episode01・03

 病室に入ってすぐ目に入ったのはベッド。本来、人がいるその場所に人の姿は無く、乱暴に蹴飛ばされた掛け布団が乗っているだけだった。
 ベッド備え付けのテーブルには、お盆に乗った食事が置いてあるが、すっかり冷めきっており、手をつけた様子もない。ということは、彼女は目覚めてから何も口にしていないのだろう。


 部屋の隅に目をやると、本来ベッドの上にいるはずの人物がいた。それは体をこれでもかというほど小さく丸め、よく見なくても分かるほど振るえている。

 人間に怯えるポケモンを見ている気分だ。これまでのトレーナー人生で、そういうポケモンには何回か出会ったことがある。拒絶と恐怖に満ちた目は、オレをオレとしてではなくバケモノとしてオレを映す。
 言葉ではとても言い表せない鋭いものが俺の胸を刺し、抉られるような痛み。何度味わっても慣れない痛みだ。

 これほどまでにポケモンを痛め付けた人間への怒り、恐怖の対象としてオレを映す怯えた目に悲しみに近い感情がふつふつと出てくる。
 だが、このポケモンが受けた痛みを思うと、怒りや悲しみ異常にやり場のない気持ちでどうにかなってしまいそうになる。


 しかし今の相手は、ポケモンではなく人間。彼女は一体何に怯えているのだろう。ここまで怯えている人間を見たことがなく、正直戸惑っている。
 幸い相手は言葉が通じる。やれるだけやってみよう。オレはひとつ深呼吸をした。


 ドアから遠く、かつ彼女からも離れた位置に移動し、それから、床にどかっと腰を下ろした。まぁ、簡単なことだ。彼女が逃げたければ、この部屋から出れるような状況を作った。出来るだけ敵意がないことを示したかった。


 オレが座った後、彼女は丸めていた体を少しだけ解いた。そして、あの海のように深い青色の目がオレを貫いた。美しいと感じたあの色は、今は恐怖の色に覆われている。目があっても彼女が何に恐れているのか分からない。

 オレと目が合った時、一瞬だけ晴れた色をした。「アレック……」と言って、口を閉じ、また体を丸めてしまった。やはりオレは、彼女の知り合いだと思われる『アレックス様』に似ているのだろう。それが、誰なのか気にはなるが、デリケートな問題(そいつが彼女を森に捨てた可能性だってある)な気がして、聞きたい気持ちを抑えた。

 しかし、不思議な感覚に陥った。何なんだ……。この違和感は……。そう思いながらもオレは話し始めた。



「オレはナックルシティのジムリーダーのキバナだ。
ここはナックルシティの病院。」



 オレに背を向けたままだが、耳が傾いたのが分かった。



「あんたはルミナスメイズの森で倒れてた。
だから病院に連れてきたんだが……。意識不明で1週間眠ってたって訳だ」



 長い金色の髪が揺れた。再びオレを映した瞳には、困惑と恐怖が混ざったような感情を含んでいた。唇が小刻みに震え、何か言おうとしているのが分かった。いくらかした後に、消えてしまいそうな声が言った。



「それは……、本、当……ですか……?」
「あぁ」



 危険な状態だったが、無事目覚めて良かったと、言おうとしたが、彼女はオレの返事を聞くなり、顔を青くした。



「でも、わた、し……わたし……」
「あ、入院費か?それなら心配ないさ」



 ガラルの医療制度は非常に充実しており、基本的に政府が負担する。一部薬代がかかるなどもあるが、彼女の場合、眠っている間に栄養剤を投与される程度だった。恐らく支払う額はゼロのはずだ。
 ガラルに住んでいるなら常識。しかし、彼女は知らなかった様子だ。もしかしたら、別の地方の人間なのだろうか。


 入院して、しかも1週間も意識不明なら自分の身に問題はないのかと、騒いだり案じたりするのが普通だろう。しかし彼女は、そんな事を気にしている様子では無い。

 彼女は、病院というこの場所と全ての人間に怯えている気がする。理由を挙げるとするなら、『病院』という単語に反応した気がしたこと。それから、怯えたポケモンと同じ目をしていたから。


 彼女が何をいおうとしているのか、勘で適当に言っただけだったが、彼女の反応を見るなり正解のようだ。普通なら、良かったと安心する。でも、彼女は青かった顔を更に青くした。
 オレは、幾度となくチャレンジャーの『絶望』の顔を見てきた。しかし、初めて本当の絶望の表情を知った気がする。それほどまでに彼女の表情は見ていられないものだった。


 先程のオレの言葉は、彼女の不安を払うものではなかったのだろうか。いや、普通なら安心するはずだ。

 彼女の目をみてから感じる、彼女への違和感の正体が分からない。

 血の気を失った顔色、唇も真っ青で今にも倒れてしまいそうだった。そして、震える声で言った。



「……わたし……はっ……売ら、れる、のですか……?」



 予想もしなかった言葉にオレは固まった。売られる?どういう意味だ?いや、意味は分かる。人身売買はガラルに限らず、世界的に禁止されている。また、未だに影の取引がゼロでは無いことも承知している。だとしても、知らない人につかまったイコール人攫い、売られるの式は、平和ボケした現代の人間の考え方ではない気がする。

 またひとつ、違和感が募った。


 ルリナは彼女と話すことも出来なかった様子だったから、会話が出来ているだけまだましか。と思いたいが、答えを間違えれば、彼女はぴたりと口を閉ざすだろう。そんな緊迫した状況に、少しずつ焦りを覚え、思考力や冷静さが無くなっていくのを感じる。



「ちょっと落ち着け。オレは奴隷商人でもないし、人攫いでもない。それに奴隷制度は何百年も前に廃止されてる」



 俺とは違う色の青い瞳がぐらぐらと揺れた。『う……そ……』と、呟く彼女。
 嘘……って。オレを人攫いだと間違えたことはさておき、奴隷制度が未だに存在していると思っている……?教養が全く無いのだろうか。それとも、相当治安の悪い地域に住んでいたのか?でも、彼女の言葉遣いや身なり、雰囲気などを考えるとどちらもなさそうだ。

 話し方や言葉遣いは綺麗だし、汚れきった破れた服でもない。服に関してもうひとつ付け加えるなら、レトロってことだ。例えるなら、時代劇映画などに出てくる町娘の格好。今は病院服であるが、森で見つけた時は、ハイネックのワンピースに、フロントレースアップのベスト、それからソムリエエプロンのようなものをつけていた。

 ロリィタファッションに分類されるだろうか。しかし、オレ街中で彼女の様なファッションの人を一度もみたことがない。映画以外なら、何かのCMやテーマパークの従業員が、といったくらいだ。いずれにしても、普段からしている格好ではないから、どこか本人と服が馴染まず浮いた感じがする。でも彼女からは全くそれを感じなかった。なんというか、そのまんまというか、馴染みすぎていた。



「でも、……、なら……戦争は……!!」



 もしこれが演技なら、彼女は世界一の大女優だ。でも、それは無いだろう。
 張り積めた空気の中で、彼女の声が響いた。嘘だと言って、と。そう言っているように聞こえた。



「……戦争も、何百年も前、に、終わって……る、ぜ」



 彼女に抱いていた違和感の正体がやっと分かった。普通の人と思考回路が違う理由が分かった。彼女の常識がオレの常識と違う理由が分かった。

 おいおい……。本当にこんなことがあるのか?信じなくても、事実が目の前にある。



「なぁ、まさかあんた……」



 心臓が、ドクン……と、一度だけ大きな音を立てた。


 ──心臓は時を刻むという。ふたつの心臓が同じ時を刻みだしたのはこの瞬間からだった。






ーーー
※ガラルの医療制度は捏造です。


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