少年Aの恋愛理論

「爆豪くん爆豪くん」

あぁ、今日も来た。気怠げに振り返ると、そいつは目を輝かせながら俺を見上げる。

「今日もとってもかっこいいね!」

これを世間一般では良い笑顔だ、と呼ぶのだろうか。それでも俺にとっては背筋をぞくりとさせるには充分な笑顔だった。何故ただのクラスメイトにそんな冗談めかした褒め言葉が言えるのか、俺は理解できなかった。
意味がわからない、という意味をこめて一瞥すると、今日もそいつは満足気に頷いていた。その視線はすぐに隣にいた上鳴に移される。

「なぁなまえ!俺は!?」
「上鳴くんは今日もナイスアホだったよ!」
「おい、格好良いは〜!?」

俺は、そんな会話に背を向けて一つ溜息を零すと、教室に向かって歩き出した。

みょうじなまえ。それがこいつの名前だ。同じ雄英高校1年A組に所属するこいつは、少し…いや、大分、頭が可笑しい。初対面の俺に対して『好きです!』だなんて公開告白を決めて見せた。

条件反射で個性を使って爆破しそうになったが、初対面のよく知らない女に対してそんなことをするような趣味があるわけでも無かったため、睨んで終わらせた。
当時はそそくさと何事もなく去って行ったのは良いものの、そこからの日々は同じことの繰り返し。

「爆豪くん、今日も好きです!」
「とびきりかっこいい!」
「また個性の扱い上手くなった!?すっごい格好良い!」

なんでそんなことまで知っとるんだ、キメェ。というレベルで細かいところまで見てやがる。とにかくこいつはクソほど俺に対して執着していた。鬱陶しいほどに。

それから早半年以上。


「なぁー、かっちゃん」
「おいその呼び方やめろや」
「ひ、わりー、わりー」

俺の机に肘をつき、アホ面を晒しながらどうでもいい会話を続ける。ふと、目の前の男がニヤりと口角を上げるのが分かって眉を潜めた。どうせロクなことを言わねぇぞ、こいつは。

「爆豪はなまえのこと好きじゃねぇの?」

「好きじゃねぇわ!どこに目ぇ付いとんだ!」


自分から出た声が想像以上に大きくて驚いたのは俺だけではなかったようだ。目の前の上鳴は、気まずそうに辺りを見回して眉を下げた。

「ごめんごめん。でもそんなムキになんなくても…さ?」

教室が、明らかにシン、と静まり返っている。それでもへらりと笑うこいつに腹が立ってきた。いや、違うか。
俺はこんなことを言い放ってしまった自分自身に腹が立っているのかもしれないと、何故か客観的にそんなことを思った。


その後、いつものように午後はヒーロー基礎学だった。今日のヒーロー基礎学は2人1組での戦闘訓練で、いつも通り俺は勝利を納めた……のだが。
本来ならば、アイツが「爆豪くん格好良かった!」などとサムい言葉を吐いてくるところだった。

「…今日は来ねぇのかよ」

ボソリと呟いた言葉は、誰にも拾われることなく冷たい空気に吸い込まれていった。当の本人は、女子同士で反省会を行っているようだった。その空気はどこかいつもと違っていた気もする。
ムカつく、腹が立つ、なぜ湧き上がるのか分からないその感情を受け入れることができずに、俺はただ髪を乱した。

こんなことは入学して以来初めてで、いつもあるものが無かったから気になっただけだ。別にアイツの言葉とか笑った顔を求めているわけじゃない。ただ日常が崩されたから気に入らないだけ。そう言い聞かせた。


放課後、珍しく一人で歩くみょうじの姿を見つけて、なんとなく後ろをつけて歩く。右に左とふらふら歩く姿は見るからに正常ではなく、体調でも悪いのかと思わずその腕を掴んで静止させた。

「…おい、」
「……ば、くごうくん…?」

こちらを見上げた瞳は涙に濡れていて、声を掛けた主が俺だと認識すると驚いたように目を丸くして止まった。それでも、驚いたのはこちらも同じだった。

いつもケラケラと軽快に笑うそいつと、涙という産物はどうしても結びつかずに脳が混乱する。なんだ、こいつ。いつもと雰囲気が違うという勘は当たっていたようだ。
こいつが泣いている理由も、雰囲気が違う原因も、そんなものは俺にとっちゃどうだっていいことだ。

それなのに、どうしても今この瞬間、こいつから目を逸らすことができなかった。

「何、して……」
「ご、ごめん!これはー、えっと、そう!目にゴミが!入っちゃって……」

ぱちくりと瞬きを繰り返すその目にはもう涙が滲んでいるわけではないものの、逃れるには苦しすぎる言い訳。それでも、これ以上触れてくれるなとでも言いたげな距離の取り方に、俺は握った手を離すほかなかった。 

へらりといつもの調子で笑いながら、みょうじは俺の隣に並んで寮に向かって歩き出した。いつものように隣を歩くんじゃねぇとか、ウザいとか、それくらいの言葉を述べれば良いのかとも思ったが、今の俺にそんな言葉を絞り出す勇気は無かった。
涙の理由を聞く勇気は、もっと持ち合わせていなかった。

「じゃあ、また明日ねっ」

無言のまま、短いようで長い距離を並んで歩いたのち、彼女は先に寮の中へ吸い込まれていく。調子が狂う。
なんなんだ、アイツ。

いつものように笑いかけたようで表情は硬い気がしたし、涙の残りで潤んだ瞳は光って見えた。どうしても普段のような言葉が出てこなくて、曖昧に笑うだけの彼女が頭に焼き付いて離れなかった。少し震えた声が、今にでも聞こえそうな気がした。
無性に腹が立って、その日はいつもしている筋トレも、授業の復習もせずに床に就いた。


◇◇◇



次の日、みょうじはいかにも泣き腫らしましたとでもいう顔をしていた。
こんな顔してたら誰でも気づくだろ、なんとかしろやと言いたくなるような酷い顔だった。

「…ひでぇ顔、」
「なっ、失礼な!爆豪くんは今日もかっこよくていいですねっ!!」

朝食を食べている彼女に声を掛けると、いつものような軽い調子で返ってきてホッとした。
みょうじのことを気にしていた自分に気づいてハッとする。心配、だったんかよ、俺は。っていうか、俺に心配掛けんじゃねぇ、と心の中でほざいていると、クスクスと笑い始めた。

「なんか爆豪くんが百面相してる。」
「っせぇ。……テメェは復活したんかよ」
「…!」

パッと輝かせた目がこちらを見て思わず逸らしたくなった。なんだよ、可愛いじゃねぇかと思ってしまった自分が嫌になる。

「もしかして、心配してくれたの?」

「………別に、」
「絶対そうだ!えー、どうしよう!嬉しいなぁ。お茶子ちゃんに報告しなきゃ!」
「はぁ?ちょ、」

見るからに表情を明るくさせたそいつは、朝からアホみたいな量の朝食を平らげて席を立った。本気で意味が分からない。泣いたり笑ったり、花のようにほころんだり。
コロコロ変わるその表情がムカつく癖に、それに翻弄されている自分がいて、それにさらに腹が立った。


「爆豪、なんか機嫌わりぃ?」
「別に」
「ゼッテー嘘じゃん!」

「アイツ、」
「…ん?どいつ?」
「アイツ、なんか悩んでんのか」

視線の先には、キャッキャと騒がしい輪の中心にいるアイツの姿。昨日見た姿は幻か夢だったのかと思うほど、平常運転な彼女がそこには居た。

「あー…、お前のせいじゃね?」
「は?」

「ちょ、そこは言ったらダメなやつじゃ…」
「爆豪こう見えて鈍いかもだからこんぐらい言わないとわかんねぇよ!このままじゃなまえ可哀想だろ、」
「はい、上鳴ストップ」

「…ッチ、」

思わず舌を打った。
その場にいた男たちは小さく眉を下げて自席に戻っていく。

分かっている。アイツがどれだけ軽い調子で言ったって、本気で俺のことを好きだと思っていることくらい。見ていれば分かるのだ。こんなに視線を受けていれば、痛いほど分かってしまうのだ。俺はそこまで鈍くない。
それでも、どうしたらいいか分からない。

昨日の涙の理由が【俺】だとすれば、きっと原因はあの言葉だろう。そこまであたりはついていても、それに対してどうしたらいいかわかるはずもなかった。
謝ればいいのかよ、ンな自惚れた盆暮ヤローみたいなことができるかよ。

悶々とした気持ちに蓋をするように、午前の授業に集中した。


「おい、」
「え、何…、爆豪くん」

呼び止めたのは俺からだった。あの日から、ぱったりと無くなった授業終わりのコミュニケーションは、想像以上にじわじわと俺を蝕んでいるようだった。
身体が勝手に動いていたといえばそうだが、実際は頭の中で綿密に考えを練った結果の行動だった。

腕を引いたまま人気が少ない廊下の角で立ち止まる。

「えっと、どうしたの、かな?」

思いがけない接触だからだろう。いつもの勢いはなく、おずおずとこちらを見上げたみょうじを自分のものにしたいという衝動にかられたのは、なぜだろうか。
少し紅潮した頬を撫でたいのは、よく見るといつでも潤っている唇を自分が塞いでしまいたいと思うのは、何故だろうか。

「…俺のこと、好きなんか」
「え、」

答えは分かっていた。当たり前に、分かっている。
みるみるうちに頬を染めるみょうじが可愛いと、きっと、ずっと前から想っていた。苛立ちは全て独占欲で、腹から煮えるように湧き上がる感情は「愛しさ」だと分かっていた。

「好き、です」

ぎゅっと、その小さな手が俺のジャージを掴んだ。その手は僅かに震えていて、軽い気持ちで言っているわけではないことなんて一目瞭然だった。

あぁもう、全部、


「…は、俺のモンにしてやるわ」

「え、何、それ」

顎を掬い上げると、その赤い唇に噛み付くように唇を合わせる。
そうだ、俺はずっと、こうしたかったんだ。

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