今まで一人だった一番後ろの席。隣がいなくてすげー楽だった。
しかしそれは一週間前の話。今は隣がいる。
相手は転入生の橘花。
おれはあいつが気に食わねぇ。
それは転入初日。
オレは親父から近々橘花ってやつが転入してくる筈だから仲良くしてやれと言われていた。
正直めんどくせぇ。
でもしつこく親父が頼んでくるもんだから、どんなやつなんだろうという興味はわいた。
イルカ先生にオレの隣に座るように言われ、少しずつ近づいてくるあいつ。足音が全く聞こえなかった。
しかしあえてそれをしているようには見えなくて、それはつまり無意識ということ。
こいつは一体何者なんだろうか。
オレの眉間にはシワがよった。しかし次の瞬間、それはさらに深く刻まれることになった。
あいつは席に座った。
無言で。オレの方を一度も見ずに。
“よろしくね”とか、そういうことを言うのが普通だ。言えなくとも目を合わせて笑いかけてきたりするものだ。
でもあいつは何もしなかった。
自分があいつに興味があった分、それに苛立った。
分からないかとがあったら教えてやれと先生に言われたが、ちゃんと聞いていなかったってことにした。
あいつに友達を作る気がないと思ったのは休み時間。
授業が終わると女子たちが橘花の席の周りに集まっていた。それからあいつにいろいろ質問し始めたが、あいつはしばらく黙ってた。
そん時オレは、さっき席に座るときなんも言わなかったのはただ緊張してただったのか、と思った。しかしそう思えたのは一瞬。
気付けばあいつは誰の質問にも答えず教室を飛び出していった。
女子たちは茫然とその場に立ち尽くし、幾らかの沈黙の後に口を開いた。
「なんなのあの子!」
「ほんとよ!人がせっかく話しかけてあげたのに!」
「もー!ムカつくー!!!」
「話しかけた私たちがバカみたいじゃない!」
「二度と話しかけないわ。」
そうね、そうねと女子どもは口を揃えて言った。
あんななんでもない質問をあいつは答えなかった。いくら緊張していたからといってもいくらなんでもあれはない。
自分の事を教える気がないみてーだ。
つまりオレたちに歩み寄ろうとしてねーってこと。
また苛立って小さく舌打ちした。
あいつは次の授業が始まるギリギリに戻ってきて授業を受けた。
唇は定規で線を引っ張ったように真っ直ぐ閉ざされていて、さっきあいつが質問に答えずどっかに行ったって、やらかしたことを全く気にしていないように見えた。
次の休み時間。もうあいつの周りには誰もやってこなかった。
そりゃあそうだよな。
横目でチラッとあいつを見ると、授業が終わったにも関わらず教科書を広げ、集中してそれを読んでいた。
話し掛けて欲しいオーラを発してもいない。
なんなんだよ。
この日から1週間。あいつは学校に来なかった。高熱がおさまらないとかなんとかで。ホントかよって疑ってんのはオレだけじゃないはずだ。
久しぶりに教室に入ってきたあいつの足音はやっぱりしなくてぼーっとしてたオレは、あいつの気配にも気付けなくて、微妙に椅子が軋む音が聞こえてやっと気付いた。
相変わらず挨拶はしてこない。
まぁあの日からなんも変わってねーってことだ。
すると不意に視線を感じそちらを向くと、あいつと目があった。あいつはそれに驚いたようですぐオレから目を切った。
前言撤回だ。少しは変わったみてーだ。
それからというもの、休み時間ごとにあいつの視線を感じた。何かあるんだろうけど、一向になにもしてこない。
そんな日が三日続き、我慢できなくなったオレはとうとうぶちギレた。
「おいお前。言いたいことあんなら言えよ。」
真っ黒な瞳は大きく見開かれ、少し開いた唇は震えた。
何か言おうとしていたからオレはしばらく待った。
しかしいつになってもその唇が動くことはなく、いつまで待っても無駄だと判断したオレは冷たい言葉をいい放った。
「うぜぇんだよ。」
低い声でそう吐き捨てると、あいつは俯き、薄く開いていた唇は少しの隙間もなくピタリとくっついていた。
もう話す気はねぇみてーだ。
まぁ半分オレのせいだけど。
それ以降、あいつの視線はピタリとやんだ。
結局あいつが何を言おうとしていたのか、分からないままだった。
* * *
それから数日が経ったある日、親父と将棋を指していると、親父は唐突にオレに言った。
「橘花はどうしてる?」
その目はどこか真剣で、オレは一瞬ドキッとした。あの日の出来事を思い出して。
「もうって言われても・・・・・・な」
どう答えたらいいのか分からない。友達が一人もいないやつってことしか思ってねーから。
親父はそれだけでなんとなく今のあいつの状況が分かったらしく、今度は悲しそうな目をした。
んだよ。なんであいつのとこそんなに心配してんだ?親父がそうする理由が分からない。
オレが知らない何かを親父は知ってる。
オレは知らなくて、親父は知ってるんだ。
「なんなんだよ、あいつ。」
親父に問いかけた。
すると将棋盤に向けられていた視線を、ゆっくりオレへと変えた。
その目はさっきよりも真剣で、ピリッと空気が張りつめた。
「お前に聞く覚悟はあるか?」
ごくりと唾を飲み込んだ。
聞こうか一瞬躊躇った。
でも聞かねぇとダメな気がして、オレは頷いた。
親父は“そうか・・・”と言うと、ゆっくり話し始めた。
あいつの過去を。
* * *
親父は一族の名前とか、そーゆー大事なことは隠していたが、オレはあいつの過去を知った。
足音がしなかったのは・・・?
女子たちの質問にひとつも答えず教室から飛び出したのは・・・?
今までの疑問が、はらはらと解けていった。
「橘花には友達がいない。今まであんな生活をしてたんだ。
友達のつくりかたもわかんねぇだろうよ」
“まず友達がなんなのかも分かってねぇだろうな”と、少し困ったように親父は笑った。
その瞬間ズキンと胸の奥が痛くなった。
オレはあいつに何をした?
何を言った?
何も知らないくせにあんなことを言った事に、激しい後悔が襲った。
オレはとんでもないクソヤローだ。
「もう一度言う。
橘花のこと頼んだぞ。」
「・・・・・・あぁ。」
あんなこと言っちまったオレだけど。
あいつは許してくれるだろうか。
早くあいつに・・・、いや、橘花に謝りたい。
しかしそれが出来たのはずっとずっと後のこと。
橘花にはいつの間にか友達ができていたのだ。
ほとんどいつも一緒にいて、ひとりでいることはほとんどないから、話しかけるタイミングが掴めなかった。
無垢な笑顔で笑うあいつを見るたび苦しくなった。
これはあんなこと言っちまったオレの戒めなのかもな。
オレは唇を噛み締めた。
(でもお前はもっと苦しかったんだろうな。)
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