絶望は恋の始まり

 信じたくないものってやっぱりある。でも、現実が全てであって、信じたくなくてもそれが現実である限り受け入れなくてはならない。そうして、先へと進むのだ。それでも、信じたくないものは信じたくないのだ。


 寒空の下、行く場所など無いというのに重たい足を引きずり、さ迷うように歩いている。さ迷うようにではない。本当にさ迷っている。
 それでは、私に何があったのか順を追って話そう。
 私には同棲している彼氏がいる。付き合ったばかりの頃は好きだったが、だらしがなく自立していない彼に冷めるのはそう時間はかからなかった。
 だが、一度は好きになった人だし、行く場所もない彼を放り出す冷徹さも持ち合わせておらず、同棲を続けた。就職もせず、コロコロとアルバイトが変わる彼に、呆れながらも心配してしまう。異性として好きという感情は、親が子を心配する親心に近いものへと変わっていった。
 今日はいつも通り、彼より早く家を出た。いつも見送ってくれるから、私が出勤した時の玄関の鍵締めは彼に任せている。この時、鞄にはいっている筈の鍵が入っていない事に気付いていたら、こうしてさ迷うこともなかったかもしれない。いや、鍵があっても結果は同じだっただろう。それはさておき、話を進めよう。
 いつもなら、通勤中にスマホでニュースを見たりするのだが、寝る時に充電していたはずのスマホは充電されておらず、残り20%をきっていた。鞄に入っている筈のモバイルバッテリーもケーブルも、今日に限って持っていなかった。
 ここまでならただついていなかったと、それで終わっただろう。
 会社に着くと、いつもとは違う妙な雰囲気が漂っていた。大きな会社ではないが、社長に会うことは滅多にない。それに加えて、この嫌な空気。何か良くないことがあったのは明白だった。そうして、社員全員が集まった所で、社長は言った。倒産したと。
 社員は全員解雇。突然すぎて頭が追い付かない。でも、それが現実だ。ひとまず家に帰って落ち着こう。少ない荷物をまとめ、来た道を引き返した。が、そこで問題が発生した。
 モバイル版の定期を使っていたのをこれ程恨んだことはない。スマホのバッテリーが切れていた。充電するバッテリーもない。まぁ仕方ない。切符を買うしかないと、鞄を漁った。そしてまた問題が。鞄にはいっている筈の財布もなかった。電車で片道2時間の距離。徒歩にしたらどれくらいかかるのだろう。気が遠くなるが、歩くしか帰る方法はなかった。
 途中お腹が減っても食べるものも持っていないし、買うことすら出来ない。飲み物は、公園の水飲み場でどうにかした。雨ざらしだし、飲むには抵抗があったがそんなこと気にしてもいられなかった。
 途中途中で休みながらだったのもあり、自宅に着いたのは日は完全に落ちた頃だった。
 ちらりと家の明かりを覗いたが、電気が着いていない。彼はバイトにでも行ったのだろうか。アパートの階段を登り、家の扉の前に立つと、とてつもない違和感を感じた。胸騒ぎがしてならない。鞄を漁ったが、どこを探しても鍵が見当たらない。おかしい。気付いた時には遅かった。



「あらこんばんは。」



 少ししゃがれた声がした。私はそちらに体を向けぺこりと頭を下げ挨拶を返した。隣の部屋の年配の女性である。ひねくれていて、よく嫌味を言ってくるから、あまり会いたくない人物だが、隣人であるしトラブルを避けるためにも愛想よくしていた。



「急にいなくなっちまうんで驚いたよ。引っ越すなら挨拶ぐらいしたらどうなんだい。全く最近の若者は……」



 ……は?
 私の思考は停止した。問い詰めると、昼間、隣がうるさいと様子を見にドアを開けたら引っ越し業者が来たとかなんとか。
 つまりは、私の家は無くなり、身分証明書も通帳も判子もカードも全部奪われた事になる。
 かっと頭が熱くなる。あのポンコツに一発ぶちかましてやらないと気がすまない。バイト先に乗り込もうと思ったが、きっとそのバイト先にも居ないだろう。震える拳は行き場を失った。
 そうして冒頭に戻る。これをどう信じろというのだろう。きっと、スマホが充電されていなかったのも、鞄にはいっているだったモバイルバッテリーもケーブルも財布も鍵も全部あいつの仕業だろう。
 警察に行けば対処してくれる。そんなのは分かっている。ただ、会社の倒産、突然の無職、もとより信じてなどいなかったが同居人に裏切られ全財産を失った。絶望で怒る気すら起きない。
 心も体も限界で、道ばた壁に体を預けた。そのままずるずると力が抜け、その場に座り込んだ。何も考えず歩いたせいで、ここがどこかも分からない。夜も更け、歩いている人はほぼいない。
 吐く息が白い。手がかじかんで足の感覚はほぼない。そんな私に追い打ちをかけるように白いものがちらついた。雪だ。
 ただでさえ真冬で寒いのに、雪となればいよいよ本格的に生命の危機だ。何をする気も起きず、私は膝を抱えた。こうしていれば少しは温かい。最後の抵抗のようなものだった。
 そんな時、誰かが私の前で立ち止まった。俯いていた私の視界に、高そうな皮の靴が映った。私は自暴自棄になっていて、勝手に口が動いていた。



「私をいくらで買ってくれる?」



 体を売れば、とりあえず室内には行けるだろうしお金も貰える。ノーと言われてもしがみついてやる。
 しかし返ってきた声はとても穏やかで、とても温かかった。



「……人は金じゃ買えないぜ。
ひとまず温かい場所へ行こう」



 ふわりと体が宙に舞う。何が起きたのか一瞬理解が出来なかった。冷えきった体に人の体温は火傷しそうなほど熱く感じた。私は逞しい腕に抱かれていた。
 体力が限界を迎えていたことに加え、見たことがある金色の瞳と視線が混じり、私の記憶は途絶えた。
 そこから先はあまりよく覚えていない。今、目の前にいるというのに、未だに死にかけていた私を助けてくれたのが、元チャンピオンである、あのダンデさんであるのが信じられない。
 目を覚ましたあと、ダンデさんに何があったかを聞かれ、話を終えるとダンデさんは、私にゆっくり休むように言ってどこかへ行ってしまった。それから数時間後、ダンデさんと一緒にあのクズ野郎に奪われたものが全て戻ってきた。当然、かなりの額を使われていたが、人の金でよくもやってくれたものだ。身分証を売られる前に取り返せたのは不幸中の幸いだ。
 自分が感じていた以上に、思い詰めていたのか、安堵した私は年甲斐もなく声をあげて大泣きしてしまった。全く恥ずかしい話であるが、大きくて温かな手は、私が泣き止むまで背中を擦ってくれた。
 気持ちが落ち着いて、冷静になった私は穴があったら入りたい気持ちで一杯だった。すみませんと謝ると、ダンデさんは謝ることはないさと笑って見せた。優しすぎるそれは私の心臓を鳴らした。
 ぱんぱんになった目を冷やした方がいいと言って、氷のうを持ってきてくれるし、私が今いるバトルタワーの仮眠室を住む場所か決まるまで使っていいと言ってくれるし、優しすぎて、弱った私はどろどろに溶かされていった。



「それと……。今人手が足りないんだ。」



 君が良ければと、事務の仕事をしてくれないかと続けた。私は二つ返事で引き受けた。神様は私を見捨てたわけではないようだ。
 今日は疲れているだろうからと、契約書やらの手続きは明日になった。ダンデさんは、何かあったら内線で電話するように言うと、「また明日」と微笑んで仮眠室から姿を消した。
 ふぅ、と息を吐きベッドに倒れ込んだ。何て自分はちょろい人間なのだろう。単刀直入言おう。ダンデさんを好きになってしまった。ちょっと優しくされたくらいで好きになるとは。触れられた背中がまだ熱い。この胸の高鳴りは間違いなくそれだった。
 それにしても昨日今日で色々ありすぎた。心配事が消えたからといって疲れる取れる訳ではない。そうして私は眠った。そしてとても懐かしい夢を見た。
 帽子を被った紫色の髪をした褐色の少年。その隣には私がいる。十年近く前の出来事だろうか。道に迷ったと困っていたその少年に道案内をした記憶がある。目を離すとすぐどこかへ行ってしまうし、案内するのも大変だったけれど、とても楽しかった思い出だ。
 その数時間後に、親の転勤で別の地方に引っ越したから、それ以降彼と会うことはなかった。ガラル地方に戻ってきたのも、ここ二、三年の話である。
 幼い頃の記憶なんて年を取ればとるほど忘れていく。彼の名前も顔もぼんやりとしか思い出せない。ダンデさんを小さくしたらあんな感じだろうか。そんな事を思いながら、さらに深い眠りへと落ちていった。




ーー「やっと君に会えた」


 コツコツと音を立てて廊下を歩く男性は、紫色の髪を靡かせた。


 ダンデさんと私が深い関係になるのはまた別の話である。
 

───────────
▼あとがき▼
ご閲覧ありがとうございます!長年片想いしていたダンデさんでした(???)
かなりぶっとんだ設定でしたが、楽しんでいただけたら幸いです(*^^*)

───────────
よろしければ…→ 拍手or感想

更新催促アンケート




 

戻る】【TOP
拍手】【更新希望アンケート
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -