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他所のことは知らないけれど


高校時代に屋上でお昼を食べたり、授業をサボってポカポカ陽気の中で居眠りをしたり。そんなことに憧れていたけれど、実際のところほとんどの学校では立入禁止になっていて私が通っていた学校でも、他の学校に通う友達からも『屋上での思い出』を聞いた事はない。
それから学年一のモテ男と自他ともに認める地味な女の子、もしくは若い先生と生徒の恋物語なんてものも聞いた事がない。
それだけじゃなくて部活に青春を注ぐことも、熱い友情の話や劇的なエピソードも無かった。もしかしたらこれらは体験できたかもしれないけれど。でも私には縁がなかった。

そんな『非ありきたりな日常』が繰り広げられる漫画を、ダラダラと部屋着のまま寝転がって読むのが私の『ありきたりな日常』である。

石油ストーブの上に乗せているヤカンが『ピーッ!』とけたたましく鳴った。居間にはお母さんが居るはずなのになかなか止まないヤカン。

おかあさーんっ!ヤカンうるさい!

大きな声で叫べばトイレのドアの向こうから「聴こえてるならポットに入れなさい!」と今度は母が叫ぶ。
手の中にある漫画の世界はキラキラとしているのに、扉は有ってもこんな風に会話が出来てしまう母と娘が住む2LDKのアパートの中ではキラキラした出来事なんてない。


「アンタ、また部屋にこもって漫画でも読んでたんでしょ。」


ヤカンのお湯をポットに注いでたら、トイレから出て来た母に声を掛けられた。


「お母さんだって似たようなもんじゃん。」


スッピン。スエット姿。つけっぱなしのテレビに写ってたのは撮り溜めていたドラマ。こちらの世界は青春時代特有のキラキラとは違って、愛や欲望なんかが渦巻く大人の世界で何だかギラギラしている。


「お母さんは良いのよ。それに私は20年前、家でゴロゴロしながら漫画なんて読んでなかったわ。」
「はいはい、生まれたばかりの私を育ててくださってましたもんね。当時の母と同じ年齢になったのに、子育てどころかゴロゴロしててごめんなさいね。」
「そんな言い方して可愛くないわね。」


可愛いところは似なくてごめんね。と口にしそうになったけれど、その言葉は飲み込んだ。
全く持って深い意味が無い、何気なく口にした些細な一言が母娘の言い合いになる起爆剤と化すことがあるから。なんとなく今は言っていけない気がしたのは、20年一緒に過ごして来た経験の中で培われた勘。だけどその勘は百発百中では無いから、くだらない母娘喧嘩が勃発する。
逆も然り。母が発した何気ない一言が私の怒りの導線に着火させる事もある。
こうゆうところがあるから私達は似た者母娘だと思える。見た目はあまり似てなくても。外見じゃなくて、性格とか考え方とかそうゆう見えない部分はよく似ている。きちんと母娘だなって。

母と似ていない所は父に似てるのかもしれない。顔も性格も覚えてない、という以前に知らないんだけれども。

父に向かって母はどんな表情を向け、どんな感情で私を産んだのだろう。その時二人の間にはきちんと愛はあったのかな。
気になる様な気もするけれど、それを知った所で私にとっての彼女は『母親』以上でも以下でもないのだから、やっぱり知らないままで構わない。
この20年間、母が私に向けてくれた表情や言葉は愛情に満ち溢れていると感じられるから。


「たまにはご飯でも食べに行く?」
「え?いーっつも休みの日は漫画ばっかり読んでお母さんの相手なんかしてくれないのに。」
「行かないの?」
「うーん、外食も良いけどお母さんは優芽が作った炒飯が食べたいな。」
「また?」
「うん。優芽が作る炒飯は食べ飽きない。」


休みの日にたまに作る炒飯。ネギと卵だけのシンプルな炒飯は後にも先にも母から教わった唯一の料理。
私には自分が作る炒飯がそこまで美味しい物だとは思えないけど、母はいつもそれを美味しそうに食べてくれる。幸せそうな表情を浮かべながら。


「晩御飯はお母さんが作ってね。」
「うん。何食べたい?」
「肉じゃが。」
「また?優芽だってお母さんの事言えないじゃない。」
「だってお母さんが作るが肉じゃが好きなんだもん。」


10分後、2LDKのアパートの中には少し焦げた匂い。皿に盛られた炒飯から立ち上る湯気の向こうの母が微笑んでいる。
スプーンで掬って口に入れた炒飯はいつもよりちょっとだけ美味しく感じた。
窓から差し込む陽が照らすのは母と娘のありきたりな日常風景。



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