:: 小さな世界で繋がった二人 | ナノ

03:雨上がりの空に架かる


雨は嫌いだ。湿度が高いせいで髪の毛がうねったり気分も重くなったりするし、傘を差してるにも関わらず私の差し方が悪いのか何処かしらずぶ濡れになってしまうから。
何よりも悪い事が起きるのは昔からの決まって雨の日だった。
忙しい母が何とか調整して初めて参加してくれるはずだった遠足も雨で中止。バイトして初めて買ったブランドもののバックは買って早々水溜まりに落とした。昔付き合っていた彼氏に別れを告げられたのも雨の日。始まる事無く終えた恋を意識したのも雨の日。
いつだって雨が私の頬を濡らす。

気だるい体と心を引き摺る様に大学へと向かう。雨は降っていない。だけど厚く空を覆う雲は雨を降らせそうで。しかし朝に見た天気予報で「厚い雲に覆われますが雨が降る心配はありません。」とお天気お姉さんがニッコリ笑いながら言っていたから傘は持ってこなかった。
予報通り雨が降る事は無く、大学で過ごす一日。最後の講義を終えバイト先へ向かうか、友人達と遊びに行くか。今日はどちらでもない。厚い雲でどんよりした空の下、私は自宅とは反対方向へ歩き出した。

訪れたのは大通りから一本外れた所にある小さな喫茶店。私が生まれるよりも前から経営しているであろう古くて、でも温かい雰囲気の店だ。大学に入学してすぐの頃、慣れない土地を知ろうと大学近辺の散策をした際に偶然見つけた。
初めは今まで足を運んだ事が無かった『喫茶店』という場所へのちょっとした好奇心。だけどここで初めて口にしたカフェラテとシュガートーストの味は懐かしい様で落ち着く味で、それ以来私にとってお気に入りの場所。父より祖父の方が年齢が近いであろうマスターとは此処に通う様になってから次第に仲良くなり、今では私を常連兼孫の様に接してくれる。ある日、カウンターでマスターとお喋りしながら「マスターの淹れてくれたカフェラテを飲みながらだったらレポートも頑張って書けそう。」なんて言ったら「こんな場所で良ければ、どれだけ居ても良いからいつでもおいで。」と言って貰って以来その言葉に甘えて、どうしてもレポートが捗らない時はここにお邪魔して奥のテーブル席でカフェラテを飲みながらレポートを書く様になった。そんな時マスターはカウンターでお喋りする時とは違って、おかわりが欲しいタイミングだけを見計らって声をかけてくれる。
そんなマスターの人柄や気遣いも含め、この喫茶店は私にとってお気に入りの場所になっていた。


「雨、降ってきた様だよ。」


空いたカップにカフェラテを注ぎながらマスターが話しかけてくる。
窓には小さな雨粒が当り、サァーっと今は控えめな雨音が外から聞こえ始めた。


「えー。天気予報を信じて傘持って来なかったのに…。」
「帰るまでに上がらなかったら傘貸すよ。千枝ちゃんにはいつもお世話になってるしね。」


カップにカフェラテを注ぎ終えたマスターがニコリと微笑むと目元に刻まれる皺がより一層深くなった。マスターのそんな笑顔は生前優しかった祖父を思い出させる。


「ありがとうございます。」
「まぁ、直に止みそうな雨だから気にせず続けると良いさ。」


そう言ってコツンと叩かれたテーブルの上に広がるのは書きかけのレポート。「頑張って」と言い残しマスターはカウンターへと戻っていった。
貰ったばかりのカフェラテを一口飲み再びテーブルへと視線を向けたが、どうやら私の集中力はパタリと途切れてしまった様。マスターに声を掛けられたからとかじゃなくて、窓の外の雨が気になる。
ぼんやりと窓の外を眺めながらカップを持ったのと同じタイミングでチリンと音を立てたドアベル。何気無くそちらに視線を向ければ、そこには見知った人物の姿があった。


「秋村…?」
「え?…ってなんだ、高梨じゃん。奇遇だな。」


そう言って私の方に歩み寄ってくる中肉中背で猫っ毛の彼、秋村凜とは同じ大学で幾つか同じゼミを取ってる。話す様になったきっかけは入学してすぐにあった飲み会。それから顔を合わせればあれこれと取り留めの無い会話をしたり、食堂で会えば一緒にご飯を食べたり。気付いたら仲間内の一人になっていて、どうやら趣味が似てるらしくCDや本をたまに貸し合ったりする関係。


「雨宿り?せっかくだから一緒にお茶でもする?」
「あ、でもレポート書いてる途中だろ?俺邪魔じゃない?」
「気にしないで。ってゆうか集中力が限界で一旦止めようと思ってたところなんだよね。」
「じゃあ。」
「はい、どうぞ。」


テーブルの上を片付け秋村を迎える。私の真正面に座る秋村の前髪は雨のせいで少し濡れていた。


「高梨はよくここに来てんの?」
「うん。ここ落ち着くから。こうやってレポート書く時とか、あとはマスターのカフェラテがどうしても飲みたくなった時にね。」
「へぇ。この店の前は通る度にちょっと気になってたんだよな。お勧めはカフェラテ?」
「マスターが淹れるコーヒーは何でも美味しいよ。私は甘党だからカフェラテだけど。あとシュガートーストが凄く美味しい。」
「そっか。…すみません、アイスコーヒーひとつとシュガートーストふたつください。」
「ふたつも食べるの?」
「いっこは情報料。って高梨、もう食ってたり腹一杯じゃない?」
「ふふっ。それ、頼む前に聞いてよ。でもシュガートーストの話したら私も食べたくなっちゃったからナイス。」
「それは良かった。まぁ、もし高梨が腹一杯だったら俺がふたつ食ってたけど。」


そう言って笑う秋村の顔は「ふわり」という表現がピッタリだと思う。穏やかで、見てる人間を安心させる様な笑顔。目が離せなくなる様な笑顔。夢中にさせる様な笑顔。

だけど私は彼を好きにならない。

と言うより、彼を好きになりかけて諦めた。

そう心に決めたのもこんな雨の日。

入学してすぐ、私は構内で見かけた学部も分からない秋村の姿に目を奪われた。容姿に一目惚れとかじゃなくて彼が放つ雰囲気に一瞬で惹かれた。それからすぐに、同級生で偶然にも同じゼミだという事が発覚し、心の中で大喜びした事を今でもよく覚えている。
二人は惹かれ合って恋に落ちる。なんて、人生はそんなに甘いものじゃない。

春の終わり。雨が降った日の講義を終えて家に帰る途中。大学の傍の公園から雨の中笑う声が聞こえてきた。その声の主を確認すると、そこに居たのは秋村と少し年下くらいの小柄の女の子。
二人が雨の中何をしていたかは分からないけど、その様子はまるで音の無い映画のワンシーンを見てるみたいに目に胸に焼き付き、そして同時に私の中で芽生えていた彼への想いは行き場もなく終わりを告げた。
だって、聞かなくてもその時の彼の表情を見ればその人との関係も、その人の事を秋村がどれだけ好きなのか分かってしまったから。
傘に当たる雨粒の音が嫌に成る程クリアに響いて、私の頬を濡らした。

だけど今となればそれは過去の事と割り切れてしまう。現に私はいつまでも秋村に対して恋心を抱いている訳では無い。今はきちんと友達として彼を好きだと言える。


「お待たせしました。」


マスターがそう声を掛けてコトンとテーブルの上に置いたのは、アイスコーヒーと湯気を昇らすシュガートーストがふたつ。


「美味そうだな。」
「だって本当に美味しいもん。」
「じゃ、いただきます。」
「いただきまーす。」


二人一緒にシュガートーストにかじりつく。口いっぱいに広がるバターの風味と砂糖の甘さはやっぱり絶品だと幸福感に包まれる、筈だった。


「あっち…!」


そう言って口元に手を当てて、すぐにアイスコーヒーを飲む秋村の姿。心なしか目尻にはうっすら涙が浮かんでる様にも見える。


「……もしかして、秋村って猫舌?」
「……だったら何だよ。」
「マジ?ははっ!ちょっと可愛いんだけど。」
「うっせー。黙って食えよ。」
「だって、これくらいでも熱いとかってどんだけ猫舌なのよ。」
「……高梨、それ自分で払えよ。」
「は!?さっき奢ってくれるって言ってたじゃん!」
「気が変わった。」
「なにそれ!」


そんなやりとりをしながら、そう言えば学食でも熱いものは最初に手を付けず付け合わせのものとか最初に食べてたなとか、だから今も決して暑いとは言えないのにアイスコーヒーを頼んだのかなとか。今まで色んな世間話やら身の上話なんかをしてきたが、こうしてみると私はまだまだ彼の事をよく知らない事に気付く。
そう言えば、こうして秋村と二人っきりで面と向かい合って過ごす時間は初めてじゃないだろうか。


「ごちそうさま。美味かったー。」
「シュガートーストは熱い方が美味しいけどね。」
「うるさい。…っと、雨も上がったみたいだしバイトの時間だから俺そろそろ行くわ。高梨はまだレポート続けるの?」
「一応キリの良いところまで終わらせたし、これ飲み終わったら帰ろうかな。」
「そっか。じゃあ悪いけど一足先に失礼するわ。」
「うん。じゃ、またね。」
「おう。」


カウンターへ向かい会計を済ませてから席に座ったままの私に向かってもう一度手を上げ、扉へ向かう秋村の背中を見送り残りのカフェラテを飲み干した。秋村の後に続く様に荷物をまとめてカウンターへと向かう。


「マスター、会計お願いします。」
「あ、千枝ちゃんの分はさっきのお兄さんが済ませてってくれたよ。」
「え?」


情報料と言い、だけど猫舌をからかったら奢らないと言っていたシュガートーストの分だけでは無く、私がここに来てから頼んでいたカフェラテの分までしっかりと会計済みだと言う。
……秋村ってこんなに紳士な奴だったっけ?

知った気になってただけで、私は彼の事を何も知らない。終わらせた筈だった想いが膨らみそうになる。
そんな想いを振り払う様にマスターに「ごちそうさま。」と声を掛け店を後にする。扉が閉まったのと同時に秋村が空にしたグラスの中で氷が小さな音を立てた気がした。


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