君に凭れたふりをした
枕元でスマホが振動する。あぁわかったよ、起きるよ、起きる。
心の中で無駄にスマホに対して文句を垂れながらスマホを手に取ると、ディスプレイに表示されていたのは目覚ましではなく、通話の呼び出し画面。しっかりと【菅原 孝支】という名前が目に飛び込んできては、効果音が付きそうなくらい機敏に飛び起きた。
「ふは、寝坊だべー?」
「ごめん!待って、ちょ、やだ!待ってて!」
「分かった、大丈夫だから。怪我したりすんなよ?」
4月2日。今日は幼馴染である孝支の、大学の入学式だ。
バタバタと飛び起きると、部屋着のスウェットのままサンダルを引っ掛ける。出てすぐ目に入る一軒家の扉に手を掛けると、そのドアは最も簡単に開いた。
「孝支!」
「ふは、髪ボッサボサ」
玄関から声を上げると、孝支は廊下に続く階段からひょっこり顔を出す。私を見るや否やゲラゲラと笑い出した彼を睨みつけると、また声をあげて楽しそうに笑った。
それにしても、紺色のスーツが似合っている。むしろ似合いすぎている。色素の薄い髪色が映えていて、彼にピッタリだ。私がおばさんに無理を言って一緒に仕立てに行っただけある。(実際のところはなまえちゃんに任せた方が安心だわぁ、と快く見送ってくれたんだけど)
「ほら、待ってた」
彼の手にはスーツに合わせて買った爽やかなブルーのネクタイが握られていた。そうだ、今日のネクタイは、どうしても私に巻かせて欲しかった。
話は遡ること3年ほど前、烏野高校の入学式。
幼馴染といえどそれほど干渉していなかった私たちは、高校入試で初めてお互いの志望校を知った。それでびっくり、まさかの志望高校まで同じであった。入試当日の朝、受験前にも関わらず二人で腹を抱えて笑った。
「絶対入学式のネクタイ巻いてあげようと思って練習したのに!学ランじゃん!」
「そもそもなまえに手伝ってもらわなくても自分で巻く練習するっての」
「そんなこと言ったって、最後には私に頼るくせに!」
私と孝支の関係は、そんな感じだと思っていた。何でもかんでもやりたがりの私と、そんな私になんだかんだ言って頼ってくれて、振り払わずに後ろをついてきてくれる孝支。そんな関係が心地よくて、私は案外気に入っていた。
あの日から三年。高校生ではお互いに夢を持って、全力で青春して、泣いて笑った。必ずしも一緒に行動していたわけではなかったけれど、その随所には彼がいたと思う。
例えば、私が作文のコンクールで入賞した時。一番におめでとうを言ってくれたのは孝支だったし、そもそもコンクールに出してみろと言ったのは彼だった。あの時のことは今でも感謝してる。
他で言うと、告白した時、その流れで失恋した時。その時も結局相談に乗って慰めてくれたのは孝支だったな。激辛ラーメンは別に嬉しくなかったけれど。
そんなこんなで過ごした三年間は楽しかったな、と感慨深く思っていた卒業式の日も、最終的には孝支と一緒に帰っていた。
「大学行くことにしたから、ネクタイ巻いてよ」
「え」
そんな約束を、覚えていたとは。私ですら言われて思い出したのに、私に付き合ってくれているだけの孝支が覚えているとは思わなくて間抜けな声が漏れた。
「え。巻いてくんねぇの?」
「いや、巻く!絶対私がやる!」
ごく当たり前みたいにその約束を持ち出してくる幼馴染にむず痒さを覚えつつも、私の心は踊っていた。嬉しくて、たまらなかった。ちゃんと私のことを覚えていてくれたことも。
「…なんか感慨深いなあ」
「なにそれ、なまえは母ちゃんかよ」
「孝支を産んだ覚えはありません」
正面に向き合って、孝支の首元に腕を通す。確かこっち側を短く持って、クルッとして…そう、えっと、次は。
ネットで仕入れた知識を頭の中で思い返しながら、見よう見まねで手を動かしてみる。あれ?なんか違うかも。あ、でも合ってるか。え、これ合ってるよね?と顔を上げると、想定していたよりも至近距離にあるその顔に動揺して視線が泳いだ。
「ん、合ってる」
「……だよね」
優しい声が耳元を擽る。急に意識してしまったその距離に、指先が震えそうになった。
キュッと結び目を押し上げると、ぴっしり整って見えた。なんかこう、大人って感じだ。
顔を上げると、私を見下ろす孝支と目が合う。
「ど?似合ってんべ?」
「……うん、正直、想像以上に似合ってる」
「なまえが結んでくれたから。」
「んーん、孝支が、大人に見える」
なんでだろう。ずっと孝支は私の後ろをついてきてくれていると思っていたのに、気づいたら追い抜かされてだいぶ先を歩いているんだと気づいてしまった。大人になって、私のしていない経験をたくさんして、そうして大学生になるんだ。
私が巻いたネクタイなのに、それを身につけて何処か遠くに行ってしまうんだ。
「なまえが巻いてくれたから、俺はなまえに追いつける気がするけどね」
へらり、笑った孝支とまた目が合う。いつの間にか高くなった身長。目を合わせようとするとどうしても見下ろされて、どきりとしてしまうのは結構前からずっと内緒にしてきたことだ。
「孝支は、ずっと先にいるよ」
「ふは、先に居んのはなまえ。俺はずっと後ろ。できれば隣がいーけどな」
「だから、これから隣に行けるように頑張るよ」
指先で結び目に触れた後、その指先が私の前髪をかき分ける。そこに口づけが落とされたと理解したのは、孝支が部屋から出て行った後だった。