本当の願い-02

 どのくらい歩いただろう。
 灯りもないため何も見えず、壁を頼りに足を前に動かしているだけだった。どこまでも続く闇に、瞳は何も映さない。自分が目を開けているのか閉じているのかも曖昧で、同じ場所をぐるぐる回っているだけなのか、奥へ進めているのかも分からない。ただ、「ここから出られなくなったらどうしよう」という不安は一切なかった。というより、そんなことを考える余裕が無かったのだと思う。

 目的があってこの暗闇へ飛び込んだ筈なのに、いつの間にか無意識の中をさ迷っていた。
 自分は何者だっただろう。どうしてこんな場所にいるのだろう。そもそも、ここはどこなのだろう。
 そう疑問を抱いた時、急に意識が朦朧とし出し、力が抜けるのを感じた。壁へ体を預ける間もなく、地面へ崩れ落ちた。全身を強く打ち付け、乾いたような鈍い痛みが走る。
 派手に倒れ込んだにも関わらず、音はせず、シンと静まり返ったまま。代わりに、高い場所から雫が水面に落ちるような音が響いて谺した。
 反射的に顔を持ち上げ、前を見た。そして言葉を失った。

──だって、……さっきまでそこに何も無かったじゃないか

 自分が目を瞑っていて、見えていなかっただけなのかとも考えた。しかし、目を瞑っても、瞼を貫通して光を感じるくらい、目の前の光景は、光をまとっていた。
 倒れていた体を起こし、光の中へと足を進めると、ボヤけていた物体の影が、少しずつ明瞭になっていった。うまく力が入らず、足がふらつくきながら、何とか踏ん張って、前へ前へと足を動かし続けた。

 開けた場所へたどり着き、やっと足を止めた。それまで霞がかった視界が、急にパキッとピントが合った。それから、途切れそうな意識のなかで忘れかけていた自分という存在と、ここにいる理由も、目的も、全てを思い出した。

「あれは……」

 思わずひとりごとを呟いてしまうほど神秘的で、不思議な空間がそこには広がっていた。奥行きも高さもある巨大な空間に足場はほぼ無く、恐ろしいほど澄んだ水をした湖が広がり、眩しくて良くは見えないが、その池の中央には上に伸びる岩があり、その岩の上には御神石の様に祀られた岩があった。
 なんとなく。あれが"本体"なのだと直感した。

──人の子よ。 ここへ来るとは 余程の思いがあるのだろう

 鈴の音のような柔らかさを感じさせる『声』であるというのに、キンと響くその音は、激しい耳鳴りとなってオレを襲った。あまりの痛みに、意識が飛びそうだった。

──さぁ そこに立つ者よ
   あなたは何を願う?

 再び朦朧としだす意識を必死に繋ぎ止めるのに精一杯で、何かを考える余裕はなく、何者かの『声』が頭の中で谺するだけだった。
 願い。……願いか。
 望んでここへ来たというのに、いざとなると言葉が出てこない。何をどう伝えたらいいんだ。
 叫びとなって吐き出したのは、考えて出した言葉ではなくて、ただの自分の感情だった。

「カナタだけは!!!!! カナタだけは失いたくないんだ!!!! 何に替えてもいい……!! オレの命だってなんだっていい!!!
だから、っ……! だからカナタだけは……っ、!!」

 膝から崩れ落ち、速く浅い呼吸を繰り返しながら涙を流していた。
 しかし、当の自分はそれにさえ気付いていなかった。そしてまた、生きた人間から死人へと変わっていく恋人を目の前にして、なんの感情も動かなかったのは、心を無くしてしまう程、『カナタのいない世界』に絶望したからだということにも気付かぬままだった。

「う"っ……!」

 きらり──と、一度だけ御神石が光った気がした。その美しさに見魅り、一瞬、全てから解放されたような感覚に陥ったが、次には耳鳴りは激しさを増し、頭に激痛が走る。

──その願い 叶えよう
    あなたの『  』と引き換えに

 その『声』を最後に、オレの意識は深い闇へと落ちていった。
 痛みから解放され、途切れ行く意識の中で漸く思考力を取り戻した。
 消える直前の命を繋ぐのに値する対価とはなんだろう。命に替えられるものは、やはり命だろうか。
 カナタを失うなんて考えられない。例え何を犠牲にしても。自分の命を差し出してでも愛する人には生きていてほしかった。
 心残りが無いわけではない。お互いもっと年を取るまで一緒に居たかった。でも、それが叶いそうにない今、オレはこの道を選んだ。
 これでよかったんだ。いいや、この方法しかなかった。だからやっぱり、これでよかったんだ。
 半ば無理矢理自分に言い聞かせていることにも気付かぬまま、オレの意識は闇の中へ溶けていった。
 そして、死ぬ覚悟だけして再び目覚める覚悟をしなかったことに、オレは激しく後悔することになった。
 『願い』の対価として何を選ぶのかは、オレではなかったのだから。



***



 意識が戻って、一番最初に見たのは見覚えのある白い天井だった。

「っ……──」

 酷く痛む頭は一言では言い表せず、敢えて言うならば鈍い痛み。吐き気を伴うそれは、暫くの間オレを苦しめたがいつの間にか痛みはどこかへ消え、霞んで良く見えなかった視界も元に戻った。

「あら、やっと起きたわね」

 聞き覚えのある声に、暫し困惑を覚えた。
 まず、自分が生きていることに驚いた。てっきり、死ぬものだと思っていたから。
 死を覚悟していたから、再び目が覚めたとしてもきっとあの世。あるいは、どこでもない、なにでもない空間にいると思っていたから。しかし、鼻の奥がツンと痒くなるような薬品のにおいや、決して良いとは言えないマットレスの感触、瞼を開けて一番最初に目に入る白い天井に、昼間は消された蛍光灯も、窓から差し込む光も、全て見慣れたものだった。
 オレは生きているのか?──そう確信した瞬間、全身に鳥肌が立った。

「あなたが気を失った状態で隊員に担がれて任務から帰ってきたもんだから何事かと思ってたけど──」

 ベッド脇の椅子に腰掛けるその人はオレがよく知る人物、同期の夕日紅だった。──今思えば、この時から違和感はあった。オレと紅はただの同期であって、入院中に彼女ひとりでオレの見舞いにくるような仲ではない。来たとしても、猿飛アスマの付き添いついで程度である。意識不明から目覚めるまで側に居るなんてあり得ないことだった。

「怪我も見かけの割に大したことないなんて、驚き損よ。全くあんたって人は本当に……」

 少し皮肉と冗談を交えながらも、心配したと伝える優しい言葉だった。いつもなら、アスマの半歩後ろに立ち、片足重心で腰に手を当て「またなの?いい加減学習しないのかしら」と不機嫌そうな顔で吐き捨てるのに。
 その『おかしさ』に気付く余裕は無かった。

「カナタはっ……!!!! カナタはどうなったんだ!!!!」

 ベッドから跳ね起き、紅の肩を掴んだ。
 オレは、カナタの命を救って欲しいと頼んだ。自らの命を差し出してもと願った。しかし、そのオレは生きているのだ。ならば、カナタは?カナタは、今どうなっているんだ?
 紅がオレの行動に驚き、目を丸くして固まったその一瞬さえももどかしかく、彼女が言葉を発する前にオレはまた言った。

「カナタはどこにいるんだ? この病院にいるのか? ならどこに──」
「っ……! ちょっと! 落ち着きなさい!!!」

 紅はオレの言葉を遮り、そして肩を掴む手を無理矢理払い、オレの手を握った。──紅の手はオレの手より大きかった。──オレもまた紅の手を振り払った。

「だからカナタは……!!!」
「頭を打っと聞いたけど、あなた本当に頭が……」

 紅は、オレとカナタが恋人だと知っている。恋人の安否を確認したくて必死に訊ねているのに、なぜ教えてくれないのだろう。不信感のような苛立ちは限界に達した。紅に何を聞いても意味がない。聞くより自分で探した方が速い。そう思って、ベッドから飛び出し、靴も履かずに駆け出すが、一歩進んだところで手首を掴まれ足が止まった。
 どこまでも邪魔をする紅に殺意さえ覚えた。振り払おうとして紅と目が合う。眉間にシワを寄せ、眉をハの字にして、その表情は困惑や焦りの色を孕んでいた。その表情の意味も分からぬまま、紅は唇を噛み締め、そして叫ぶように言った。

「カナタ、カナタって……。カナタはあなたでしょ!!!!!」

 室内の空気がシンと静まり返り、自分の心臓の音が耳元で大きく脈打ち出した。
 紅に抱いた違和感の正体に気付きつつあった。

「なに、言って……。オレはカカシだろ……?」

 声は震えていた。オレはこんな高い声だっただろか。

「あなたこそなに言ってるの。あなたはカナタ。 そもそもカカシって誰なの?」

 不審がる紅の声色や表情に体が固まった。そこへ更なる追い討ちがかかる。
 背後のドアが開き、現れたふたりの大男。見上げないと顔が見えなかった。

「紅。頼まれてた花買ってきた──って。よぉカナタ。随分と寝てたじゃねぇか」
「カナタ! もう立ち上がれるのか! それだけ元気があれば十分だ!」
「アスマ!ガイ!カナタってばやっと起きたと思ったら、『カナタはどこだ!』とか、『オレはカカシだ』とか言い出して、本当に大変だったんだから!」

 目の前で交わされる会話を傍観していた。自分はこの空間にいる筈なのに、無いものとして扱われているような感覚。誰もがオレを「カナタ」と呼んだ。

「はっはっはっ! 頭打ったとは聞いてたが、なぁ?」
「うむ、一度診てもらった方がよさそうだな。それにしてもカカシとは聞いたことがない名だな」

 自分の中の何かが切れた音がして、気がつけば病室を飛び出していた。心臓が大きく脈打つのは、『自分の感情』によるもなのかさえ分からなくなっていた。
 全てに感じていた違和感の正体について、仮説ではなく、この時点でもう確信していた。でも信じられなかった。信じたくなかった。「カナタ!待ちなさい!」と紅の声が聞こえる。無視をして走り続けた。オレは「カナタ」じゃない。

 廊下の角を曲がり、暫く行ったところで向きを変え、走った勢いのままそこにある扉を開けた。壁と扉が激しくぶつかり、どっしりと乾いた大きな音が響いた。扉が跳ね返って閉じる前に扉を潜り抜け中へ入った。
 数秒遅れて紅の声がした。

「あんたそっち男子トイレ……!」

 だが、その言葉は言葉として頭には入ってこなかった。ただの音として認識することも出来ず、鏡に映る自分の姿に茫然とするしかなかった。目は黒じゃない。髪は銀じゃない。左目の傷跡もない。輪郭も目も鼻も口も全部違った。しかし、見間違うはずもない何度も見てきた顔。鏡に映るのは自分ではなくて、愛してやまない恋人の姿だった。
 信じられない。信じたくもない。しかし、認めざるを得なかった。それから、あの洞窟へ行ったことも、あの洞窟で起きたことも全て幻ではなく事実だったのだと全てを理解した時、既視感のある耳鳴りと頭痛に襲われた。その痛みにまた現実を突きつけられた。

 そして、オレがあの洞窟へ行って願いを叫び、意識を失う前、最後に聞いた言葉を思い出した。

──その願い 叶えよう
    あなたの『存在』と引き換えに

 まさか、あの言葉はこうなることを意味していただなんて。震え出した体を抱き締め、受け入れがたい現実を受け入れた。

 カナタの命は助かった。そして、オレは『はたけカカシ』ではなく、『カナタ』になっていた。──
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