甘い囁き

自分の運動神経があまりよくないことはわかっていた。
だけどここまでとは、思っていなくて…。

体育で男女混合ダンスをすることになった。曲も決まり、振り付けも大体決まり、やっと振り入れ。フォーメーションが結構複雑で覚えるのが大変だなぁ、と少しぼーっとしていたその時、私の左足がぐにゃりと変な方向に曲がった。

「わ……」
「あ、ぶな…!」

ぐらりと身体が傾いて、視界に体育館の床が広がる。あぁこれは頭から床に激突する、そう思ったのも束の間、私の腰には誰かの手が添えられた。

ダーンッ!

鋭い音と、頭にくる衝撃。そして、唇に当たる柔らかいもの。
恐る恐る目を開けると、そこには私と同じように目を見開いたクラスメイトの北村くんがいた。

「ちょっと二人とも大丈夫!?」

同じくダンスのチームメイトである佐々木さんの声でハッと我に返る。何?何が起きた?私、今、北村くんとキス、した…?慌てて身体を起こすと、彼は私の背中から手を抜いた。

「ご、ごめん…。大丈夫?」

先に起き上がった彼は、私に向かって手を差し伸べてくれる。そうするしか選択肢が残っていなかった私が北村くんの手を取ると、ぐいっと引っ張って起こしてくれた。その瞬間、きゃー!という黄色い歓声が体育館中を包む。
それにより、一部始終を見ていなかった人たちも一斉にこちらを見てしまった。…あぁもう、できることなら消えて無くなりたい。

チラ、と群衆の方を見ると、菅原くんと目が合った。その視線は、こちらが何かリアクションをする前にするりと外されてしまう。
今の、見てたよね……。


体育が終わるとすぐにやってきた昼休み。
お弁当組の私は、教室の隅で友達数人に囲まれながら項垂れていた。

「やっぱしてたんだ、ちゅう」
「してたね〜、ちゅう」
「ああああ…言わないでええ……」

消えたい、消し去りたい、溶けて無くなりたい……。
菅原くんという素敵な彼がいながら、事故とはいえ他の男の子とキスをしてしまった。この事実は消えない。謝りたくてもタイミングがないし、声を掛けるどころか目も合わせてくれない。これは、絶対に怒っている。

それにプラスして相手の北村くんも、学年で言ったら人気の部類に入る。サッカー部のエースである彼を応援をするために、部活見学に行く女の子も多いと聞く。

「どうしよう、多方面で殺される……」

その最悪な予感は当たってしまい、まだ事件発生からそんなに経っていないのに教室に人が人がわらわらやって来た。ヒソヒソ聞こえてくる話し声は、全て自分に向けられたものなのではないかと錯覚してしまう。
そんな中人混みをかき分けてやってきた女子三人は、堂々と私の机を取り囲んで見下ろした。

「ねぇ、みょうじさん。北村くんとキスしたってほんと?」
「菅原と別れたわけ?」

鋭い視線で見下ろされた私はギリ、と手を握りしめる。
そんなわけないじゃないか。全力でことの経緯を話すと、私の顔面蒼白ぶりのおかげか簡単に信じて貰えて解放された。だけどほぼほぼお弁当を食べることができずにもうすぐ昼休みは終了だ。

「誤解だって噂流しといてね!」
「了解〜!みょうじさんが思ったよりポンコツで安心したよ」
「ドンマイだよ!」

にっこり酷いことを言う女の子たちに苦笑いで手を振って一息ついたところで、とうとう始業のチャイムが鳴る。結局菅原くんと話はできなかったし、そもそも彼は教室に戻ってくるのもギリギリだった。私の顔も声も見たくないほど怒っているに違いない。……どうやって謝ろう。


次の休み時間こそ、次こそ、を繰り返しているうちにあっという間に放課後になってしまった。このままでは、菅原くんは部活に行ってしまう。そして謝れず、メッセージも電話もできず、こうやってずるずる引きずって自然消滅……。そんなの恐ろしすぎて背筋が凍る。

「す、す、菅原くん!」

友人に手を振って教室から出て行こうとする彼のエナメルバッグを、必死の思いで掴んだ。恐る恐る顔を上げると、菅原くんは今までにないくらい冷ややかな空気を纏っているように感じた。


とりあえずと移動したのはベタに体育館裏。ここで告白するのはありがちだけど、喧嘩はなかなか無いだろう。なんなら別れ話になりかねないのに。
腕を引かれて移動している間も、私はちょっとだけ後ろを歩いていたから菅原くんの表情はわからなかった。怖くて見られなかったのもあるけど。

「…あの、ごめんなさい」
「何に対して謝ってるの?」

優しい口調だけど確実に冷たいその声に逃げ出したくなる。嫌だ、怖い、何を言われるのか。

「事故ではあるけど……他の人とキス、しちゃって」

ゆっくり顔を上げると、菅原くんは困ったように眉を下げて笑った。何かを堪えるようなその表情を見ると、ぶわっと涙が込み上げて来て、溢れてしまうのを必死に堪える。泣いちゃダメだ。
一歩、また一歩と近づいてきた菅原くんは、ドンと私の右側に手をついた。さっきまで涙でぼやけていた視界が驚きで晴れる。目の前に彼の顔があって、どうしたらいいかと視線を巡らす。

「はぁー……ごめん、」

深い溜息が聞こえて、項垂れた菅原くんの髪の毛が首筋に触れた。

「今からすげぇカッコ悪いこと言うね」
「うん…?」
「全部事故だってわかってるけど、めちゃくちゃ嫉妬してる。すーげぇやだ、あいつとみょうじがちゅうしたのも、俺と別れたとか言われてんのも、全部ヤダ。」

そうだよねと罪悪感を感じながらも、素直に嫌だと言ってくれることに喜んでしまう私がいる。触れた髪の毛が擽ったくて払うように撫でると、さらにぐりぐりと押しつけられた。普段は面倒見が良くてリードしてくれる菅原くんだけど、ちょっと子供っぽいところはかわいい……なんて。

「…だから、上書きしていい?」
「えっ、」
「するからね」

体育館の外壁に手をつき直した彼は、真っ直ぐ私を見つめて唇を重ねた。誰かに見られてるかもしれないのに、それでも嬉しいと思ってしまう私は変態なんだろうか。

北村くんには申し訳ないけれど、あの時よりも何倍も柔らかくて、ずっとずっと幸せなキスだ。

思わず菅原くんが着ていたワイシャツを掴むと、口付けが深くなった。ちょっとだけ噛み付くみたいなキス。いつもの優しく触れるだけのものとは全然違う、まさしく全部上書きしてくれるようなキスだった。

「は…ぅ、恥ずかし…」
「あー……止まんなくなる、もう絶対事故でも他のやつとキスとかさせねぇべ」

ぎゅーって強く抱き締められて耳元で喋られたら擽ったくて、離れたくなくなってしまった。でも菅原くんは部活に行かないとね。仲直りもできたし、好きの再確認もできたし。でも……

「もっとしたかったね」
「ばっ!ああぁ……行きたくねー……」


「おい!スガ!いい加減来い!!」

ひょっこり顔を覗かせた澤村くんが、控えめに菅原くんを呼んだ。
えっと……、ここにいるってずっと分かってたってこと…?じわじわと顔に熱が集中してくる。こんな誰が見てるかもわかんないようなところで、あんなこと…。

「まぁ、こんなラブラブだって見せつけたから、俺らが別れたなんて言うやついないだろうなあ〜?」

去り際ににやりとしてやったり顔を浮かべた菅原くん。ぐしゃりと私の髪の毛を撫でた彼はこの状況をとっくに理解しているようだった。馬鹿馬鹿。次の日の教室の噂は、私と菅原くんが体育館裏で熱烈に口付けを交わしていたという事実でいっぱいになるのだった。

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