縮まらない

「とーるっ!」
「うわ、……びっ、くりした」

目の前に、白地にミントグリーンのジャージを纏った男の子を見つけた。少しピンクがかった髪の毛は紛れもなく私の幼馴染のもので、近寄ってそのエナメルバックを引き寄せた。驚いたように目を丸くしながらこちらを振り返った彼は、その主が私だと認識して柔らかい笑みを零す。

「徹がいるのが見えたから、追いかけてきた」
「何それ、かわいーの」
「うるさいやい」

うりうりと私の後頭部あたりを雑に撫でられた私は、少しばかり文句を垂れながら徹の隣に並んだ。

「なまえも今帰り?遅くない?」
「テスト期間だから友達と勉強してた」

ベージュにチェックが入ったスカートは、捲り上げて膝上丈でひらひらと揺れている。私は、小学校、中学校を徹が辿ったのと同じように駆け上がり、そのまま追いかけて青葉城西高校へと進学した。ただの幼馴染相手に執着心がすごくないかと言われればそうなのだが、それほどまでに私にとって彼は特別な存在だった。

しかし、同じ高校に進学したものの、変わらずバレーを続けている徹とはなかなか会えない。そんな中でふと見つけた背中に、飛びついてしまうほど嬉しかったのはまた事実だ。
相変わらずへらりと笑いながら、私を覗き込んだ徹はそのままニヤりと黒い笑みを浮かべる。

「走って追いかけてくるなんて、さては、俺のこと大好きだね?」
「っな……」

「はは、相変わらず可愛いね、なまえは。」

くすくす笑う徹には、いつも余裕がある。私ばっかりドキドキしてる。徹にとって私は、多分ちんちくりんな妹とか、犬かなんかだと思う。それでも私はこの、"幼馴染"というポジションを誰にも渡したくなかった。……はじめくん以外には。

一方的にペラペラ喋り終わったところで、徹がスマホに釘付けになっていることに気づく。

「歩きスマホ、いけないんだ」
「…あー、うん、」

たたた、と素早く動く指に見惚れてしまった。その指先で、今日もボールに触れてきたんだ。徹のセットアップはしなやかでピンとしていて、それでいて静かだ。普段はあんなにギャンギャン騒ぐ大型犬のような徹でも、バレーをしているときは静か。

「なあーにしてんのっ」

声を掛けてもこちらを見ない徹にムッとしてしまったのは事実で。それでも軽率にスマホを奪い取って画面を覗いたことには、心底後悔した。

「あ、ちょ、」

画面に表示されていたのは女の子とのトークルームだった。ちょうどデートか何かの約束をしていたのか、候補日がつらつらと並んでいた。


徹に彼女がいることは、珍しいことではない。なんせこの男はモテる。顔も良い、身長も良い、外面も良い。それは小・中と変わらなくて、私を通して徹に連絡を取ろうとする女の子は多かった。その度に私は、幼馴染というポジションから勝手に優越感を覚えていたりした。
だけどそれが変わったのは、徹が高校1年生になった頃。青城の制服を身に纏った可愛い女の子が、徹の隣を歩いているのを目撃してからだ。心の底からお似合いだと思った。

初めてそれを見た時の衝撃は凄まじいものだった。ずっと隣にあったものが、いきなりなくなる感覚。近いと思っていたものが、実はとてつもなく遠かったと気付いた。「私は、あそこには立てない。」同じ立場で、同じポジションで、徹の隣には立てない。

それを突きつけられてからの私は、酷かった。


1年間徹からの連絡を無視し続けたり、会ってしまわないように通学経路を変えたり。それでも「及川徹」を諦められなかった私は、やっとの思いで青葉城西に入学した。
……追いつける時なんて来ないって、分かっていたのに。


「…ちょっと、返してよね」
「あ、ごめん、はい、これ。」

その大きな手に奪い取ったスマホを乗せる。もう徹の目を見ることはできなかった。目を合わせたら、全て見透かされてしまいそうで。私からの好きも、お腹の中で渦巻く黒いものも。全部。

「…じゃあ、またね」

視線も会話も強制的にシャットダウンして、彼から離れた。早足で歩けばすぐに家に着く。徹と二人なら長い帰り道もあっという間だったんだと気付いて、ずきんと胸が痛んだ。あぁ、私、可愛くない。美しくもない。徹の隣にいたのは、いつも可愛くて綺麗でふわふわしていてキラキラしている、そんな女の子だった。


◇◇◇



「なまえ、」
「………げ、」
「げって何よ!ゲッて!傷ついたな、もう!」

帰宅部の私は、本日も早々に帰宅しようと教室を出た。出たところに立っていたのは先日から一方的に気まずさを感じていて、会いたくなかった幼馴染。入学してから会うたびに声を掛けていた徹に、声が掛けられなくなって数週間。見かけても、避けるようになった。

徹は、ひらりといつもの調子で片手を上げてにこやかに名前を呼ぶと、ピシャリとした冷たい視線で私を見下ろした。これは相当イライラしている時の目だ。幾度となく、見たことはあるその視線。だけど私自身に向けられたのは初めてで、思わず後退りをしそうになった。

「……帰ろうか」
「部活は?」
「今日は月曜日だからオフ。」
「そ、そうなんだ……」

唯一の望みであった選択肢を断たれては、もう隣に並ぶ彼を拒否する言葉なんて浮かんで来なかった。


先日はあっという間だと感じた帰り道も、今日は長い。とてつもなく、一歩一歩が重い。

「「あのさ、」」
「……何、徹」

はぁ、と横で息を吐く音が聞こえて、更に背筋が縮こまった。バクバクと心臓が嫌に音を立てていく。これから私は何を言われるのか。「彼女がいるから関わらないで?」「引っ付き回されて迷惑だ」「避けんな、ウザい?」なんだろう、予想はできても、それを受け止められる自信は無い。とてつもなく、怖い。

「なまえはさ、…その、さ、」

珍しくへらへらしていない徹の様子に小首を傾げる。歯切れの悪い感じは、実に珍しい。見たことのない幼馴染の様子が新鮮で、まじまじと見つめてしまった。


「……どうしたの?」
「…いないの?その、……彼氏、とか」

予想だにしなかったその言葉に、ぱちくりと瞬きを繰り返すことしかできない私。
…彼氏?かれ、し。何度も何度も言葉を噛み砕いて出たのは、「…いないよ、」というか細い声だった。


「じゃあ、俺とか、どうですか。案外優良物件だと思うんだけどなァー?」
「……はあ?」

「誕生日、おめでとう」

脈絡のない会話が止み、そう言って徹が鞄から取り出したのは、有名なアクセサリーブランドの紙袋。高級感のあるそれは、徹が持つにはピッタリで目を見張る。それをそのまま私の手に渡した。貰っていいのかな、と控えめに顔を上げると、気恥ずかしそうにする彼と目が合った。
買うの緊張したからクラスの女子に手伝ってもらったんだからね!感謝しなさいよ!ってドヤ顔をする徹。その言葉からあの日のメッセージの内容を推測するのは容易だった。

「…たん、じょーび」
「は?まさか自分の誕生日忘れてるとか言わないよね?」

私の、誕生日。

「……忘れてた」
「嘘でしょ?なまえが自分の誕生日忘れるなんてことあるの?嘘でしょ?」

誰のせいだ、馬鹿野郎。そんな言葉を飲み込んで苦笑いを浮かべると、ゲラゲラ腹を抱えて笑っていた徹が、急に真剣な目をこちらに向けた。私はこの目がちょっとだけ苦手だ。徹が、遠くにいるような気分になってしまうから。

「で、……俺、どう?結構本気、なんだけど」

真剣な目が、私を捉えて離さない。嘘だ、なんて言えなくて、ドキドキと胸が鳴る。ゆるりと視線を巡らすと、「ちゃんと見て」とでも言うように大きな手が頬に触れた。


「好き、だよ。なまえのこと。」

その言葉のあと、恥ずかしそうに首裏に手を回す。好き、好き、…いくら考えても「好き」は「好き」で。何も言えない私に対して、徹も何も言わないまま息を吸う音だけが流れる。
沈黙に耐えきれなくなった私は、とうとう観念した。

「私も好きだよ。ずっとだよ。好きで好きでたまんないんだよ、バーカ!」
「ばっ……!?」
「こんなに好きなのに全然気付いてくれないし、可愛い彼女ばっかり作るし、女の子大好きだし、ラブレター受け渡し係にされるしっ!幼馴染の壁は超えられないし…っ、でも、好きだもん、徹のこと、…私がいちばん好きだもん、」

ぶわっと溢れてしまったものは止まらなくて、言葉と一緒に涙までボロボロに溢れてくる。言ってしまった……。ハッとして顔をあげると、目の前の徹はぽかんと口を開けてとびきり間抜けな顔をしていた。

「…は、ははは、やばっ…まぬ、間抜け……っ」
「なっ、なんなの!?泣いたと思えば爆笑!?なまえ、え?待って?好き、?好きなの?俺のこと、」

「好きだって、ずっと」

ひとしきり笑った私が顔を上げると、顔を赤く染めた徹がいた。…何、その顔。どくん、と音がしたかと思えば、キュッと締め付けられて呼吸がしずらくなる感じ。きゅん、とした。


「……待ってよ、何その顔、可愛い」
「へっ、ぶ、」

痛いほどの力で抱きすくめられ、一ミリも可愛くない声が漏れた。その力はどんどん強くなり、潰されてしまうんじゃないかとすら思う。強豪のバレー部主将として鍛えられている腕力は伊達じゃないようだ。

「好き。……あーほんと、堪らないね、なまえは」

ちょっとだけなら、と甘えるように逞しい腕に身を任せると、頭の上から甘い声が聞こえた。聞きなれないその声に、お腹の底が熱が湧き上がってくる。


「これからはもっとちゃんと甘えてよね」
「…うーん、」
「ちゃんと言って。」
「……ふぁい」

暖かい両手が頬を包んだ。「ところで徹はいつから私のこと好きだったの」と声に出すと、彼は「内緒」と言いながらいつもの笑顔でへらりと笑った。その見慣れた笑顔は、今は私だけのもので、大切で。

この先の未来で、絶対に答えを聞き出そうと決めた。

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