---いのsaid
家に着き、まともにただいまも言わず自分の部屋に駆け込んだ。
今はこれまでにないくらいイライラしている。
話しかけられれば八つ当たりしかねない。
部屋に入るなり私はすぐベッドに倒れ込んだ。
あーーもう!!!
眠気なんか少しもないけど、怒りを沈めるためにそっと目を閉じた。眠るつもりはなかったけれど、怒りがおさまると共に眠気はどんどん強くなっていって気付けば深い眠りに落ちていた。
私が目を覚ましたのは母の大きな声でだった。
「いのー!ご飯よー!」
私いつの間に寝てたんだ・・・・。
大きな欠伸をすると夜ご飯の良いにおいが私の鼻腔をくすぐった。
すると私のお腹は鳴り、苦笑いを漏らしてから自分の部屋を出た。
寝る前にあったイライラはおさまり、信じられないほど頭はスッキリしていて、私は軽い足取りでリビングに向かった。
リビングに入れば久しぶりに見る大きな影。
「父さん!」
長期任務で一週間家に帰ってこなかった父さんが、美味しそうなにおいを漂わせた料理が並ぶテーブルの前に腰かけていた。
駆け寄ってお帰りなさいと言うと、優しく微笑んでただいまと言ってくれた。
それから元気にしてたかとか、ちゃんと修行はしてたかとか、私のことを一杯聞いてくれた。
前までは橘花橘花とうるさかったのに、やっぱり私のことの方が父さんに思われているのだと感じ、自然に頬の筋肉が緩んだ。
初めは私より父さんに思われてるんじゃないかって、その八つ当たりのようにあの子をいじめていたけれど、本当は私の方が思われてると分かった今。少しだけあのこに対する罪悪感を感じた。
悪いこと、しちゃった、な。
しかしそう思えたのは一瞬のこと。
少しだけ目を輝かせて放った父さんの言葉に、私は父さんの表情とは反対に酷く歪んだ。
「そういえば橘花はどうだ?」
ぶちんと何かが切れる音がした。
なに、それ・・・。
父さんが本当に聞きたかったのはこっちだったの…?本当は私のことなんかどうでもよかったの…?
「・・・・・・のよ。」
父さんに思われている。そう思っていた分、違うと分かったときのその怒りの反動は大きくて、溢れだしたどす黒い感情はもう胸の内だけに留めておくことが出来なかった。
「なんなの、なんな、の・・・・・、
あの子はなんなのよ!!!!」
父さんが驚いた顔をしてもなにも感じず、それだけ私の心の中はイライラで一杯だった。
そして、動き出した口は止まらなかった。
「橘花、橘花、橘花って、私のことはどうでも良いの?
父さんは娘よりあの子の方が大事なんでしょ!?」
父さんの目は大きく開かれ、ガタッと音をたてて立ち上がった。
「何をしても何の反応も示さないあんな感情のない子のどこが良いのよ・・・!!!」
「いの落ち着け!」
「なに?図星なの?」
「違う!!!」
「だったらなんか言いなさいよ!!」
するとふわりと、幼い頃よくかいでいた父さんのにおいだした。
抱き締められてる・・・・・・?
それに気づき私は抵抗した。
「はなし、てっ!!」
力一杯抵抗するけど父さんの力は強くてびくともしない。父さんの胸を強く押したとき、ピリッとした痛みが走り、私だ触れた父さんの服に赤いものが付着した。
これは、血・・・・・・?
でも父さんの血じゃない・・・。じゃあこれは・・・・・・
それは無意識のうちに握りしめられた拳に爪が食い込んで流れ始めた自分の血だと分かったとき、全身の力が抜け抵抗するのを辞めた。
すると父さんはゆっくり私を離し、私の顔と同じ高さになるよう膝を曲げた。
「父さんはお前のことを愛してる。」
「う、そ・・・・・」
「嘘じゃない。」
嘘じゃないと分かっていても私の口は勝手に動いて、父さんの真剣な瞳は私の真っ黒になった心を少しずつ白に塗り替えていった。
「ただ橘花のことも自分の娘のように思っている。」
「っ!!!」
その真剣な瞳は嘘をついていなくて、また心の中の黒は白を塗りつぶした。
オレがちゃんと話していたらこんなことにはならなかったのかもなと、父さんは呟いた。
なんのこと・・・・・?
父さんはその真剣な瞳を一度伏せ、今度は覚悟を決めたような目に再び私を映した。
「最後まで聞いてくれるか?
橘花の過去を」
* * *
「・・・・・・これが橘花だ。」
「・・・・・・。」
声がでなくなった。どう反応したらいいか分からなくて。
私はあの子に何をした…?
「いの。悪いと思ったが記憶を覗かせてもらった。」
「っ!!!」
少し冷たさを帯びたその声に私はビクッと肩を揺らした。
「お前がしたことを責めたりしない。
そうしてしまったのはオレのせいだ。」
それからすまないと一言。そして後に言葉を続けた。
「だから今度は、あいつの友達になってやってくれないか?」
じわりじわりと視界は滲み、父さんの顔は見えなくなった。
でもそ顔はとても柔らかいもので、私の頭をぽんぽんと撫でる手は優しかった。
こくん、涙を吹きながらと頷くと父さんは私の手を握り、そして引いた。
「すぐ帰るから少し待っててくれないか?」
「はい。いってらっしゃい」
詳しいことは何も言っていないけど、母さんには父さんが何をしようとしているのか分かっているようで、微笑みながらそう言った。一方私は何がなんだかよく分からずぼけーっとしている間に話は進み、父さんに促されるがままに家を出た。
家を出る直前、“橘花に会いに行くぞ”と父さんは言った。
それを聞いて一瞬体が硬直したけど、父さんの“大丈夫だ”という優しい声と表情で、私の足は自然と前に進んだ。
もうすっかり暗くなってしまった道を二人出歩いた。
頭のなかは橘花のことで一杯で、まっすぐ前を向いている余裕は無かった。
会ったらまず何を言おう。どんな表情でいよう。と何回も何回もシュミレーションした。
私の思考がブツリと切れたのは、数えるほどしか聞いたことのない声でだった。
『いのいちさん!!』
反射的に顔を上げれば、夜の闇より濃い黒い髪をした橘花がいた。
父さんの名前を呼ぶ声は、私の知るものよりも明るくて可愛らしかった。
「おぉ橘花!それにカカシも!」
「こんばんは」
橘花は父さんを見るなり駆けてきたけど、その隣にいた片目を瞑り、口元を紺色の布で隠した男性は、そのままのスピードでノロノロと歩き、再び橘花の隣にならんだ。
父さんを見る橘花は、暗くても分かるくらい嬉しそうで、ピタリとくっつき真っ直ぐだった唇は、今夜の月のように弛い弧を描いたいた。
---こんな顔すんだ…。
すると不意に真っ黒な瞳が私をとらえ、ドキッとして頭の中が真っ白になった。
そうだ、言わなきゃ…。
“友達になって” って
しかし私が口を開くよりも早く、橘花の口が先に開いた。
『いのいちさんの娘さん…?』
「あぁそうだ。」
『あなたがいのちゃんっていうのね!』
キラキラとした黒い瞳が私の顔を映し、それからにこりと微笑んだ。
月明かりに照らされたその顔はとても綺麗だった。
「ねぇ、私と友達になって!」
ぶわりと溢れた強い罪悪感。私はなんてことをしてしまったのだろう。それのせいで私の顔は酷く歪みそうになった。
しかし新たな感情が沸き上がりそうなることはなかった。
“二度とあんな思いはさせない”と
“この笑顔を守ろう”と
だから私は橘花の笑顔に負けないくらいの笑顔で答えた。
「もちろんよ!」
“あんなことしてごめんなさい”と謝ることはできなかった。
その代わりに私はあなたを守るとそう心に決めた。
ふわりという優しい風と共に、一匹の蛍が私たちの間をすり抜けた。
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