プロポーズには涙がつきもの

キバナープロポーズには涙がつきもの



 久々のオフ。自宅でのんびり過ごせるのはいつぶりだろう。そして、彼女とこうしてゆっくり時間をとって穏やかな時間を過ごすのはいつぶりだろうと、コーヒーを注ぎながら思った。

 今日の休みは、仕事の予定がずれ、急に出来たものだった。ジムリーダーの仕事はかなり多い。試合に向けてのトレーニングは勿論、その他にも街の治安だったり、スポンサーとの打ち合わせやそれに関する撮影、ポケモンリーグ関連の仕事も。数え出せばキリがない。つまり何が言いたいかというと、かなりキツい。スケジュールの調整は常に行わなければならない。


 ナマエと出会ったのは随分と前で、付き合い始めて数年が経過してる。自分の仕事のせいで、会う約束や出掛ける約束を破った回数は数えきれない。電話やメッセージで伝えられればまだいいが、それすら出来ない時もあった。ナマエに会いたい気持ちや申し訳ない気持ちで一杯になる。でもオレは謝ることしかできない。
 怒られても仕方がない。別れを告げられても、連絡すら取れなくなっても仕方がない。でも彼女はいつでもオレを許してくれた。身体に気をつけて、無理はしないで、頑張りすぎないようにね、と言ってくれた。

 “ナックルシティジムリーダー・キバナ”である”オレ”と、付き合っていたいだけと彼女を疑った時もあった。しかしそれは全くの思い違いだった。彼女は、自分をただのキバナとして見てくれる、ただのキバナという人間を好いてくれている存在で、自分にはもったいないくらいの女性だった。


 自分よりももっと幸せにしてくれる男がいるはずだと、ナマエに言ったことがある。何よりも大切な人だから、幸せになって欲しい。でも、自分は幸せにしてあげられない、だから……。そう思っての事だった。
 胸が張り裂けそうな思いで言ったが、彼女はきょとんとした顔の後に、可笑しそうに笑った。



「私がもしそう思っていたら、とっくにあなたとは別れているわよ。でも私はずっとあなたと付き合ってる。」



 ここまで言えばわかるでしょう?と、彼女は意地悪く笑ってみせた。
 オレは目を丸くして驚いた。そんなオレを見て、ナマエは「おかしな顔」と言って笑い出した。それから、中々会えないのはオレと付き合うと返事をした時から覚悟していた、と。その言葉に、溜まった不安がすっと消えていった。
それと同時に、自分の覚悟が足りなかったことや、今まで彼女に甘えていた部分を反省し、彼女との付き合い方を改めた。

そうして今に至る。正直、恋愛にはいい思い出があまりないし、人に語れるほどの経験もない。ナマエだからこそ、ここまで付き合ってこれたのだと思う。
これからもずっと一緒にいたい。生涯をともにしたい。でも、中々言い出せない。理由は分かっている。自信がないんだ。
結婚したからといって、今の生活が変わることはない。仕事は今まで通り忙しいだけ。ただ結婚し、ただ同棲する。そんな形だけの結婚になってしまうのではないかと思ってしまうのだ。我ながらヘタレだと自嘲した。


ふぅ、とひとつ息を吐き、入れたばかりの熱いコーヒーを彼女のいるリビングへ運んだ。
コーヒーを手渡すと、ナマエはふわりと微笑み「ありがとう」と言った。オレもそれに応えるように笑いかけ、彼女の隣に腰掛けた。
座っているソファの正面には立派なテレビがあるというのにつけもせず、久々に会える喜びを噛みしめながら、ナマエとの会話を楽しんだ。



 トレーニングと同様に休みも必要だと頭では分かっていても、どうにも何かしていないとソワソワしてしまう。特にリーグ期間中は、休みが休みでなくなることも多々たあった。
 だが今はどうだろう。休みらしい休みの日を過ごしている。会話の話題にリーグの事があがっても、不思議とソワソワした不安な気持ちにもならない。
 彼女が隣にいるだけで、こんなにも心穏やかになる。これからもずっと一緒にいたい。ずっと隣にいたい。ずっとこうしていたい。気付いた時には言葉が出ていた。



「結婚しよう」



 自分が何を言ったのか分からず、一瞬思考が停止した。そんなことを言うつもりは無かった。
 いや、確かに彼女と結婚できたら……と思っていた…しかし、自分の仕事は安定したものではないし、今の生活が続く限り、ただ同棲するだけになってしまうだろう。今まで以上に彼女に甘えてしまう。もっと自分がちゃんとした、余裕が持てるようになったら言おうと思っていた。
 それに雰囲気も何もない。おまけにピシッと決めたスーツを着ているわけでもなく、彼女の指にぴったりの指輪だってない。さらに加えて、今言うつもりも無かった最低最悪のプロポーズだ。
 オレはすぐに撤回しようと口を開いた。



「い、今のは……」
「あなたさえ良ければ」



 彼女はふわりと笑ってみせた。それはいつか見せた、「覚悟していた」と言った時と同じものだった。
 あぁ……。彼女はずっと……こんなにも自分を想ってくれていたんだ。覚悟が足りていなかったのは今も昔もオレの方で、そんな自分を彼女はずっと待っていてくれていたのだ。
 あのプロポーズはつい出てしまった言葉だと、彼女は気付いているかもしれない。彼女がオレさえ良ければと返したのはきっと、そのあとオレがイエスもノーの言いやすい様にするためだ。さっきの返事は、オレが覚悟出来るまで待つと、そういう意味だったんだと思う。
 彼女はこんなにも自分のことを考えてくれているのに、オレは甘えてばかりで何もしてやれない。自分が不甲斐なくてたまらない。でも、それでも、彼女の隣にいたいんだ。



「あ、れ……?」
「これじゃあどっちがプロポーズされたか分からないわね」



 彼女の手がオレの頬に触れた。細められた彼女の瞳には、頬を濡らした自分の顔が映っていた。オレはなんとも言えないひどい顔をしていた。
 そんな自分の顔をこれ以上見せたくなくて、好きではとても言い表せない愛しいその人に触れたくて、オレは彼女の手を引いて自分の胸に閉じ込めた。
 自分の中でとても大きい存在であるのに、その体は自分よりもずっと小さい。じわりじわりと体温が混じり、お互いの心音が重なった。オレはもうこの人を離すことは出来ない。本当はずっと逃げていたんだ。それなら今ここで覚悟を決めよう。



「一生幸せにする」



 鼻声混じりの震えた声。格好良いとはとても言えない。それでも彼女は短く「えぇ」と返事をした。それだけで心が震えた。
 もっとずっとこうしていたい。だが、やらなくてはならない事がある。一度だけキュッと強く抱きしめてから、ゆっくりと体を離した。



「指輪、買いに行こう」



 彼女はまた、「えぇ」と短く返事をした。
 その時見せた笑顔は、今まで見た中で一番綺麗だった。ーー
 

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▼あとがき▼
読んでくださりありがとうございました!
キバナさんには穏やかな恋愛をして欲しい……。お幸せにーー!!!

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