後ろ姿だけで人を特定するのは意外に難しい。 だが、彼は別だ。 「赤羽先生!」 聖羅の呼びかけに応えて白衣の男が振り返る。 人混みの中にあっても頭一つ分高い長身の男は、穏やかな面(おもて)に柔和な微笑を浮かべて、おやと呟いた。 この病院には、その微笑を目にしただけで卒倒してしまう患者もいる。 「確か今夜の夜勤は高橋さんではありませんでしたか?」 「はい。でも、急用が出来たそうなので、私が替わりに」 嘘だった。 本当は自分から頼んで替わって貰ったのだ。 日勤が続いた後の夜勤だからほぼ休みなく働く事になってしまうが、それでも赤羽が当直の日に一緒に働けるのは嬉しい。 「先生、昨日も当直だったでしょう?お疲れなんじゃありませんか?」 「大丈夫ですよ。慣れていますからね。それに、今から珈琲でも飲もうかと思っていたところです」 優秀な外科医である赤羽蔵人は、本来は手術(オペ)がメインだ。 院長がわざわざその為に引き抜いたのだという噂もあるくらいで、普段は当直勤務は免除されている立場にある。 しかし、最近、高齢になった医師が立て続けに引退した事もあり、新しい医師が来るまでの間は、赤羽にも当直が回って来るようになったのである。 とはいえ、急患でも入れば別だが、殆どは近くの救急指定病院に行くだろうし、入院患者達にも重篤な症状の者はいない今夜は、比較的楽な気分で勤務にあたれるはずだった。 「じゃあ、私が珈琲淹れますから、先生は座っていて下さい」 最小限の照明だけが灯る廊下を歩きながら、聖羅は赤羽を気遣う。 「有難うございます。それでは、お言葉に甘えさせて頂きましょうか」 「任せて下さい!」 「ええ、頼りにしていますよ。今夜は二人きりですから、ね……」 ──二人きり…… ドキンと心臓が跳ねた。 大丈夫だろうか? 頬が赤くなっていないだろうか? 声が震えていなかっただろうか? そんな心配をしている間に、赤羽は紳士的な動作でドアの横に立って聖羅を室内に促し、彼女に続いて自分もナースステーションに入って行った。 |