目には目を くちびるにはキスを

先ほどクラスメイトの女子に見せてもらったファッション誌の内容が頭をチラつく。

Q. 彼氏とのファーストキスはいつ?
A. 1ヶ月。それ以上経って手出されなかったら逆に焦る!

初めての彼氏ができてそろそろ3ヶ月が経とうとしている。キスどころかハグすらまだクリアしていない私は、どうしたら良いのだろうか。

「おーいなまえ、大丈夫?何悩んでんの」
「はぁ…、西谷がキスしてくれないの」

練習前の部室掃除を仰せ使った彼女のもう何度目になるかわからない溜息に痺れを切らした縁下は、その原因を訪尋ねた。上の空のままの彼女はとんでもない爆弾をそこに落とす。尋ねた縁下だけでなく、着替えて部活を開始しようとその場にいた田中、菅原、澤村までも大きな悲鳴のような声をあげて彼女を凝視した。

未だ自分がとんでもないことを言ってしまったと気づいていない本人は、また一つ溜息を溢す。そりゃ不安だ。告白してきたのは彼だったけれど、こちらとしても長めの片想い期間を経てやっと実った恋なのだ。手を繋ぐまでは大変スムーズだったのに、それより上は急に停滞する。付き合ってみたら何か違った、という事態に陥っていたらどうしようということを懸念していたのだ。

「…西谷、まだ手出してないの意外だな」
「確かに」

三年生がうんうん、と頷いている傍、問いかけをした縁下はこの状況をどうしようかと頭を抱える。何も聞いていないフリをするか…、でもこいつは自分が爆弾を落としたということに気づいていない。

「うーん…、お願いしてみれば?」
「は?何を?」
「…え、えっと、キスして、って?」
「な、何言ってんの?!力の変態!」

べしん、と重たい音が響いたと思えば、縁下の背中に彼女の手が振り下ろされた。あぁ、あれは割と痛そうだと傍観組は眉を顰める。頬を赤く染めた彼女は可愛らしくて、こりゃ西谷は相当我慢しているんだろうなと菅原は思った。


「おーっす!…ってなんだ、どうしたんだこの空気」
「ちょ、今の内緒だからね!?」
「え、あ、…はぁ…」

そんなあからさまに言ったら西谷だって何か言われているのに感づくだろう。しかし、彼の耳には何も入っていなかった。縁下はこれから先のことを思うと背筋が凍る。なまえの方は西谷に今の会話を聞かれたのか聞かれていないのかが判断できないようで、動揺の色を隠しきれていない。

縁下の嫌な予感は的中。部活中なのに、先ほどの動揺から何もないところでコケそうになるなまえと、それを見て心配そうにする西谷。あぁもう、面倒だなと思いつつ、自分が首を突っ込むとさらに面倒なことになりかねないと見て見ぬふりを決め込むのだった。


「だああ!なんなんだ!」

縁下が危惧していた嫌な予感が当たったのはそれから二日後のことだった。今日も部活頑張ったな!と着替えをしていた部員がびくりと肩を震わせるほどの大声(奇声)を上げた西谷。誰かがどうかした?と声をかけたのを合図に、思っていた不満をぶちまけ始めた。

「なまえがスッゲェよそよそしい!俺が何かしちまった記憶は全くないし、された記憶もない!記念日は忘れてないし、約束破ったわけでもねぇし、太った?とかデリカシーないことを言ったとか断じてない!!わっかんねぇ!」

あぁ、そういうね……と満場一致で納得するが、本人がそれを分かるはずもなく。予想通り、キスしたいと公言した彼女はそれを本人に聞かれたと思い込み、恥ずかしくなって避けてしまっているというところだろう。

「まあ、そんなに気にすることないんじゃないの?別に西谷がなんかしたわけじゃないんでしょ」
「そうなんだけどさー…。あぁもう!俺行ってくるわ!」

上はワイシャツ、下はジャージ。西谷は、そんな意味のわからない格好で荷物も持たずに部室から飛び出していった。猪突猛進。先ほどまで彼が纏っていたそのTシャツの意味が、こんなにも似合う男が他にいるだろうか。縁下はそのTシャツを拾い上げながら思わず笑ってしまった。


「なまえーー!!」
「に、しのや!……どうかした?ってか何その格好。」

突然の大声にびくりと肩を揺らしたみょうじは、振り返った先の人物とその人物の格好に目を奪われた。そしてその彼をここのところ避けていたという事実を思い出して気まずそうに視線を泳がせる。その真意としては嫌、とか不愉快とかいう感情ではなく、照れに分類されることというのは自分自身もわかっているのだが。それを西谷が分かるはずもなく、その態度に眉を顰める。

「お前、最近変だぞ」
「へっ」
「声掛けようとすると逃げるし、やっと捕まえたと思っても目合わねぇし。…俺なんかしたのか!?」

彼の瞳が、一瞬だけ不安で揺らいだのがわかった。違う、勘違いだ。悪いのは一人でもやもや悩んで、それを聞かれたかもしれなくて焦っている私で。嫌われるんじゃないかとか馬鹿にされるんじゃないかとか、聞いてもないのに勝手に妄想している私のせいだ。

「……違うの」
「どうした」

言いにくそうに俯いたみょうじの顔を覗き込んだ西谷は、自分よりも細くて華奢な腕を掴んだ。人通りが多い体育館前から、少し奥まった場所に移動する。花壇の窪みに並んで腰掛けたところで、再び彼女の顔を見た。靄がかかったような表情に少し不安が募るものの、腕を掴んでいた手を離して彼女の手に手を重ねた。

「なんかあるなら言ってほしい。俺、ちゃんと聞くから。」

「…あのね、その。私、西谷とキスがしたくて」
「……は」
「それをこの間部室で話してて。それ聞かれたかなー、どう思われたかなって思ったら恥ずかしいやら不安やらで…その、避けてて、」

足の爪先を見つめたままの彼女の頬が、みるみるうちに赤く染まっていくのが暗闇でも分かる。

「キス、してもいいってことか?」
「え、うん…」
「じゃあ、するから」

右手に重なっていた左手が頬を撫でた。少しかさついた指先が触れて、視線が絡まる。心臓がうるさいくらいに鳴っていて、目の前の西谷の表情も心なしか強張って見えた。緊張してる?私もしてる。
吸い寄せられるように目を閉じると、ふわり、と柔らかく唇が重なった。

「……めっちゃかわいー……」

ぽつり、溢れ出るように漏れた一言がじわじわ心の中に染み込んでいく。恥ずかしいし、心臓が苦しいけれど、それよりも大きい嬉しいで埋め尽くされた。

「今までスッゲェ我慢してたのに!そういうことなら早く言え!」
「はっ!?女子が自分からしたい、なんて言えるわけないじゃんっ。初めてなのに!」

「なまえの嫌なことはしたくないから、慎重になってたっつーのに……」

ぐしゃり、前髪が乱暴に撫でられる。乱された髪の毛の隙間から見えた西谷の表情はとろりと緩んでいて、どうしようもなく好きだなと思った。



(おい、この荷物どうする?)
(リア充ウザいからこの草むらに置いて帰ろうぜ…)

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