切っ掛けは一通のメールだった。 今晩は。お元気ですか。 そんな挨拶から始まった、彼女からのメール。 漸く桜の季節になったという内容とともに、近所で撮影したものらしき桜の画像が添付されていた。 今は五月。都心の桜はとうに散ってしまっている。 彼女は北海道に住んでいるのだ。 いわゆる遠距離恋愛である。 『桜の花は下を向いて開くから、出来るだけ幹に近づいて見上げるのが一番綺麗だというので、頑張って見上げて撮影してみました』 その様子を想像し、赤屍は思わずクスリと微笑を漏らした。 そして、ふと思う。 ──桜だけではない。何事も出来るだけ近くで見るのが一番ではないのか、と。 「それで、彼女に会いに行こうと思いたったのです」 「彼女の住まいが札幌でしたので、少し足を伸ばして旭山動物園にも行ってきました。連休だけあって混んでいましたが、彼女も喜んでいましたし、良い行楽になりましたよ」 「水族館も行きました」 「映画館も行きました」 「遊園地も行きました」 「公園にも行きました」 「当然と言えば当然の結果ですが……そうなるとやはり、どうにも離れがたくなってしまいまして、ね──分かるでしょう?」 分からないわよ。 そう言ってやれたらどんなにいいか。 けれど、実際に卑弥呼がした事といえば、「依頼の品よ」と短く告げて、赤屍に頼まれた品の入った袋を渡す事だけだった。 「有難うございます、助かりました」 荷物を用意する暇もなかったもので、と赤屍が笑う。 シャワーの後か、それとも想像するだに恐ろしい行為の後なのか、玄関先に立つ赤屍はバスローブ姿で応対していた。 濡れ髪はぞくりとするほど艶やかで、その端整な容貌に浮かぶ微笑さえもが、何だか禍々しいくらい蠱惑的だ。 一刻も早く立ち去りたくて仕方がなかった卑弥呼は、依頼の品を渡し終えたことで安堵しつつ、足早に赤屍のマンションを後にした。 その細い後ろ姿を見送って、赤屍もまた室内へと引き返す。 ガチン、と頑丈なロックがかかる音を背後に聞きながら、彼は寝室へ向かった。 ベッドの上、身動きすらままならない状態で横になっていた聖羅は、戻ってきた赤屍を見るなり、震える唇を動かして声にならない問いを投げかける。 「『どうして』?」 音としては耳に届かなかったそれを正確に理解した赤屍は、小首を傾げて優しく微笑んだ。 「勿論、貴女を愛しているからですよ、聖羅さん」 これで来年の桜は一緒に見られるだろう。 一番近くで。 |