ホースから迸る冷たい水が、埃っぽいアスファルトの上で跳ねて、キラキラと輝きながら一時的な涼をもたらす。 北のほうではまだ天候が悪い地域もあるようだが、裏新宿は今日もカラリと晴れた真夏日だった。 今日一日で何度かこうして打ち水をしているものの、じりじりと焼けるアスファルトから立ち上る熱は、とても残暑とは思えないほど苛烈なものだ。 一通り店の前に水を撒き終えると、聖羅は水道の蛇口を閉めてホースをしまい、店内に戻った。 「マスター、終わりました」 「お疲れさん。もう上がっていいよ」 バサリと新聞を広げ直した波児が答える。 ピーク時間を過ぎている為、喫茶店HonkyTonkの店内に客の姿は無かった。 ウェイトレス仲間の夏実は買い出しに、レナは非番で銀次達と遊びに出掛けている。 確かにとても忙しい状況であるとは言い難いものの、流石に店長一人では…と思い、せめて夏実が戻るまでいるからと申し出れば、波児は「いいからいいから」と笑って言った。 「今日は"通い妻"の日だろ? 早く行ってやらないと、旦那が待ちわびてるんじゃないか?」 「マ、マスター! そんなんじゃないんです、これはその、家政婦みたいなもので…っ」 「はは、わかってるって。いやでもホント遠慮はいらないよ。勤務時間は終わってるんだし。さ、帰った帰った」 赤くなった聖羅を諭す波児の口調は優しい。 聖羅のよく知る別の『大人の男性』とはまったくタイプは違うものの、やはり年齢と人生経験に見合った余裕というか、懐の深さを感じさせる何かが波児にはあった。 ──いや、『彼』の独占欲の強さや嫉妬深い性質を考えれば、波児のほうが余程人間が出来ているかもしれない。 「じゃあ…お言葉に甘えて、お先に失礼します」 「おう。気をつけてな」 聖羅は身に付けていたエプロンを外して荷物を持つと、波児に挨拶をして店を後にした。 独占欲が強くて嫉妬深い、困った男が待つマンションに向かって。 |