00.はじまりの雨と雷(1/2)

 背後から聞こえる、少し気だるげな店員の「ありがとうございました」の声に軽く会釈をしながら、会計を済ませた私は店の出口へと足を向けた。ドアの付近まで来ればセンサーが私を察知し、自動で扉が開いた。そして、そこに広がる光景に思わず声が漏れてしまった。

「うわぁ……」

 アスファルトを強く打ち付ける雨粒は目で見て分かる程大粒で、激しい音を立てて次から次へと地面へと降り注いでいる。
 こんな筈ではなかったのに。
 帰宅前、この店に立ち寄ったのには理由があった。
 まず一つ目。今日はジャンプの発売日。目的は「NARUTO」の最新話を読むためである。
 私とNARUTOの出会いはごく一般的なもので、友達に押し付けられるように読まされ、気が付けば自宅に発売済みの単行本が全て揃っていた。簡単に言えばドはまりした。あの時の友人の強引さには少々苛立ちを感じたが、こんなに素敵な作品に出会わせてくれたことに、今は感謝してもしきれない。
 この作品のファンになってまだ日は浅いけれど、胸を張って好きだと言える程、大好きな作品である。
 話はそれたけれど、書店に立ち寄ったもうひとつの理由はこの雨である。
 見ての通りの大雨。元から書店に来る予定ではあったのだが、タイミングよく雨が降り始めた。予報にはない雨で、降り方もゲリラ豪雨の様だった。通り雨だろうと、目的のもの以外も見て周り、気になる本があれば手に取り、パラパラと捲ってはもとの場所に戻すを繰り返し、時間を潰した。
 会計が終わる頃には小雨になっていて、常時持っている折り畳み傘をさして帰宅する予定だったのだが、予想は大きく外れ、寧ろ激しさを増してしまったという訳だ。
 雨宿りなんて考えずにさっさとジャンプだけ買って帰ればよかった。
 ため息をつきながら、鞄に押し込めたビニール袋を数枚取りだし、それにジャンプが入った書店のロゴがプリントされた袋を入れた。ビニール袋で何重にも防水されたジャンプを鞄にしまい、そこへ鞄用のレインカバーをかけた。
 これだけすればジャンプは濡れない筈だ。
 服は濡れても乾くし、今は雨に濡れて風邪を引くような季節でもないし、幸い此処から自宅はそう遠くない。
 もう少し雨宿りをするのが最善だと思いつつ、早く最新話を読みたいという気持ちと、これから更にひどい雨になるかもしれないという勘が私を雨の中へと掻き立てた。
 頼りのない小さな折り畳み傘を差し、意を決して豪雨の中へと飛び込んだ。
 どう頑張っても服は濡れる。ジャンプだけ濡れなければいい。鞄を胸に抱き、早足で自宅への道を進む。
 ひたすらに足を進め、自宅付近まで来た時には、天候は更に悪くなり、雨と言ってはとても足りず、滝の中にでもいる気分だった。
 自身の足音が激しい雨音に掻き消される。
 靴も服は当然びしょ濡れ。風に煽られた雨粒のせいで、傘を差しているというのに私の髪や顔も僅かに濡れている。
 ここまで酷くなるのなら、あの書店で雨宿りをしていた方が良かったかもしれないと、またまたそんな後悔をしたが、もうすぐ家に着く。それよりも買ったものが濡れていないか、それだけが心配だった。
 家に帰ってすぐに読もうと思っていたけれど、まずはお風呂にはいるのが先になりそうだ。
 全身ずぶ濡れ過ぎて逆に開き直ってしまう。いっそのこと傘を畳んで全力疾走で帰った方がいいのではないかと、思案していると、悲鳴にも近い泣き声がどこかから聞こえてきた。声の感じからして子供だろう。
 まだ雷は鳴っていないけれど、こんなに激しい雨が降ることなんて滅多にないし、子供にとっては例え家の中にいようと恐怖を感じるかもしれない。しかし、その声はどこかの家から聞こえてくる籠った音ではなかった。
 雨音の中でもかなり鮮明に響くその泣き声。まるですぐそこにいるかのような……。
 そんな時、私の視界に何かが横切った。反射的に目で追えば、オレンジ色の丸っこい物体が目に映った。
 あれは、カエル……?
 オレンジ色のカエルなんて珍しい。私の両手に乗せたら丁度良さそうな大きさである。
 色的にも柄的にも大きさ的にも、「ガマ吉っぽいなー。ガマ吉がいたらあんな感じなのかな」と考えながら、ぴょんぴょんと跳ねるカエルの行く先を何となく目で追っていたが、思わず息が詰まり、瞬間に心臓が跳ね上がった。
 私の視線の先には、豪雨に打たれ、泣き声をあげる赤ん坊がいた。
 道端に赤ん坊が放置されているという、あまりにも不自然な状況。しかし、このおかしな状況を指摘している場合ではなかった。
 一瞬だけ空が光る。雷だ。空を見上げるなり、私は手に持った傘も胸に抱えた鞄も全て放り出してその赤ん坊の元へと駆け出していた。
 私は特別な能力もないただの一般人。それなのに今だけは、全てがゆっくりと時を刻むように見えた。 
 私のほぼ真上で光った雷が少しずつその赤ん坊を目掛けて落ちている。
 自分が産んだ子でもないし、そもそも想い合うパートナーすらいない。かといって身内の子供でもない。赤の他人の初めて見る赤ん坊。子供は好きでも嫌いでもない。自分には、己の命を危険に晒してまで見ず知らずの人間を助けようとする勇気も正義感もないと思っていたのに。
 それでも、雷に打たれそうになっているこの赤ん坊を私が助けてあげなきゃと、何故だか必死になっていた。
 その赤ん坊に手が届く時、雷はもうそこまで来ていた。 
 手を伸ばさなければ私だけは助かったかもしれない。しかし、頭よりも早く体が動いていた。
 地面を強く蹴り、目一杯伸ばした指先が赤ん坊に触れた次の瞬間には、全身に激痛が走った。雷に打たれたのだと理解するのにそう時間はかからず、形容しがたい強い痛みは徐々にふわふわと体が浮くような感覚へと変わっていき、やがてその感覚すらも無くなっていった。
 私、死ぬのかな。
 自分が今、目を開けているのかも分からない。煩わしい雨音はどんどんと遠くなって、辛うじて残っていた意識も朦朧とし始めた。
 まだそんな年でもないし、自分の最後なんて想像もしたことも無かった。本当にこれが最後なのか。しかし、死の実感はなくて、悲観的にもなれない。それでも、今ここで意識を手離したら最後だということだけは分かった。
 これまでの短い人生の中で、特に死にたいとか生きたいとか考えたり思ったことはなかったけれど、死を目の前にした今思うのは、もう少し生きたかった。
 そうしてふと、鞄の存在を思い出した。
 何とかジャンプだけは濡らすまいと防水を施したが、投げ捨てた鞄は今頃水溜まりの中だ。流石にもうダメだろう。
 せめて今日のジャンプだけは読みたかった。もっと欲を言うならNARUTOを完結まで読みたかった。
 死ぬ前の後悔がこれとは笑ってしまうが他になにかと言われてもすぐに思い付かない。
 考えようとすればする程思考力は失われ、意識が遠退いていく。
 あぁ、もう本当にだめみたい。
 薄れゆく意識の中、私はもうひとつ思った。
 私が助けようとしたあの赤ん坊はどうなったのだろう。赤ん坊を助けられたのか、それとも私と同じように死んでしまうのか。
 感覚を全て失った私には確かめることもできず、無事に生きていることを願うことしかできない。
 今更だけど、あの子は何故あんな場所に居たのだろう。屋根もない道のど真ん中に放置されたおくるみに巻かれただけの赤ん坊。
 あの子の親はどうしたのか。何をしていたのか。赤ん坊を拉致されてその後道端に放置されたのか。それともこの子の親がこんな場所に赤ん坊を捨てたのか。
 色々仮説を立てても、あんな風にあんな場所に赤ん坊が居たことは不自然であることに変わりはなかった。
 もしあの赤ん坊が助かったのなら、安全な場所で温かい人たちに囲まれて幸せに生きて欲しいなと、そんな漠然としたことを願った。
 もう二度とこの目を開けることはないと思っていた。そして、激しい激痛で再びこの目を開くことになることも知らず、私は繋ぎ止めていた意識を手離した。──



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