「ばいばい!また明日ね!」
『ばいばーい』
友達は私より先に支度を終え、早々と自習室から姿を消した。
ガチャンとドアが閉まる音を聞き、部屋は私ひとりになったのを確認してからふーと肺から勢いよく空気を吐き出した。
やっと今日も憂鬱な1日が終わる。壁にある時計を見れば時刻は午後10時を回っていた。
そろそろ自分も帰宅しようと椅子から立ち上がるが、何時間も座っていたせいで、腰や背中がうまく動かない。
体をほぐすためにぐーっと伸びをすればバキバキと音を立てて関節が鳴った。
想像以上に固まっていたようで、背中が吊りそうになった。
塾の先生にさようならと挨拶をし、家にいる母に「今から帰るね」とメールを送り、携帯電話を制服のポケットへと押し込んだ。
いくらかしないうちに携帯のバイブが鳴ったが、きっといつも通りの「わかりました。気を付けて帰ってきてね」という何ヵ月も前から一字も変わらない返信が来ているだけだから無視をして塾から出た。
今日の天気は雨。
茶色くどんよりとした重たい雲が、星空と私の間に壁を作っていて、アスファルトを跳ねる音が酷く耳障りに感じた。
夜空が好きな私は、そんな雲が恨めしくて、何が変わるわけではないが思い切り睨み付けてからお気に入りであるただのビニール傘をさした。
ビニール傘が好きなんて頭がおかしいと思うだろう。でもちゃんと理由がある。
特に特別な理由ではないけど。まぁその理由は単純に空が見えるからだ。
ただそれだけ。
この時間に塾を出るようになって何日、いや何ヵ月が通過したのだろうか。
ビニール越しに見える雨空を見つめながら考えた。
今の私は高校3年生でまぁ一般的に言う受験生と言うヤツだ。
勉強が嫌いなわけでもないし(かといって好きでもないが)、勉強が嫌でこういう事を思っているんじゃない。
つまらないんだ。
毎日が。
* * * *
---「好きなように生きなさい。」
---「夢を持ちましょう!」
---「人間は学問が全てではない」
---「自分の進む道は自分で決めるのです」
雨のノイズと一緒に、子供の頃何度も聞いた懐かしい言葉が頭のなかな響いた。
“これが私の夢なんだ!”と言ったとき、昔は“そうなの、いつかきっと、なれるわよ”と、そう満面の笑みで言ってくれたのに。
今では“現実を見なさい”と、これの一点張りだ。
あんなに学問が全てではないと教えてこられたのに・・・
本当は学問が全てなんだって思った。
毎日毎日勉強勉強!!もううんざりだ!
私はNARUTOが好きだ。興味本意で友達に借りて、想像以上に面白くて、のめり込んだ。
私もNARUTOに存在する人間だったらなーと、何度想像したことか…。
今と違ってきっと毎日がたのしいんだろうなー!!
妄想を広げていると、気が付けばもう家の玄関の前に立っていた。
傘を閉じ、水滴を落としてからゆっくりと扉を開けた。
ただいまー、と俯きながら呟くように言った。
顔をあげれば両腕組み、いかにも不機嫌そうに顔を歪めた母親が立っていた。
でもまぁ何があったのだろう。
私が何かをしてこんな状況になっているのだが心当たりが無い。
なんだろう?
「何、コレ?」
『そ。それは!』
そう言って母の手に現れたのは昨日買ったばかりのNARUTOの最新刊だった。
嘘でしょ…?
見付からないようにタンスの奥に隠してたのに・・・!!
「あなたは今まで私があげたお小遣いをこんなものにお金を使っていたのね。
これからお小遣いは無しにすることにしたわ。
それと、こんなものは必要ない。邪魔なだけよ。」
そう言って私の目の前でそれをビリビリに破いた。
ちょっと、お母さん?ちょっとそれは本気でやめて。まだ読んでないんだけどそれ。
しかもこんなものとか言わないでよ!
「あと、マンガは全部捨てておいたわ。」
え・・・?すてた?
待って、嘘でしょ?
「そんなものを読んでいる暇があったら勉強しなさい。
もうあがりなさい。雨で濡れて風邪でも引いたらしょうがないでしょう。お風呂に入ってからご飯にしなさ、ちょっ、アキラ!!!待ちなさ」
母の言葉も聞かず、傘もささずに冷たい雨の中に飛び込んだ。
---今ならまだ間に合うかもしれない。
僅かな希望を胸に私はごみ収集場へ走った。
高く積み上げられたその束を見た瞬間、全身の力が抜けた。
びしょびしょに濡れた漫画はふやけ、その紙はぐちゃぐちゃ。もう読むことは出来ないほど。つまり手遅れだった。
そにしてもあんまりだ。何年かけて集めたと思ってるんだあの人は。
受験あるからっていったって別に捨てなくたって良いじゃん!!
それにもう私は18才だ。
いつまでも漫画を読みふけるなんてことはしない。時間の使い方くらいちゃんとわかってる。
お小遣いの使い方にとやかく言われる筋合いはない。
一応お小遣いは私のお金だし。
さて、このマンガ達をどうしようかと考えていると、目の端で何かが動いているのを捉えた。
それは酷くあれに似ていて私は好奇心でそれを追いかけた。
目の前で飛び回るオレンジ色のカエルのあとをひたすらついて回った。
急に目の前が明るくなったかと思えば身体に激痛が走った。
頭からドクドクと血が流れるのが分かる。それはしっかりと熱を持って私の回りに赤い水溜まりを作った。
ぱっと目にカエルが移り込んだ。
なんだ。ただのガマガエルじゃん。やっぱガマ吉がいるわけないよね。
何やってんだろ私。
あーやば、からだ痺れてきた。
死ぬならこんな雨の日じゃなくて晴れて星がよく見える空の下で死にたかったよ・・・。
最後の力を振り絞ってゴロッと体を仰向けにした。汚い空しかないのは分かっているけど、最後にはアスファルトじゃなくて空を見たかったから。
なんだ。綺麗じゃん。
泣いていた空は、泣き止んでいた。
雲は開け、紺色の空には星が小さいながらも輝きを放っていた。
綺麗だなぁ…。
まだ意識はあるけれど最後に目にするのは救急隊員の顔じゃなくて、あの空がよくて私は目をつぶった。
(さようなら。ばいばい。)
私の意識は星空を最後に、暗闇の世界の中で消えた。
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