見て見ぬ振りの深呼吸

目的地は、座敷の居酒屋だった。履いていた靴を脱いで指定された座席に向かうと、見知った顔がいくつか並んでいて場所が合っていたことにホッとする。
今日は、元青葉城西高校3年6組のクラス会…ともいえないほどの少人数で飲み会だ。卒業してからも何度かプチクラス会という名の飲み会は開催されていたけれど、大学3年生になって就活などでばたついていた私が参加をするのはかれこれ半年以上ぶりだろう。

おぉ、生きてたのかという冗談に笑いながら空いている場所に腰掛けると、幹事の威勢の良い声が響いた。

「今日はなんと!スペシャルゲストがいまーす!」

何?何も聞いていないけど。と隣にいたかつての親友、リンにこっそりと声を掛ける。しかし彼女も何も知らされていないようで、不思議そうに首を傾けていた。

「ヤッホー、皆。元気にやってる?」

ひょっこり顔を覗かせたのは予想もしていなかった相手で、驚きから口元を抑える。及川徹。元同じクラス、男子バレーボール部主将。卒業していきなり地球の裏側へ飛び立った男。
当時から大人気だった彼の人気っぷりは健在のようで、瞬く間にわーきゃーと盛り上がりを見せた。彼を囲んでの飲み会が始まり、私は少し離れてその様子を眺める。耳に聞こえてくるのは聞いたこともないカタカナの地名とか、味の想像もつけられない食べ物の名前とか。彼が本当に地球の裏側で生活していることが伺える内容だった。そうか、本物なのか。

当時から運動部ということでがっしりとした体つきをしているなぁとは思っていたけれど、それとは比にならないほどの体格の良さだ。身長もさらに伸びたんじゃないだろうか?そういえば、高校の時は長めの髪の毛をふわりと揺らしていたけれど、今はすっきりと短く整えられている。こんがり焼けた肌色からは、なんだか南米の香りがしてきそうだった。


「何、そんなに見つめちゃって。イケメンすぎて惚れちゃった?」
「……わ、及川」
「久しぶり、みょうじ。元気だった?」

へらり、軽い調子で冗談を言うところは何も変わっていないと思わず笑ってしまう。及川はあくまで自然に空いている私の隣に腰掛けると、手に持っていたグラスをことりと置いた。グラスが汗をかいていることから、あんまり食べたり飲んだりできていないんじゃないかと思った。

「食べる?」
「ん、食べる」

手探りで近くにあったおつまみを引き寄せながら尋ねると、少し眉を下げながら笑った。その表情はどうしてか見覚えがあって、懐かしい記憶を呼び起こさせる。
大衆居酒屋では、頭上で懐かしい洋画が放送されていた。ロードショーかな。放映当時に大ヒットしていたその恋愛映画は、確か映画館に見にいった記憶があった。内容も覚えている。そして相手は確か。

「この映画、みょうじと一緒に観に行ったよね」
「…覚えてたんだ?」
「当たり前じゃん。大事な青春の思い出だもん」

" 青春の思い出 "。
そうか、及川はもうすっかり覚えていないと思っていた。星の数ほどいる女の子とのデートの思い出のひとつだなんて。それでもいいとすら思っていたのに。
そうか、覚えていてくれたのか。そうと分かれば胸の内側から暖かくなっていく感覚がして、気を紛らわせるためにその映画を真剣に観ているふりをした。

あの時の私は、確かに及川に恋をしていた。
そして彼もまた、きっと私のことが好きだったと思う。

明確な理由があるわけではないけれど、確信に近かった。この映画を観た時だって、デートって感覚が強かったわけではなかった。二人で観たい映画があったから、及川と一緒に観たかったから、自然な流れで一緒に観にいくことになったのだ。高校生の男女が、恋愛映画を一緒に観に行った。言葉だけでいえば背伸びした高校生のカップルに思われるかもしれないけど、私たちにとってそれはごく当たり前のことだったように思う。

「あの時、さ」

クライマックスの告白シーン。ずっとすれ違い続けていた幼馴染の男女が、結ばれる感動のシーンだ。男性が彼女の手をとって、じっと見つめて想いを告げるその場面で、私と及川はどちらからともなく手を重ねた。映画に感動したのか、及川が手を握ってくれたことが嬉しかったからか、明確な理由はわからないけれど、あの時の私は涙が溢れて止まらなかった。
それに気づいていたのか、気づいていなかったのか。隣の彼がぎゅっと手を握ってくれたのを感じて、私はさらに泣いてしまったのだった。全部、映画のせいにしたけれど。

あの時さ、と言いかけた私の手の甲に、彼の指先が触れた。
言わないでとでも言うように。

また涙が溢れそうになって、思わず画面から目を逸らした。

「本当、この映画好きだよね」

隣の彼は、何を思っているのだろうか。
ねぇ及川、どうして手を握ったの?


その後、他の男子に呼ばれた及川は男子集団の中に溶け込んでいったし、私もなんでもなかったように半年ぶりの元クラスメイトとの談笑を楽しんだ。視界の端で楽しそうに笑う及川をどうしても意識してしまうことはあったけれど、それなりに楽しい時間を過ごせたと思う。

幹事の解散の合図を背に、周りの人よりも先に店を出た。他のみんなに会える機会はまだあるかもしれないけど、やっぱり次にいつ会えるかわからない及川に会えたのは嬉しかったな。またいつか会えるのかな。
淡い期待をしている自分に気付きながら空を見上げると、澄んでいて星が綺麗だった。

「帰ろ」
「…え」
「みょうじとは、もっと話したいから。一緒に帰ろ。だめ?」

人一人分の距離をあけて、及川は私の隣に立つ。当たり前かのように声をかけて歩き出した彼に対し、私の思考は追いつかない。どうして?私を追いかけて、店を出てきてくれたの?

「帰らないの?もしかして二次会行く?」

動き出さない私を不思議に思ったのか、彼はこちらを振り返って首を傾ける。時々するその仕草は高校の時からあざといなあと思っていたそれだったけれど、結局私はその仕草に弱いのだ。首を左右に振ると、こちらに手を差し出してそのまま浚うように指を絡ませた。どくり、また胸が鳴る。


もっと話したいと言ったのは及川のくせに、結局無言のまま足音だけが道に響く。

「あのさ、及川」
「待って」

結局手を繋いだまま、最寄り駅まで来てしまった。彼はきっと、数日後には地球の裏側に帰ってしまうのだろう。帰る、っていう言葉の意味があっているのかすらわからないほどのその距離に、今度はまた胸が痛んだ。繋がったままの手が暖かくて、名残惜しくて、そっと腕を引く。

次に会えるのは、いつかわからない。いつか、その日が来るのかもわからない。

「…言わないで。」

懇願するような目で見られては、何も言えなくなってしまう。私よりも身長が遥かに高いくせに、捨てられた子犬のような目で見る及川は、バレーボール選手と思えないくらいに頼りなく見える。
及川は本当にずるいよ、昔も今も。こうやってまた全部、なかったことにしてしまうんでしょう?


「俺、全員倒すから」
「え?」
「そしたら、絶対にみょうじのところに来るから。そしたらその時、俺から言わせて。」

それはきっと、私の疑問への答えなのだろう。どこまでも真っ直ぐで、中途半端なことは言わない男。相変わらずだなと思うと笑みが溢れた。わかったよ、及川。

「待ってるからね、私。勝ってね。」
「みょうじに言われたら勝つしかないね」
「私に言われなくても絶対に負けないくせに」

「ふふ、わかってんじゃん。俺のこと。」

わかってるよ、嫌になるくらいに。及川のことをずっと見てきて、わかったことばかりだよ。嫌なことも、歯が浮くほどに照れてしまうようなことも、嬉しいことも。全部君が私に教えてくれたんだよ。言葉じゃなくて、行動で。

だから及川の真っ直ぐが全部叶ったその時には、言葉で私に伝えてよ。

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