甘い記憶

東京の大学に進学した私は、地元の成人式には出なかった。けれど同窓会はどうしても参加したいなと思って、午後の新幹線に飛び乗って帰仙。みんな今頃着付けを解いて、ドレスに着替えてヘアメイクへ向かう頃だろう。私はというと、母校である烏野高校の門前にいた。
…懐かしいな、いろんなことがあったな。門を目の前にしただけでもあの頃の思い出が蘇ってくる。

私は男子バレー部のマネージャーだった。バレーの経験はないし、部活に入る気もなかった。だけどたまたま同じクラスだった清水潔子(超絶美人)の誘いに乗って見学に行ったバレーボールに、私は魅了されたのだ。

ボールを追って高く高く飛ぶ。何よりも一番惹かれたのは、"アタッカーが一番強く打てるようにボールをあげる"しなやかなセッターだった。決して強いチームなわけじゃなかったし、仲間割れだってした。けれど三年になった年は、夢だった春高へ行くことができた。沢山沢山、最高の景色を見せてもらった。

『烏野高校』と書かれたプレートを見つめていたら、だんだん視界が歪んできて慌てて上を向く。澄んだ綺麗な青空だった。


「よっ、久しぶり!」

「…すが、わら?」

聞き馴染みのある声に振り返ると、変わらず軽やかな笑顔を私に向けているかつての戦友。紺のストライプのスーツに身を包んだ彼は、あの頃のあどけなさを残しつつすっかり大人になっていた。


「スーツ、似合ってるね」
「お前の振袖も見たかったな〜!同窓会は出るんだろ?大地が言ってた」
「うん、そのために帰ってきた」

約三年ぶりなはずなのに、まるであの日の続きみたいだ。昔から彼には、こんな風に不思議な力があった。やっぱり私は同窓会に参加するのすら少し緊張していたのかもしれない。
ほっと、心が穏やかになるような感覚。その不思議な感覚が心地良いから、彼の隣にいるのは好きだ。

「なぁ、ちょっと入りたくね?」
「…うんっ!」

軽々柵を飛び越えた菅原は、向こう側から私を呼ぶ。私も同じように攀じ登って乗り越えると、少しだけ罪悪感が湧いた。こんな特別な日くらい許されるだろうけど。

「ひっさびさだなー!」
「菅原も来てないの?」
「ん、なかなか時間なくてさ」

私たちの足は真っ先に体育館に向かう。教室よりも、校庭よりもどこよりも。大切な思い出が詰まったあの場所に。第二体育館へ向かう外廊下を歩きながら、私はあの日のことを思い出していた。

「…卒業式の日さ、覚えてる?」
「お前が号泣してたやつ?」

「違っ…くもないんだけどさ。あの日ほんとは、菅原に言いたいことがあったんだよね。だけど号泣しすぎて言いそびれちゃった」

あの日、なんであんなに泣いてしまったのか分からなかった。学校自体に未練もなかったしやり残したこともなかったはずなのに、訳がわからないまま涙が溢れた。

今思えば寂しさもあったんだろうけど、未来への漠然とした不安だったと思う。大好きな人たちに簡単には会えなくなってしまう不安と、私だけが忘れ去られてしまうのではないかという焦燥感。想像以上に大号泣する私を、みんなが笑いながら慰めてくれたんだよね。


本当はあの日、菅原に好きだと伝えたかった。春高が終わった後からずっと悩んで、悩んで、悩んで。どうせ東京に行くのにとか、このままチームメイトとしてさよならをする方が綺麗なんじゃないかとか。だけどそれでも、伝えたかった。
私の高校生活がキラキラしたものになったのは、紛れもなく彼のおかげだったから。沢山のありがとうと一緒に伝えたかったのだ。

…だけどそれは、なんだかんだ叶わなくて。

「なに、それ」
「んー…と、さ」

キィ…と鉄の扉が開く音がする。なにも変わらない、艶感のある板の床。今すぐにでも汗とシーブリーズの混ざった香りがしてきそうだ。時間は流れているはずなのに、そっくりそのまま大切に残っているような気がしてくる。

「うわあ、全然変わんないねぇ」
「…なまえ」

一歩、踏み出したところで腕を掴まれた。彼の真剣な声が、耳を擽る。

「教えて、お願い」


「…菅原が、好きだった。」

広い体育館に、私の声だけがやけに響いた。するりと腕が解かれたのをいいことに、ひやりとした床の上を数歩進む。怖くて、後ろを振り返ることはできなかった。

「私、本当はマネージャーなんてやる気なかった。でも、初めて菅原がセットアップしてるのを見た時、綺麗だなって思ったの。キラキラだなあって…。私もここにいたらこんな風に輝けるのかなって、そう思って、始めたんだ。」


とん、とん、とわざと足音を響かせながらステージに向かって歩みを進める。

「最初は憧れだったの、菅原みたいになれたらなって。でも…、本当にイキイキしながらバレーするところも、負けず嫌いなところも、実はちょっと泣き虫なところも。

真っ直ぐ、相手を想えるところも。全部全部、好きだなあって…思って、」


あぁ、ダメかも。声が震えて言葉に詰まる。あの日言えなかったのは、振られるのが怖かったから。あんなに泣いたのは、菅原が潔子のことが好きだと気づいていたから。いつでも彼女を見る菅原の目が、一番優しくて暖かかった。だから私は逃げたんだ。


「…だからっ、私に沢山のことを教えてくれてありがとうって、伝えたかったの」

一番伝えたかったことは、目を見て言いたい。そう思って振り返ると、息が止まってしまうのではないかというほど強く抱き締められる。
目の前にあるのは想像よりも鍛えられた彼の胸板で、否応無しにどくりと心臓が鳴った。



「俺も好きだよ」

…え?一ミリも予想しなかったその言葉に、思わず顔をあげる。上げた視線の先で、彼は茶目っ気たっぷりに笑っていた。

「俺もなまえが好き。ずっと、高校の時から。ずっとずっと好き。」

「何、言って…」
「え、何回言わせんの!?だから、大好きだって、なまえが!高校の時から!」
「わ、わかった…けど!高校の時って!潔子は?」

なんで清水?と不思議そうにする様子を見ると、どうやら本当らしい。信じられない…!

「俺もさ、卒業式の日に告ろうと思ってたんだよ。けどお前さぁ…泣きながらずーっと旭にくっついてたべ?小心者の俺はそこで心折れた」

「は、嘘でしょ!?」
「それに、俺のことなんて好きじゃねぇと思ってたし…はぁ、マジでもったいねぇ…」


がっくりと項垂れながら私をみる菅原は、当時のおちゃらけた様子と全く変わっていなかった。まるであの時と同じように、二人で巫山戯たことをしているような気持ち。

「ごめん、なんかほんと…私も勘違いっていうかなんていうか…」

恥ずかしくてやるせない気持ちがじわじわ湧いてくる。あの頃は後世に関わるほど重大な失恋をしたつもりで、地獄のように真っ暗な気持ちだったのに、数年後にこんなことになるとは。本当に何があるかわからないものだな、と思う。

「まぁ、こうやってちゃんと話せた訳だしさ。…改めて、俺と付き合ってくれますか?」
「遠距離だけど、いいの?」
「んなの気にすることじゃねーべや」

「…えっと……よろしく、お願いします」

私の言葉ににかっと笑みを浮かべた菅原を見て、また涙が出た。これから同窓会に参加するはずなのに、顔がぐちゃぐちゃになってしまう。そんな私を見た彼は、お前ほんとに泣き虫だななんて笑って頭を撫でる。

その手が、声が、笑顔が、大好きだよ。


「おぉーい!スガー!!って、え!?なまえか!?」
「みょうじ!?」

こっそり入った学校から、帰りは堂々と抜け出す。すると遠くから、かつてのチームメイトたちが手を振っていた。みんな変わってないなぁ、と勝手に笑みが溢れる。

「ほら、行くべ!」

私の手を取ってしっかり握った菅原は、彼らに向かって走り出す。これから先、どうかこの手が離れませんように。

大切な宝箱に蓋をして、私たちはまた大切なものを、二人で拾い上げていくんだ。

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