海月
【ヒーロー】
それはいつも笑顔で人々を救う、とても強かで眩しい人類。そんなヒーローに、私は憧れていた。だけど現実は、そうではなかった。
雄英高校に入学して知ったこと。ヒーローは、"人のために"というテーマで、何かしらの強い信念とプライドを持った人の集まり。勿論その中には、心の底から強い人もいるけれど、その影に憂があるというのが大体だ。私が小さい頃に目を輝かせて見ていたヒーローは【表】で、入学して知ったのは【裏】。そんな感じ。
憧れと現実の狭間にいる雄英生の中で、彷徨い歩いているのが私、だ。
「見つけた、」
「…あれ、轟くんだ。どうしたの?」
「お前が居ないから探してこいって、相澤先生に言われた」
この広い雄英の中でかくれんぼをしたら、私が絶対に優勝できると思う。ここは校内のはずれ、誰が使っているのか、使っていないのかもわからない美術室。授業で使うものとは違う、ちょっと埃っぽい空気を纏った部屋。
時間が止まっているようにすら感じさせるこの部屋が、なんとなく好きだった。
「よくわかったね、ここ。」
「前に言ってたの、思い出した。」
そもそも今は授業中で、きっと隣の席の轟くんが私の捜索に借り出されたのだ。いつもごめんね。
「……なんか、悩んでるのか。」
控えめに、でもしっかりと、その言葉は紡がれた。
君はクラスの中でも天然だと有名なのに、鋭いな。動揺して、思わずヒュ、と喉が鳴った。
「私さ、生まれ変わったらくらげになりたいな」
ぽつり、と呟くと、目の前の轟くんが何を言っているのかわからないというように小首を傾げた。その様子にクスクス笑って見せながら、視線を窓に向ける。
ここには海はない。校舎の窓から見えるのは、広大な敷地にある緑ばかり。
なんか息苦しいな、とすら思った。
「なんでだ?」
「くらげって、心臓も脳も血管もなくて、……死ぬ、とかもなくて。消える時は溶けてなくなっちゃうんだって。」
この世からいなくなる時に、痛みを感じない。それが羨ましいなと思う。
私は、怖いもん。痛いのも、居なくなる時にどんな感情になるのかも。自分の全てを賭けて、立ち向かっていく勇気がないんだもん。
轟くんが、私の隣に立つ気配がした。横目で見ると、スゥっと通った鼻筋は窓の外を向いたまま。少し考えるように目を伏せたあと、また窓の外へ視線を向けた。
「感情も、ないのか。」
「…うん、ないんだって。」
「それは、俺は、嫌だな」
よく通る声だった。驚いて目を丸くしながら声のした方に顔を向けると、轟くんは困ったように、でもちょっとだけ笑いながら私と視線を絡めた。何か言わなければ、と咄嗟に出た声は震えてしまった。私の弱さが、そこに全て滲み出ていた。あわよくば同調されれば、なんて見え透いた心。
「どうして、嫌なの?」
「……それ、は」
「こんな風に、お前を知りたいって気持ちも、堪らなく綺麗だと思ったことも、……好きだって気持ちも、くらげになっちまったら、全部感じられないんだろ」
轟くんから発される言葉のひとつひとつが、私のお腹の中に落ちていく。ひとつひとつを理解したときに、顔に熱が集中していくのがわかった。
「え、と……」
「俺は、なまえはなまえであって欲しいと思うけどな」
そうなのか、わたしは、わたしであっていいのか。ここに居て、いいのか。
「……戻るか」
「うん、」
あのね、
「ありがとう」
一足先に教室から出た、広い背中に声を掛ける。轟くんは振り返ってくれなかったけど、その背中が、何となく笑っている気がした。