雨宿り

ーーその日は運が悪かった。

 寝坊して天気予報を見忘れた訳でもなく、梅雨でもなく、ゲリラ豪雨がよく発生するような季節でもなかったのに。


 オレは晴れ空の下、雨に打たれながら石畳の道を駆けていた。普段あまりかぶることのないフードを深く被り、雨宿りできそうな場所を探した。雨の予報が出ていたのに傘も持たずに外を歩いていたなら仕方がないが、天気雨は誰も予想が出来ないだろう。ついてなかったというしかない。

 建物の少し出っ張った屋根を見つけ、オレはそこで雨宿りすることにした。その軒下にたどり着く頃には、靴やパーカーは中々に濡れてしまっていた。この後、特に何も予定がなければ問題ないが、これも運悪く、予定がある。

 オレがナックルシティの街中を歩いていたのにも理由がある。午前は、ジムリーダーとしての書類業務やらをこなしていた。昼休憩になり天気がいいからと気分転換で外に出た、という訳だ。確かに気分転換にはなったが、雨に濡れるというおまけつきとなってしまった。因みに午後も、別の書類業務が控えている。



「はぁ、ついてねぇな」



 雨が嫌いだとか、雨で濡れるのが嫌いだとか、そういうのは一切ない。雨はどちらかと言えば好きだし、雨に打たれるのは好きだ。
 ただ、この後室内で書類業務があるから……、ただそれだけなのだが、ついぽつりとそんな言葉が出てしまった。



「そうですね」



 自分のものではない、落ち着いた女性の声が聞こえた。ぱっとそちらに目をやれば、オレと同じように肩を濡らした女性がいた。オレほどひどくは濡れておらず、オレより先にここで雨宿りをしていたのだろう。
 声の通り落ち着いた雰囲気を纏う身綺麗な女性だった。だが腹の中は分からない。仕事柄、年頃の女性に話し掛けられるとつい警戒してしまう。簡単に言えばスキャンダルだ。もう少し気楽に生きたいが、この世界に飛び込んだからにはそうにもいかない。いい加減人間不信になりそうである。
 その女性は鞄に手をやると、取り出したそれをずっとオレに差し出した。



「良ければ使ってください」



 自然とその女性と目が合う。これでも人を見る目は養ってきたつもりだ。相手の目を見れば、考えている事までは分からずとも、向けられた目線が善意か悪意か分かるものだ。
オレはこの女性を疑ったことを激しく後悔した。
 淡い色をしたその瞳は子供の目に似ていた。純粋なそれとはまた違う。どこまでも澄んだそれは今まで見てきた中で一番美しかった。穏やかでありながらも、キラキラと輝く瞳に吸い込まれそうなる。
 気が付けば差し出されたハンカチを受け取っていた。無意識のことだったが、今更返す訳にもいかず、オレは「ありがとう」と言って、そのハンカチを握った。
 きちんとアイロンのかかった薄桃色それは、ずぶ濡れの服にはもう手遅れだが、顔を拭くには丁度いい。水を吸ったフードを脱ぎ、ヘアバンドを下げた。拭いたのは顔だけなのに、気分は随分とすっきりした。普段好きな雨も、意図せず打たれると不快に思うものだなと呑気なことを思った。
 ふと隣の女性に目をやると、雨に打たれる景色を見ていた。その瞳は、先ほどオレを見ていたそれよりも輝いている。俺の視線に気付いたのか、彼女の唇が動いた。



「お天気雨って、ついてないなって思うんですけど、この景色を見られるなら良いかなとも思うんです。」



 その輝く瞳に映るそれが見たくて、彼女と同じ様に雨の降る石畳の道に目をやった。一瞬、周りから全ての音が消えた。
 それは彼女の瞳のように輝いていた。雨が降る時は決まって厚い雲が空を覆っていて、太陽の光は遮られ、昼であれど薄暗さを感じさせる。だが今はどうだろう。遮られる事なく太陽の光を受ける雨粒は眩しいほどキラキラと輝いていた。落ちる雫も、石畳の道を跳ねる飛沫も、屋根からぽたぽたと滑る雫も。それによって彩られる見慣れた街の風景も、雨が降っていると感じさせない真っ青な空も全てが美しかった。
 この人が見ている世界はこんなにも美しい。それと同時に、自分の余裕の無さを感じた。天気雨に降られたのは、確かについていなかった。しかし、落ち込んだ視線を持ち上げれば別の世界が見えて来る。隣にいて、同じ場所にいて同じ景色を見ているはずなのに、言われるまで気付けずにいた。
 オレの目は、この人のように輝いているのだろうか。もしかしたら、彼女にはもっとキラキラと輝いて見えているのかも知れない。この景色だけじゃない。この見慣れた街も、彼女にはもっと美しく鮮やかに映っているのかも知れない。彼女の見る世界をもっと知りたい。それほどに綺麗な目をしたこの女性を素敵だと思った。



「あ。雨、止みましたね」



 いつの間にか彼女を見ていた視線を、軒下の外に移した。すると、目の端に彼女の姿が映った。軒下から一歩踏み出した彼女は、くるりとオレの方を向いた。



「それじゃあ、先に行きますね。あっ、ハンカチは捨てて頂いて構いません。」



 何を言う間も無く、その女性はぺこりと頭をさげ、失礼しますと言って行ってしまった。オレは呆然とその後ろ姿を見つめていた。
 手に持っていた花の香りのするハンカチをきゅっと握りしめた。捨てるなんて、そんなのできる訳ない。
 また会いたい。もっとあの人の見る世界が知りたい。そしてオレもその世界を見たい。ポケットにハンカチをしまい、オレは一歩を踏み出した。皆んながまっすぐ前を向いて歩くのに対してオレは空を見上げた。そこには、うっすらと虹が掛かっていた。いつものオレだったら、今街を歩く人々のように、見逃してしまっていただろう。口元には自然と笑みが浮かんでいた。
 沈んでいた気分は、綺麗さっぱりどこかへ行ってしまった。オレを待つ書類業務もサクサクと終えてしまいそうな気すら感じる。



「さてと、オレも行くとするか」



 そうしてオレはまた一歩を踏み出した。


 また君に会いたい。 今度は晴れた空の下でーー
 

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