鎮まってお願いだから
大地さんが、道宮先輩という女子バレー部の部長さんと仲が良いということは知っていた。もしかしたら付き合っているのかも?と思っていた時に、ちょうど田中先輩が大地さんにその話題を振っていたので聞き耳を立てたこともある。その時は「そんなんじゃねぇよ」と笑っていたっけ。
それでも私は、二人の間に何かあると感じざるを得なかった。女の勘ってやつ。二人の間に流れる空気は、普通のソレとは違うと思うのだ。
例えばそう、何か面白いことを友達二人っきりで共有されてしまって、残された私は一人疎外感を感じるとか。そういう嫌な予感というのは当たる。そういう類の空気とか感覚を、大地さんと道宮先輩からは感じてしまう。
「また澤村先輩のこと考えてるの?」
「あああ、仁花ぁ……」
「そんなに気になるならいっそ直接聞いてみたら?」
「告ってもないのに振られるようなことできる!?私には無理!!」
部員がアップをしている間、マネージャーである私と仁花はドリンク作りだ。このタイミングでよく恋バナになることが多い。(一方的に私が話をしているだけだけど。)なので、仁花には私の恋愛事情が筒抜けだ。
春に男子バレー部のマネージャーになった。勿論恋をするためにマネージャーになったわけではないけど、せっかくの高校生なんだから青春したい!というのも事実。
制服デートしたり、一緒に図書館とかで勉強したりという未来を思い描いていたけれど、私が足を踏み入れたのはご覧の通りただただ切ない片想いだった。コミックで言えば関係をかき乱すモブの後輩。あるあるだ。
聞くところによると、道宮先輩も大地さんも素直になっていないだけだという。それならモブである私の役割は、その場をかき乱して、お互いの気持ちに気づかせてあげること…?
「そんなの、モブの気持ちはどうなるのよ〜!」
頭を抱えたところで、体育館の中から私たちを呼ぶ声が聞こえた。清水先輩だ。
私たちを呼ぶ清水先輩の隣には、大地さん。同じようにこっちゃ来いと手招きをしていて、その懐に飛び込んで行きたくなってしまう。まぁ、本当にそんなことをする勇気は一ミリもないのだけど。
ドリンクを持ったカゴを抱えて二人の元へいくと、「ありがとな」と言いながら軽々それを受け取ってくれた。
「あ、私の仕事なので!」
「重いだろ〜?」
「でも私の仕事です!返してくださいっ」
「いいからいいから。」
……こういうところだ。
2個も先輩なのに後輩をこき使うという節がないというか、いつでも対等、というか。優しさいっぱいで接してくれる。そういうところが大好きだ。
だけど私は自分の想いを伝える勇気すらない。
このままでいいと思ってた。私はただ大地さんに片想いする部活の後輩で、一応それなりに可愛がってもらってて、気にかけてもらってて。それで十分だと思ってた。あれを見るまでは。
春の高校バレーボール大会、通称春高。その宮城県予選、決勝戦。
今まで勝ち抜いてきた烏野高校が、全国大会に行けるかどうか、この一戦で決まる大事な試合。
「澤村!」
「道宮…!」
その大事な試合に、道宮先輩は応援に来ていた。当たり前っちゃ当たり前なんだろうけど。
見たくないはずなのに、目が離せなかった。その手には必勝祈願のお守りが握られていて、表情は赤く染まっている。空気を読んだ菅原先輩たちがこちらに歩いてきて、促されるように背を向けた。
どうしても胸が痛む。ズキズキ、一突きされたところからどんどん毒が回っていく感覚。
大地さんは、あれを受け取っただろうな。どんな顔で、受け取ったんだろうか。どんな言葉をかけただろうか。ありがとう?嬉しいよ?絶対勝つぞ?…わかんないや。だってどれもこれも、私には向けられることのない言葉だから。私じゃ、道宮先輩みたいな可愛い表情もできない。あんな必死な想いでお守りを渡すことはできない。私じゃ、敵わない。
「なまえちゃん…」
「えへへ、こんなんじゃダメだよね。気使わせてごめんね」
「違う…っ」
「敵わないね、あんなの」
このままじゃダメだとわかっているのに、心にずっとその光景が引っかかったままだった。試合が始まって、私は上から応援していて、歓声も、ボールも、床が擦れる音も全部一つになっているはずなのに、私の心だけがここにないみたいで、苦しかった。
結果、烏野は白鳥沢に勝利し、春高への切符を手にした。念願の、大切な切符だった。
みんな泣いていて、こっちに向かって手を振ってくれて、私も勿論泣いていて。だけどこの涙は勝利への嬉し涙なのか、泣きながら心から勝利を喜ぶ道宮先輩を見たからなのか、大地さんの手にしっかり握られている必勝祈願のお守りのせいなのか、わからなかった。わからないふりをした。
最低だ、私。
「なまえ、お前いつまで泣いてんだ!?」
「大丈夫?なまえちゃん。これ使って」
いつまで経っても泣き止まない私を、先輩たちは笑いながら慰めてくれた。勝ったんだから笑えよと言われて笑顔を作ったら、無理に笑うのやっぱなし!と怒られた。
先輩たちのおかげで少しだけ気持ちを取り戻したものの、バスに乗り込んで一人の空間が出来上がるとどうしても自己嫌悪に陥る。
最低だ。私欲に塗れた最悪の人間。勝利を心から喜びたいのに、その光景が頭をよぎる。どうしよう、こんなに苦しいなら全部やめたい。苦しい。全部、辛い。
「っぅ、…」
しんと静まり返った車内。涙を止める術が見つからなくて、嗚咽が漏れる。必死に堪えながら俯くと、そんな自分が惨めでさらに止まらなくなってしまった。幸い他に起きている部員はいないようで、私の様子に気づいた監督と先生がバスを止めてくれた。
休憩しましょうかという提案に素直に頷き、鞄だけ持ってバスを降りた。トイレと自動販売機があるだけの休憩所。とりあえずベンチに腰掛けて、落ち着けと心の中で繰り返した。大丈夫、大丈夫だから。ひく、ひく、と泣きすぎたせいか痙攣する胸を抑えながら呼吸を繰り返すうちに、少しずつ落ち着いてきた。
「みょうじ?」
「…え、」
「大丈夫か。これ、飲めるか?」
頭のてっぺんから大地さんの声がした。動揺して頭が真っ白になる。引っ込んだと思っていた涙が、じわりじわりとまた顔を出す。今、顔を上げちゃいけない。こんな顔、大地さんに見られたくない。
「ぁの、大丈夫、です」
「…はぁ」
とん、と俯いたままの額が小突かれて、隣に大地さんが座るのがわかった。どうしよう。どうしたら。
「何があったのかはわかんないけど。お前が泣いてんのはその、…なんか、焦る」
「え?」
「……泣いてるより、笑っててほしいって思うんだよ」
反射的に顔を上げると、大地さんは照れ臭そうに頬を掻いた。見たことのないその表情に、胸が掴まれる。私は、自分がボロボロに泣いていることも忘れて尋ねた。
「それ、どういう意味、ですか」
「んー、あー……そう、特別、って感じ。かな」
「…とくべつ」
「他の後輩にも、同級生にも、思わない。みょうじは俺の中で特別だなって思うよ。泣いてたら笑わせてやりたいし、笑ってたらもっと笑わせたい。…こういう時、俺がそばに居たい。」
あぁもう、なんだよ、そんなの。
「好き、ってことですか?」
「…はは、そういうこと、だな」
私の言葉に動揺したように視線を泳がせた後、大地さんは恥ずかしそうに、でもいつもよりも何倍も素敵な笑顔で笑った。私の大好きな笑顔よりも、もっともっと、初めて見る最高の笑顔で。それが私にだけ向けられているということを、喜ばないで居られる奴がどこにいるか。
「私も、大好きです」
真っ直ぐ、ちゃんと。顔はボロボロだけど。心からの好きですを伝えると、大地さんはぐしゃぐしゃと私の頭を撫でた。
「で、なんであんな泣いてたんだ?」
「大地さんのせいです」
「は?」
「でも、大地さんのおかげで元気になりました」
買ってくれた紙パックのオレンジジュースを啜りながら、少しだけ話をした。私の応えに大地さんは不思議そうにしていたけど、元気になったと言うと笑ってくれた。この気持ちは、今はまだ話せないけど、いつか大人になって、その時はきっと笑って話せるといいなと思う。