重ねてく、
「おはよう」
「あぁ、おはよう」
朝、食堂で焦凍くんに会った私は少しだけ緊張していた。しかし、目の前の彼はそんな素振りを全く見せない。左側の髪の毛が一束ぴょこんと跳ねていること以外は、至っていつも通りの彼だった。
…なんだ、気にしているのは私だけか。心の中で一つだけ溜息を零す。
今日は、彼と私が付き合って半年の記念日だ。
今までも記念日として大々的に話をしたりお祝いをしたりということはしていなかったし、私もそれに執着する方ではない。だけど「半年」ともなると大きな一つの区切りなのではないかと思って、ささやかではあるけどプレゼントを用意してみた。
なんだかんだるんるんと浮き立った気持ちで外出届けを提出し、久しぶりのショッピングモールで買い物をした。彼を想って買った初めての贈り物。
全部私が勝手にやったことなのは分かっているけど、せめて小さな言葉の一つや二つ期待してしまっていた。
だけどもしかしたら、今日が記念日だということすら彼は忘れてしまっているのかもしれない。もし私だけ渡したら、なんかプレッシャーとかになってしまうかな……。
「…まぁ、しょうがないか。」
いつも通りの日常。皆で朝食を食べて、それぞれ校舎まで向かう。予鈴が鳴って担任の相澤先生がやって来れば、ザワザワとしていた教室が一気に静まり返る。
そうしてまた、ヒーロー科の多忙な一日は始まるのだ。
今日のお昼は親子丼にした。いつものように席を見つけて腰掛けると、いつものメンバーが自然と私の周りに座った。
残っていた私の隣に座ったのは焦凍くんで、"今日は親子丼なんだな"と当たり障りのない話題が飛んでくる。やっぱり忘れてるんだろうな。無駄にソワソワしてしまっているのは、私だけだ。
いつもと変わらない表情で暖かくない蕎麦を啜る焦凍くんを見ていたら、キュッと胸が締め付けられた。普段から口数が多いわけではない彼。恋愛表現こそストレートではあるものの、その機会は少ない。
デートらしいデートも、最後にしたのはいつだろう?二人で触れ合ったのは?そういうことだって、寮だからという理由に託けているだけでそういう気持ちにならないだけだったりして。
…もしかしたらもう、私のことなんて飽きてしまっているのかも。
好きなはずの親子丼の味が、どんどんなくなって行く気がした。
「なまえちゃん、親子丼、美味しくないん?」
「…ううん、美味しいよ」
「もしかして体調悪いのか?」
心配してくれたお茶子ちゃんに続いて、隣の焦凍くんが私の顔を覗いた。
やだ、見ないで。
きっと今の私、とてつもなく不細工だ。
「大丈夫だからっ!」
目が合った焦凍くんは酷く心配そうな表情を浮かべていた。私のためにそんな顔をしてくれた嬉しさを感じてしまった重苦しい自分に嫌気が差して立ち上がる。
冷え切った親子丼が、哀れな私を馬鹿にしている気がした。
午後は、お茶子ちゃんとも緑谷くん、飯田くんとも、もちろん焦凍くんとも顔を合わせにくかった。当事者だけが感じる、ちょっとギクシャクした空気。
自分が作り出したということは分かっているのに居ずらくて、堪らず休憩は机に突っ伏して過ごした。
とてつもなく長く感じた一日を終え、部屋に戻ってくると机の上にぽつんと置かれた小綺麗な紙袋。少しだけ背伸びして買ったそれは、ペアのマグカップだった。
寮と言えどマグカップくらいなら日常的に使えるしお揃いにできるなと思って買ったもの。お揃いを自分一人で買うことに少し恥ずかしさはあったけど、一緒にこれを使ってのんびりするのが浮かんだから。
真っ暗になった気持ちを引きずりながら制服のままベッドに横になると、ちょうどスマホが焦凍くんからのメッセージを知らせた。
『体調大丈夫か?もし大丈夫なら会って話がしたい。』
嬉しさのあとにすぐやってきたのは大きな不安。本当に私、振られてしまうのかもしれない。
『大丈夫だよ。そっち行こうか?』
『良かった。俺が行くから待っててくれ。』
本当は逃げたくて堪らなかった。記念日にこんなことになるなんて…。まだなんの話をされるかわからないのに、手が震えて止まらなかった。部屋の中なのに寒くて寒くて、堪らず布団に包まる。
「なまえ、開けるぞ」
答える前にガチャリ、という音とともに焦凍くんは顔を覗かせた。私を見てギョッとした表情をした後、また心配そうな表情を浮かべて駆け寄ってくる。それを見て思わず愛しさが溢れ、嬉しいと思った。
「寒いのか?熱は。」
「…大丈夫、だよ」
「でも……顔色も悪いし、震えてる。ほら、」
ベッドの上に腰掛けた焦凍くんは、私の肩を抱き締めながら心配そうに呟いた。控えめに腕を摩ってくれるその手は暖かくて、涙が出そうになる。こうやって焦凍くんの体温を感じたのはいつぶりだろうか。
「…しょーとくん、お話、は?」
「用事…の前に、お前が心配だ。なまえが本調子じゃないと意味がない」
「やっぱ、私、……わたし、振られる?」
出たのは、自分が思っていたより遥かに弱々しい声だった。途端、抱き締められていた身体が突き放される。まんまるな目が私を見つめていた。
「…は?」
「え、」
「振る?お前が?俺を?」
ぽつり、ぽつり、溢れる言葉。理解しきれていない、言葉一つ一つを噛み砕いている表現。
「ううん。焦凍くんが、私を」
「どうしたらそうなるんだ。俺は、お前とこれからも一緒にいるために話を…」
「ん?」
「今日は記念日だろ。だから、これからも頼むっていう、話を…」
ふるり、と伏せた長い睫毛が揺れていた。私の言葉のせいで、不安に濡れた表情と声色。そしてちょっとだけ照れたように呟かれた"記念日"。ピースがハマったように頭がクリアになった。
そうか、私だけじゃなかったのか。
「焦凍くんも、不安だった?」
「……あぁ。最近はまともに恋人らしいことできてなかったし、俺だけ浮かれてた。体調悪いのすら気付いてやれなくて、…悔しかった」
「そ、か……私も。」
私の肩を掴んだ手が震えていて、同じだって気付いた。不安なのも、同じ。口数が少なかったのも、私も同じ。半年記念日にワクワクしていたのも、きっと同じ。
「私も、これからもよろしくねって、買ったの。」
「…!俺、も」
目の前に包装された紙袋を差し出すと、焦凍くんは手首に掲げていた紙袋を私に差し出してくれた。安堵の混じった表情を浮かべた焦凍くんの瞳の中に、同じような顔をしていた私が映っていた。
「開けていいか?」
こくりと頷くと、ペリペリと包装を解きながら「俺のも開けてくれ」と言う。
綺麗な白い紙袋の中から、ブルーの箱が覗いていた。
「…わ、」
「お前に似合うと思って。……お揃いだ。」
「ふふ、私のも、」
箱の中にはシンプルなゴールドとシルバーのブレスレット。ワンポイントでモチーフのパーツがついていて、イニシャルが入っていた。イニシャル入りのお揃いということが一番嬉しくて、ふわふわと胸が暖かくなる。
私からのプレゼントを開けた焦凍くんは、ちょっとびっくりした後にふわりと頬を緩ませてくれた。
「ペアのマグカップか。いいな。これからこれでお茶しよう。」
「ふふ、みんなにバレちゃうかな」
「……みんなもう知ってるだろ?」
「………え?」
これから、の話が増えていく。これからマグカップで何を飲もうか。コーヒーと紅茶ならお菓子も欲しいね。ブレスレットはバレずに学校につけていけるかな。お出かけするときは一緒につけようね。
次は、なんのお揃いがいいかな。
「なまえといる時間は、本当に幸せだ、と思うんだ。だから、これからもよろしく頼む。」
「っ私も、幸せ。だから、これから先もずっと、焦凍くんと一緒に居たい!」
「……はは、すげぇ、幸せだ」
誤魔化すように斜め上を見て笑った焦凍くんは、ちょっとだけ泣きそうな顔をしていた。
泣きたくなるくらい大切だって、君も私も同じなんだって。
お揃いも、時間も、言葉も、ちゃんと重ねて行こう。また半年後も、幸せだなって笑って貰おう。
ぎゅっと手を握って指を絡ませると、焦凍くんの温もりがじんわりと広がった。