聞こえるのは雨の音。それから何かを裂くような雷の音。
今まではその音が止むのを願う事しか出来なかった。ただ雫が落ちるのを眺め、雫が落ちる音をただひたすら聞いていた。
だが今はどうだろう。
もう祈る必要は無くなった。何故かって、自分で止ませる事が出来るから。俺は天気をも操れる力を得た。
「俺は……神だ」
その声は、けたたましい雷鳴によって掻き消された。まるで俺を否定するかの様に。
* * *
「長門。少し出掛けてるわ」
「……あぁ。」
そう返事をして俺は目を閉じた。スンと鼻を鳴らせば錆びた嫌な匂いの中に花の甘いにおいを見つけ、そこでやっと理解した。
ーー今日は弥彦の命日だ。と
小南は元から表情豊かな方ではなかったが、笑った顔はここ最近ずっと見ていない。
何時からだ?と疑問を持たずともすぐに答えは出る。
弥彦が死んだ日からだ。
そこにいるのは弥彦ではなくペイン。例え肉体が彼のものであろうとも、決してアレは彼ではないのだ。
重い扉が閉じる音がしてやっと血が出るほど唇を噛み締めていると気付いた。溜まった血が口角から滑り、手の甲に落ちた。
短い痛みに反応することもなく、俺はまた目を閉じた。
こんな傷。痛みでも何でもない。
ーー俺の感じた痛みと比べれば
* * *
あの時弥彦と小南を守ると誓ったのは誰だ?
平和にすると誓ったのは誰だ?
こうなったのは誰のせいだ……?
息が詰まって、乱れた呼吸が雨音と混ざる。
ーー脳裏に写し出されたのはあの日の光景だった。
--あぁ俺は
「私の事はいいから二人共ここから逃げて!!」
--なぜあの時
「……長門…俺を殺れ」
--苦無を握ってしまったのだろう
じわりと手首を捕まれる感覚が走った。
それからなま暖かい熱をもった液体が俺の手を伝った。
「小南と…
なんとしてでも生きのびろ…」
--それは弥彦の血
冷たい雨のせいでその熱はあっという間に失い、ベタついた液体の感触だけが残り、次にはその赤いものを全身に被ったような錯覚に襲われた。
「…お前は…この世の…救世主だ…
それからよ… 」
小南の悲痛な叫びが響き渡った。小南の漏れるような泣き声が俺の耳に届いたとき、言葉にならない感情が次から次へと溢れ出した。
頭には弥彦の言葉が繰り返し流れていた。
--俺は……救世主なんかじゃない
「やるな小僧!ワシの火遁をくらいながら逃げ切るとは!」
半蔵の術で両足が焼けようとも、俺は痛みを感じなかった。
小南が俺を止める声も聞こえなかった。
俺に乗り移った狂気から解放された時、そこには数えきれないほどの亡骸が赤い水溜まりに顔を浸け、冷たい雨に打たれていた。
平和にすると誓ったのにこれはなんだ?
こんなのまるで地獄だ。
不意に襲われた目眩で体が傾けば、過去の記憶が走馬灯のように瞼の裏に浮かんだ。
--ボクは……弥彦と小南……それとアキラを守りたい
--平和になったら…
俺たちが平和な世界をつくったらアキラに会いに行くから…
それから弥彦が残した最後の言葉。
--それからよ……
お前……ちゃんとアキラに会いに行けよな…
弥彦が俺とアキラの約束を覚えていたのを驚くと同時に絶望に近いものを感じた。
あれは平和な世界をつくったら、俺たち全員で…。俺と小南、それから弥彦。3人で会いに行くという約束だ。
三人揃ってなければ意味がない。
何一つ守れなかった俺が会いに行ったところで何なる?
どんな顔をして会えばいい?
弥彦がこの世界にいないことをどう説明すればいい?
悲しい顔をさせてしまうならアキラに会う意味がないんだ。
どこか遠い目をしてこの世界を眺めるアキラを笑顔にさせたかった。
平和な世界をつくったらきっとアキラはもっと笑顔を見せてくれると思って。
俺はもうアキラに会いに行かない。
--いいや。会いに行けない。
* * *
--失う
たったそれだけの言葉。
だがそれだけではおさまらず、次には言葉で言い表せないほどの、喪失感、絶望、後悔、罪悪感が体の内から溢れ出す。
だか稀に失うと同時に何かを得る事もある。それが良いものか悪いものなのかは人それぞれであり、失い方によっても違う。
--弥彦を失って俺は何を得た?
この世界への怨みくらいしか出てこない。
* * *
俺が今でも平和を追い続ける理由は何だろう。
--弥彦の意思を継ぐため。
それも一つの理由だ。
それからもう一つ。
『俺たち』の生きているという証明になるからだ。
アキラに会いに行かなくてもこの世界を平和にすれば、弥彦を含めた俺たち三人がこの世に存在している事を示す事が出来る。
だから、ない弥彦の存在をつくるために俺はペインを動かし続けるのだ。
平和とはなんだ?
俺のやっていることは正しいのか?
そんな自問自答を繰り返す。
答えが出てもまた同じことを疑問に思う。
--なぁアキラ君ならこの答えが分かるだろうか。
俺は目を閉じながらアキラに問った。
俺たちの目の前に仮面の男が現れたのは、この数日後のことだった。ーー
←│
→
←│
→