぱたと頬に何かが当たった。触れた瞬間は温かかったが、次の瞬間には冷たくなってすると頬を滑って落ちていった。
 あいつが泣いているのに、何も見えない。顔が見えない。体か動かない。姿が見えなくては側にいてやることも出来ない。指すら動かせなくては涙を拭ってやることも出来ない。あいつは近くにいる筈なのに遠くにいる。お前は何処にいるんだ……?何か忘れている気がしてならない。オレはどうしてここにいるんだ……?そう思ったときだった。消えてしまいそうな声なのにはっきりと聞こえた。



ーーお願い……目を開けて……



 その瞬間、目を開けていられない程の強い光りがオレを包んだ。眩しすぎてとても直視できない。それでも開けなくてはいけない気がして、無理やり目蓋を持ち上げた。
 また、オレ頬に何かが落ちてきた。その何かはやっぱりそいつの涙だった。目には桃色の水面に、空をも覆う神木の緑。そして、あいつの顔が映った。
 体のあちこちが痛い。綺麗な顔を涙でぐちゃぐちゃにしているそいつの顔を見て全てを思い出した。いつもは目が合えば笑いかけてくれるのに、そいつは目を真っ赤にして顔を歪めた。
 小さな手を震わせながらそいつはオレの頬に手をのばした。触れたそれは、今まで感じたどんなものよりも温かかった。
 きっとあれは夢の中なんじゃない。あの時目を開けなかったら、オレは二度と目を覚ます事は無かったのかもしれない。簡単にいえば、死んでいたかもしれないってことだ。だが、自分が生死をさ迷ったことなどどうでも良い。こいつが生きているだけで十分だった。
 未だに身体中痛いが、泉のお陰で幾分かましになってきた。触れられるだけでは足りない。触れたかった。
 頬に添えられた手はまだ小刻みに震えている。自分の半分もないその手を自分の手で覆い、もう片方の手をそいつの頬へと運んだ。次から次へと溢れ出る雫を指で掬った。目元は赤くなっていて痛そうだった。
 それから今出きる精一杯の笑顔をつくってみせた。こいつが泣いてんのはたぶんオレが原因だ。そんならオレが大丈夫だって所を見せてやればいいと思った。
 そいつは、目を大きくすると次には固く閉じた。拭ったばかりの頬に一筋の涙が滑り落ちた。
 泣いてくしゃくしゃになって、ひどい顔をしているのに、どうしてこんなにも綺麗にみえるのだろう。閉じられていた目蓋ががゆっくりと開かれ、深い青色の瞳と目があった。澄んだ青は晴れた穏やかな空と同じだった。
 歪んでいた口は、弛く弧を描いている。全身の痛みを忘れてしまうくらい、胸が熱くて温かい。胸の奥がきゅっと締まっているのに苦しくはなくて心地がいい。この綺麗で温かい人間は、間違いなく自分よりも大切なものだ。どうしてか、その答えがやっと分かった。



ーーオレはこいつが好きなんだ。



 好きよりももっと深い感情を表す言葉をオレはまだ知らない。ーー

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