あたしの斜め前のデスクに座る彼の、天然かパーマをかけてるのかは分からないけど黒くてふわりとした髪の毛が換気の為に開けられた窓から入った風で揺れている。ネクタイは派手過ぎず地味過ぎず、年相応な色合いや柄の物が多い。今時のさりげないお洒落さんだな、と思う。 無愛想な訳では決して無いが、お喋りという訳でも無くて。周りの人に色々な事を合わせるのがきっと上手なんだと思う。落ち着いて周りの状況を見ているのだけど、ふとした時に何を考えているのか読み取るのはなかなか難しく、年下なのに、落ち着いてると言うかしっかりしていると思えば天然っぽい所もある。 そんな彼、佐倉健吾君はあたしより二つ下の24歳。入社してまだ2年しか経ってないんだっけ?ってたまに思うくらい仕事もこなすし、相手に気を遣う事が出来る。だからと言って信念みたいなのを持っていない訳でもなくて。自分のペースを崩さずに相手に合わせる事が出来るのだろう。 そうゆう所が凄いな、と思うけれど彼の纏う温和の雰囲気のせいか『出来る男』というよりは『いじられキャラ』的な立ち位置でもある。マナや井上さんなんかは特に彼の事を可愛い後輩だと思ってる。 そう、可愛い後輩だと思っていた。 あの日だって初めは、単に仕事で遅れてしまった飲み会では飲み足りなくて、都合の良かった佐倉君にもう少し付き合ってもらうだけだった。そんな軽い気持ちで誘って「次の店はどこにしようかな。」なんて思いながら、交わしたふとした会話。 「佐倉君、マナが言ってたけどさっきの店であんまり飲んで無かったの?」 「あ、はい。いつもよりは飲んで無かったですね。」 「酒飲みのくせに勿体無い。」 「一応、幹事でしたからね。」 「真面目だなー。まぁ、そこが佐倉君の良い所だと思うけど、気を遣って損する事もあるよ?」 「それは、須藤さんもですよ?」 「あたし?」 「はい。須藤さんって何でも楽しそうに体当たりな感じですけど、実は周りをよく見て動いてますよね。仕事にしても。本当は自分のミスじゃなくても抱え込んだり。そして『大丈夫』『平気』って言って頑張ってるから、…なんて言うか時々心配になります。」 「………。」 「あ、生意気言ってすみません。」 「……佐倉君にはそう見えてるんだ。何か今の言葉で救われた気がする。」 「え?」 「ほら、あたしってこんな性格でしょ?だから『大丈夫』って言えば皆『うん、あいつは大丈夫だ。』って思われて結果だけを見られるって言うのかな。結果だけは評価して貰えるけど過程は気にされないって言うか。まぁ、そうゆう風に仕向けてるのは自分なんだけど。だから、きちんと結果以外の部分も佐倉君は見てくれてるんだなって。…ありがと。」 「そんな、お礼を言われる事じゃないですよ。」 「ううん。……ありがと。」 「……ありがと。」それは本心以外何物でも無い言葉だった。 「自分、頑張ってます。」みたいな姿を見せるのはあまり好きでは無くて。 人前ではお調子者で居て、陰で頑張ってる姿を誰かに気付いてほしいとかじゃなくて、自分に自信を持つ為にそうしているだけであって。 佐倉君は、そんなあたしを上っ面だけでは無くきちんとどんな人間かをきちんと汲み取ってくれていた。そして、そんなあたしの事を心配までしてくれてる事が嬉しかった。 それからあたしの行きつけの焼き鳥屋へ足を運んで、自分が美味しいと感じる料理やお酒を同じ様に美味しいと感じてくれたり、今まで話した事がある様で実はまだ知らなかったお互いの一面を知っていったり。こんなに楽しく誰かと話したのはいつぶりだろう?なんて思わず考えるくらいに、佐倉君と過ごす時間は楽しかった。そしてそんな楽しい時間はあっと言う間に過ぎて行った。 佐倉君と別れて家に帰ってから、そのままお風呂に入って寝てしまうにはまだ早い様な気がしてとりあえず部屋着に着替えてぼんやりと過ごす事にした。 明日は予定も入れていない休日だし何かDVDでも借りてこようかなとか、それとも久しぶりに持っているライブDVDでも見てみようかなとか。こんな日は何かを見て夜を過ごすのも悪く無い気がして。 だけど、ふと頭に浮かんだのはさっきまで一緒に居た佐倉君の事だった。「もう家に着いたかな?」なんて思いながら、気が付けば今まで用事が無い限りかけなかったその番号に電話を掛けていた。 もしもあの時佐倉君に電話を掛けてなかったら、彼が家の鍵を会社に忘れていなかったら、始発が出るまでネットカフェで時間を潰そうとしてる彼を家に誘わなかったら……。 あの日を境に二人の関係が変わった訳ではないけれど、あたしの中で「後輩の佐倉君」は「気になる存在の健吾君」に変わった。 いや、それよりも以前から佐倉君の事を心のどこかで意識はしていたのかもしれない。自分が気付いてないだけだったかもしれない曖昧な感情がハッキリと浮かび上がったのが、あの日であっただけ。 普段の何気無い会話のやり取りの中で感じる彼の人間性とか、彼が纏う雰囲気に知らないうちに惹き付けられていて、いずれにせよあたしは佐倉君を後輩として見れなくなる様になっていたと思う。 始まりなんて分からないくらい、気付いた時にはもう彼の事を凄く好きになってしまっていた。 「……さん?…須藤さん?」 「……え?」 「この書類、確認お願い出来ますか?」 「あ、うん。」 「お願いします。」 不思議そうな顔を浮かべる門松君から書類を受け取ると、彼はそのまま静かにその場から離れて行った。門松君は佐倉君よりも年下の後輩。まだまだ慣れない事も多いからなのか、いつも気弱な雰囲気の男の子だと思う。 それにしても仕事中に何を思い出して考えてんだか、と小さく溜息を溢し、門松君から受け取った書類に視線を落とす。そしてそのまま仕事に意識を集中させようとした所で、目の前にあるパソコンにメール受信通知が表示された。 1時間程前にメールを送った客先からの返事かな、なんて思いながら新着メールを確認すると、送信者は斜め向かいの席に座っている彼だった。
そのメールを読み終え、視線を上げるとパソコンのモニターの斜め向かいからこちらを見つめる健吾君と視線がぶつかった。可笑しそうに微笑む彼。 (誰の事考えたと思ってんのよ…。) なんて、今のこの状況で彼本人に言える筈も無く。「うるさい!」という意味を込めて目配せしてから、今度こそ門松君から受け取った書類に意識を集中させた。 あたしの気も知らずに余裕を見せる小生意気な、あたしの心をいつだって掴んで離さない、そんな彼はあたしの大切な恋人。
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