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少しの間、完全に思考が停止していたのだと思う。
それくらい甘く、心蕩けさせられる口付けだった。
心理的には勿論、物理的にも。

「火傷をしたのですか?」

だから、唇が離れて直ぐそう尋ねられた時にも、一瞬何を言われているのかわからずに、反応が遅れてしまった。
至近距離から注がれる気遣わしげな眼差しに、ようやく正気らしきものを取り戻して、あたふたと言葉を探す。

「あ…えっと、赤ワインを入れる時に、ちょっとだけ」

言いながら、内心聖羅は舌を巻いていた。
どうしてわかったのだろう?
確かに火傷はしていた。
赤屍に渡す為に作った、赤ワイン入りのチョコレート。
それを味見した時、まだ温度が下がりきっていなかった為に、ほんの僅か舌に火傷を負ってしまっていたのだが、今の今まですっかり忘れていたのだ。

「まだ痛みますか?」

「いいえ、火傷したことを今まで忘れてたくらいです」

恥ずかしそうに言って笑う聖羅に、赤屍も眼差しを和らげて微笑んだ。
普段、"仕事"の際に彼と対峙する者達が目にするそれとは違う、優しい笑顔で。
運び屋の赤屍と、
恋人としての赤屍
言うまでもなく、聖羅はどちらの赤屍も好きだった。

「それより…チョコレート、どうでした?」

「とても美味しかったですよ。幾らでも食べられそうな程、ね」

食べさせ方も大変好みでしたから。
そう小さく笑って、赤屍は再び顔を傾ける。
ぞくりとするほど綺麗な造りの美貌が近付くのを見て、聖羅は反射的に目を閉じた。
黒い絹糸のような黒髪が一筋、頬を掠めて流れていく。
なまめかしい感触を残して滑り落ちたそれは、彼の手と同じくひんやりとしていて冷たかった。

「聖羅さん…」

「んんっ──」

唇に残っていたチョコレートを生暖かい舌に舐め取られ、そのまま唇を割って侵入した舌に口腔を蹂躙される。
まさぐるように、貪り尽くすように。

は…、と一度深く呼吸する間を与えられたかと思うと、再び深く舌をうずめられた。
今度は、最初のキスの時にそうしたように、チョコレート入りで。

「んー…ふ、……ぁ、ン…んん──!」

絡み合う舌の間で溶けていくチョコレートの感触に頭まで溶けてしまいそうだった。
そうと意識しないまま、赤屍の広い背中に腕を回して縋りつく。
やがて、チョコレートと聖羅の唇の両方を堪能した赤屍は、頬を紅潮させて震えている聖羅の唇を丁寧に舐め上げてから、ゆっくりと顔を離した。

「…貴女は本当に私の『欲』を煽るのがお上手だ」

声が上から降ってくる。
口付けられながら、いつの間にかソファの上に横たえられていたようだ。
見ただけで腰にクるような艶めいた微笑を浮かべた赤屍が、聖羅を組み敷いた体勢のまま見下ろしている。

「な…なんの事ですか…?」

「クス、わかりませんか。貴女も貴女のチョコレートも、どちらも美味しいという事ですよ」

食欲と性欲は人間の基本欲。
その二つを満たしてくれる存在からは離れられない。
ましてや、それが美味この上ないとくれば尚更だ。
しかも計算などではなく全くの無意識なのだから困ったものである。

「ですから、これからも私を満たし続けて下さいね。私の飢えを満たせるのは貴女だけなのですから」

切れ長の瞳の奥にゆらりと欲情の影が揺らめくのを見た聖羅は、混乱しきったまま儚い抵抗を試みたものの、一度燃え上がった赤屍を止められるはずもなく。
結局その夜、チョコレートも、チョコレートの作り主も、赤屍によって綺麗に残さず食べ尽くされたのだった。

The way to a man's heart is through his stomach.
男心を射止めるには
胃袋から。



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