おとぎ話に出てくるお姫様の様に、一週間もの間目を覚さなかったその美しい眠り姫の名前はルーナと言った。
あの後、ルーナと少しだけ話をした。彼女も受け入れがたい現実に混乱していた。取り乱すかと思いきや、そうでもなく、寧ろ落ち着きさえ感じた。先程あれだけ怯えていたのが嘘だったかの様に。起きてしまった事は仕方がないと、受け入れざるを得ないと、彼女が生きていた時代はそうだったのだろうと思った。
状況を少しでも整理しようと、ルミナスメイズの森で何をしていたのか尋ねた。曰く、空に突然巨大な何かが現れて、必死に逃げ、気付いたらあの場所にいたとか。オレの問いに直ぐに答えず、言葉を選ぶ様にしていた辺りから、まだ他に理由があるのだろう。敢えて話さない事を選んだ内容を、無理やり聞き出す趣味は無い。オレはそれ以上聞く事はしなかった。
俯いたまま、何も話さないルーナ。今はひとりにさせてあげたほうがいいかもしれないと、そう思ったオレは、彼女に声をかけてから一度病室を出た。
しかし、ルミナスメイズの森にそんな力があるのだろうか。時を渡るポケモンが存在しているというのを、何かの文献でみた記憶がある。でもそれは別の地方のポケモンだった。
あの森もポケモンも、未だに謎が多い。見つからないままの行方不明者は 彼女の様に時を超えたのだろうか。可能性で言えばゼロでは無い。目の前にいる彼女がそうだから。
あの森はただの森じゃ無い。あの場所は、これでもかというほど本能が警鐘を鳴らすのだ。つまり何が言いたいかというと、彼女は非常に運が良かったということだ。
それはさて置き、問題はここからだ。彼女が、過去の人間であることは分かった。勿論、元の時代に帰れる方法は探す。でもそれまでの間は、この時代で生きなければならない。ここが問題なのだ。
時を超えるなど、そう簡単に出来ることではない。多くの研究者が、長年研究していても未だにその方法がないほど。研究者に協力を仰ぐのが一番手取り早くていいのかもしれない。かといってそれが正しいかはまた別だ。
ルミナスメイズの森で時を渡った事を言えば、必ずひとりは無理矢理にでもあの森を調べるやつが出てくる。生態系を脅かす程の手を加える者もいるだろう。また、彼女を実験体として扱う輩もいないとは言い切れない。人は必ず悪ではないことと同時に、人は必ずしも善ではないのだ。
そうなると、こちら側で保護するのが妥当だ。マクロコスモス(身寄りのない人を保護する施施もある)に預けることも考えたが、それではどこか無責任な気がするし、会うにも手続きがあったり、ナックルシティからは距離がある。となると、ルリナの所にいるのが一番いいだろう。
そんな事を考えているうちにルリナの所に着いた。隣に座るなり、ルリナは何があったか早く話せとでも言いたげな雰囲気でオレを見た。
「あの子と話せた?」
「あぁ、なんとかな」
彼女の知り合いに似てるらしい、と付け加えると、やっぱりあなたが行って良かったわね、と言われた。
「それで、あの子は……?」
眉間にシワを寄せ、真剣な表情でこちらを見るルリナが何を聞きたいのか直ぐに分かった。ルーナの素性、というか何故あの場所にいたのかとかそういうことだ。
「ルーナは…… 」
言おうとして口を噤んだ。ルリナのことは同じジムリーダーとして信頼しているし、彼女にルーナの事を話しても、言いふらす様な人間ではないと分かっている。しかし、それをオレの口から勝手に話していいのだろうか。オレは知ってしまっただけ。ルーナが、オレを信用して話してくれた訳ではない。それで言うのを躊躇ってしまった。そうも言っていられない緊急事態であるのに。
「いい。言わなくていいわ。
あそこにいた時点で、何かしら訳ありなのは分かってた事だし。」
「……悪い。」
「キバナが謝る事じゃないわ。私もそうしたと思うから」
ルリナが察しの良いやつで助かった。ルーナと話した時、『この事(過去から未来に来たこと)は人に知られないい方がいい』、『オレは誰にも話さないと約束する』と言ったのだ。早速約束を破ってしまう所だった。
オレは彼女を助けたい。その為には、オレを信用してもらわなくてはならない。早速、約束を破って信用を失うところだった。
ただルリナは、ルーナは帰る場所が無いと思っている。その誤解だけは先に解いておくべきだと思った。身内に捨てられた訳ではないとだけ伝えると、ルリナは寄っていた眉間のシワを緩めた。
そして、オレは例の問題について話した。
「ただ、訳あって彼女は今すぐ帰るべき場所に帰れない」
ルリナはなぜなのかと問いたくなったが、キバナの真剣でありながらも複雑そうな表情を浮かべているのを見て、きゅっと口をつぐんだ。
しかし同時に、キバナが何を言おうとしているのかを察した。無事に命も意識も取り戻した。はい、終わり。ではなく、大切なのはこれからだ、と。彼女は今すぐ帰れない。つまり、『その時』が来るまでの、彼女の帰る場所を作ってあげなくてはならない。
「なら、キバナと一緒の方がいいでしょうね」
ルリナにとっては至極真っ当な考えなはずだが、キバナは予想外だったようで、「は……?」と声を漏らした。
キバナは、ルーナをルリナに預けようと思っていた。自分はルーナの知り合いに似ていて、知らぬ世界では僅かであっても安らぎを与えられるかもしれない。キバナ自身それを自覚してはいた。それでも、異性であることを考えると自分は適任ではないと、キバナはそう考えた。同性なら、何かと相談もしやすいだろう。と。
ルリナに面倒ごとを押し付ける気もない。そもそも面倒ごととは思っていないし、責任を押し付ける気もない。
純粋に考えた結果だった。
だから、ルリナにあんなことを言われて間の抜けた声が出てしまったという訳だ。
「普通だったらわたしが彼女を預かったわ。
……でも」
あんなに怯えていたのに、あならなら大丈夫だった。と、ルリナは続けた。
「異性であることも含めて考えても、今のあの子にはあなたが近くにいた方がいいと思うわ」
そこまで言われてしまうと、「分かった」と言うしかなかった。
そうと決まればやることは山ほどある。衣食住の確保にオレ以外にもルーナを支える人間が必要だ。
オレに全て出来るのかと不安に思ったが、彼女のあの怯えた姿が脳裏に浮かんだ。
いいや。出来るかではない。やらなくてはと、気をしめた。
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