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U:君の「当たり前」に心温まる


目が覚めると自分の家とは違う、だけど見慣れてきた天井があたしを見下ろしていた。自分のとは違う肌触りの布団に顔を埋めると、自分の布団とはやっぱり違う匂いがする。洗剤の香りに混じるのは仄かなボディーソープの香り。そこに溶け込むのはほんの少し汗の匂いと室内で吸って移ったであろう煙草の匂い。もしかしたら自分ではなかなか分からないあたし自身の匂いもこの中に僅かながら溶け込んでいるかもしれない。
この場で目を覚ますと感じるそれらは、目覚めてすぐのあたしの心と身体に安らぎを与えてくれる。きっと今日も何かドキドキする何かが待ってるんじゃないかと思わせてくれる。
だけど今日はいつもと違って、隣に感じる体温や息遣いを感じなかった。

まだぼんやりとする意識のまま身体を起こして視線を彷徨わせても、ベッドの横にある大きなCD棚、棚に入りきらず床の上に重ねられているCD、その横にある本棚と同じく棚の中から無造作に抜けた雑誌と漫画が重なった小さな山、ベッドに背を向ける小ぶりなローソファの向こうには消えたままのテレビやオーディオ機器、壁にはシンプルな時計、月日だけが印刷されているシンプルなデザインのカレンダー、クローゼットの横にはキャップなどが掛けられているポールハンガーがあって、この部屋の中に主である健吾君の姿が見当たらない。

そしてこの部屋の中に健吾君の姿が無い事以外に、甘く焦げた匂いが部屋の中に漂っている事に気が付く。
何の匂いだろう、お腹空いてきたな、いやそれよりも健吾君はどこだろう?

色々な考えが頭の中を巡るうちに、ハッキリし始めた意識。とりあえずベッドから出ようと立ち上がったところで、部屋の奥からスエット姿に頭のてっぺんをピョンと跳ねさせたままの恰好でマグカップを持った健吾君が姿を現した。
起きたままの恰好だけど眠たそうな顔ではなく、あたしの姿を捕えると朝日みたいに柔らかい微笑みを浮かべた。


「おはよ。…ってどうしたの?」
「え?」


持っていたマグカップをテーブルの上に置き、私の傍にやってきてくれた健吾君は「怖い夢でも見た?」と言って、迷子みたいな顔でもしてたのであろうあたしを安心させる様に健吾君は黙って優しく頭を撫でてくれる。子供扱いされてるよな、と思いながらも彼の手が心地良くてあたしも黙ってその動きに身を委ねた。


「……真奈美さん?」
「あ、ごめん。大丈夫。ただ起きたら健吾君が居なかったからどこに行ったのかなって。」
「そっか。」
「おはよう。珍しく、健吾君に先越されちゃった。」
「そうだね。真奈美さんもコーヒー飲む?」
「うん。……ところで、何の匂い?」
「あぁ。ホットケーキ、焦がしちゃった。」
「……健吾君が作ったの?」
「今日は珍しく早くに目が覚めたからさ。たまには、って思って簡単そうなのにチャレンジしてみたけど上手く出来なかったみたい。」


そう言って、苦笑いを溢した健吾君。彼のこういった表情を見る様になったのは付き合ってから大分増えた。会社での彼は自分の感情よりも相手の感情や言い分を受け止める事が多いせいか、なかなかこうやって自分の感情を見せる事が少ないと思う。

そんな健吾君が色々な表情を初めて見せてくれたのは、二人でお酒を飲んだあの日。
いつも以上に楽しそうにくだらない話をしたり、お酒や焼き鳥を本当に美味しそうに飲んで食べて、うちに来てからは普段とはまた違った落ち着いた穏やかな表情を浮かべたり、あたしに釣られて顔を赤くして照れた表情を見せたのも。

表情だけじゃなくて、今まで性格や普段の様子から部屋が片付いてないか極端に物が少なそうだと思われたり、料理をする様にはあまり見られないせいかこれまで付き合った彼氏には「え?作れるの?」なんて以外そうな顔をされたけど、健吾君は違った。彼は初めて訪れたあたしの部屋を落ち着くと言ってくれた。部屋が片付いて無いイメージも料理が出来ないイメージなんか無いと言ってくれた。普段職場で見せてる様なイメージだけに捕らわれずに、あたしを見てくれた。

今では健吾君が色々な表情を見せてくれる、二人で居る時は敬語を使わないで話してくれる。そして、男と女が居て女が食事を作るという考えはごく普通の事だと思っていたけど、あたしがご飯を作るという事に対して健吾君は「作って貰って当たり前」という考えは無く、いつだってご飯を食べる前には並べられた料理をきちんと見てから両手を合わせて「いただきます。」と言ってくれる。それは私の料理の前だけでは無く、外食をする時も一緒。ご飯を作ってくれた人に対して、そうやって感謝する心をいつだって持っている人。それが「当たり前」の人。そしてその「当たり前」を誰が作ったどんな料理の前でもずっと続けていく人なんだなと思った。
今まで付き合ってた人達はどうだったろう?初めのうちは作った料理を「ありがとう。」なんて言って食べてくれてたけど、次第に作って貰うという感覚が当たり前みたいになってて。短時間で作り上げた簡単な料理でも、時間を掛けて作った料理でも「出されたものを黙って食べる」みたいになってた様な気がする。仕方がないけれどそれが慣れであり当たり前になっていくと思っていたから、健吾君の変わらない「当たり前」や、慣れによって「変化」してきた表情の多さや話し方は、あたしの心を温めてくれる。

健吾君は「真奈美さんのコーヒー持ってくるね。」と言ってキッチンに向かった。私もベッドから離れローソファの上に座る。するとソファの背もたれで見えなかったテーブルの上には表面が少し黒く焦げてしまった厚めのホットケーキが乗ってる皿と、焼き色は綺麗だけどクレープの様に薄くて少し歪んだ形のホットケーキが乗った皿が置いてあった。
甘くて、でも少し焦げた匂い。それを目を閉じて感じて居たら横から笑い声が聴こえてきて目を開けると、健吾君が私の分のコーヒーを持って戻ってきていた。


「はい、どうぞ。」
「ありがと。どうしてこのホットケーキ厚さが違うの?」
「最初に焼いたの焦がしちゃったから、2回目は薄く焼いたんだ。だから真奈美さんはこっちね。足りなかったら、俺の焦げてない部分あげるよ。」
「ううん。ねぇ、半分ずつ食べよう。あたしにも焦げてるところ頂戴。」
「え?いいよ。焦げたのは俺が食べるから。」
「健吾君が作ってくれたものだから、焦げてる部分も全部食べたいんだ。だから、ね?」


そう言って目の前にある薄く焼かれたホットケーキをまずは半分に切り、今度は健吾君の前にある厚くて焦げたホットケーキを半分に切って、切った半分を入れ替えれば互いの前にある皿には2種類のホットケーキが乗った。


「はい、これでオッケー。」
「……まったく。やっぱ真奈美さんには敵わないな。」


呆れてる様な、でも嬉しそうな健吾君の声を聞きながら、皿の上に乗せた半分ずつのホットケーキを見てふと思う。

昨夜彼の部屋に来る前に夕飯の材料の買い出しをした時「ゆで卵にしたいから」と健吾君は卵も一緒に買っていたのと、昨夜部屋に来た時点で冷蔵庫の中には手を付けて半分以上残っている牛乳は入っていたけど、それだけじゃこのホットケーキは作れない。だって、昨夜買い物をした時にホットケーキミックスは買った覚えが無いから。普段料理をしない、ましてや「簡単そうなのにチャレンジした」とついさっき言っていたばかりだから、彼が自分でホットケーキを作って食べる為に買い置きしていたものとも考えにくい。

だったらいつの間に材料を用意したんだろう?
昨夜あたしが気が付かない間にこっそり買っておいたのか、私に気付かれない様にとホットケーキミックスだけは事前に買っておいたのか。
いずれにせよ、多分彼は今朝偶然あたしより先に起きたのでは無く、初めから早く起きてあたしの為にホットケーキを焼いてくれるつもりだったのかもしれない。
さっきの「たまには」という言葉は「目が覚めたついでに」という意味じゃなくて「いつも真奈美さんが料理してくれるから、たまには俺が。」っていう意味だったのかもしれない。健吾君はそうゆう人。

こうやって、健吾君はあたしの心をポカポカと温めてくれる。
この部屋で迎える朝に感じるドキドキは、こうした彼の思いやりに繋がっている。

敵わないのは、いつだってあたしの方だ。


「材料とか手順に気を取られて火力気にしなかったでしょ?弱火にすれば厚くしても表面はそんなに焦げないよ。」
「火力…。」
「料理の基本だぞ?」
「はい。以後、気を付けます。」
「ふふっ。でもこれ、絶対美味しいよ。」
「焦げてるのに?」
「うん。」


だって、一生懸命作ってくれたんでしょ?だったらどんな味でも幸せな気持ちになれるから。

なんて面と向かって言うのは照れるから言わないでおこうと思う。
普段、料理をほとんどしない彼が初めて私の為に作ってくれたホットケーキ。その形、大きさ、焼き加減、全てをしっかり目から心に焼き付け、「いただきます。」そう言って手を合わせた。


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