俺は基本的に何事にもポジティブな方だけど、人間だから「今人生で一番どん底かも」と思うことはある。それが今だ。ちょっとだけ元気がなくて、ちょっとだけ自分が選択したことに迷いを感じている。絶対に間違っていないと思うけれど、もう少しあぁしていたら…と思ってしまう。

高校を卒業して一年。単身リオデジャネイロに渡って3か月が経った。何も知らない異国の地。言葉もわからない、文化も違う、ギリギリの生活だ。なんとなくの悪い気配は続くもので、今日は財布を無くした。ルームメイトであるペドロとも上手くコミュニケーションが取れない日々が続いていた。

「…はあ。」

ふと目に入ったスマートフォンは、卒業式の日にバレー部員たちと一緒に撮った写真を映し出している。俺、影山、月島、山口、谷地さん、…そしてなまえ。皆で身を寄せ合って笑っていた。写真の中のなまえは笑っているのに、俺が今思い出せる彼女の顔は寂しい笑顔だけなのに気づいて嫌になる。いつだって周りの空気まで明るくしてしまうような笑顔を咲かせる子だったのにな。


なまえと俺は、高校を卒業してからの一年間恋人同士だった。マネージャーであるなまえとプレーヤーの俺は、当たり前だけど仲が良かった。高校の時から付き合ってるんじゃないの?と噂されることもあったけれど、実際はそうじゃなかった。バレーに集中している俺と、それをマネージャーとして支えてくれるなまえという関係。【同じ高みを目指す仲間】以上でも以下でもなかった。まあ、俺は好きだったんだけど。
卒業式を迎えても、俺が彼女に想いを伝えることがなかった。伝えることがなかったというよりは、伝えることができなかったのもあると思う。日本から離れる決意を固めたくせに、一方的に告白をするのなんて無責任だと思っていた。この気持ちは俺だけのものにしておくつもりだった。

しかし、久しぶりに会った彼女は、俺と二人になった時期を見計らってその状況を変えてきたのだ。

「私ね、日向のこと好き」

元烏野メンバーで集まった帰り道。高校の時と同じように並んでなまえが乗るバス停まで歩いている時のことだった。
この時のなまえは、勿論俺が一年後に日本にいないことを知っていた。それでも、笑顔でそう言ったのだ。
このまま結ばれても、数ヶ月後には離れ離れになる。それも、ただの遠距離恋愛でなく遠く離れた地球の裏側。これを言ったって悲しませるだけかもしれない。それでも、情けない言葉たちは勝手に口から出ていく。

「俺も好き。ずっと、ずっとなまえのことが好き」

「え、うそ……」

「本当だよ。高校の時からずっと好き。俺と付き合ってください」

「よろしく、お願いします」

顔を赤らめた彼女との視線が交わると、自分が何を言ったのか思い返してこちらも顔に熱が集中する。言ってしまった。それに対して彼女は恥ずかしそうに、でも嬉しそうに頬を綻ばせながら俺を見つめた。バクバク鳴る心臓がうるさくて、そのおかげでだんだんと全てが現実味を帯びてくる。
こうしてなまえは、俺の彼女になった。


そこからはまぁ、恋愛経験がないなりに頑張っていたと思う。隣を歩くだけで緊張してカチコチになっていた日々も段々と落ち着き、一緒に居ることが当たり前になってきた。いつも隣にはなまえがいて、笑いかけてくれた。もちろんその当時もなかなかうまくいかないことがあったけれど、なまえがいたから乗り越えられたと言っても過言ではないと思う。
キスもそれ以上もそこそこにやったつもりだけど、なまえ以外の女の子と付き合ったことがない俺にとって正解がなんなのかはいまだに分かっていないままだ。

湿気の多い夏を超えて上着がないと寒く感じるようになってきた頃、なまえはふとした瞬間に悲しい表情をすることが増えた。未来の話をした時、バレーに関する話をした時。今となって考えれば当たり前のことだけど、その時の俺は全て忘れていた。俺から告白しなかった理由も、これから先傍に居られないということも。
彼女が好きで、一緒にいる時間が幸せで、全部頭から抜け去っていたんだ。

「最近、なんかあった?」

「…ちょっと大学忙しくてさ。ごめん!」

考え込むような横顔を見る機会が増えたと思って声を掛けても、はぐらかされてばかりでその原因は分からなかった。ここで、もっとしっかり聞いていればよかったんだって分かってるよ。


リオに旅立つ当日。なまえを含めた元烏野メンバーは俺を見送りに来てくれた。
その日に近づいても彼女の様子は変わらなかった。時折遠くを見るような横顔に、どう声を掛けたらよいか分からない日々。でもその一瞬以外はいつも通りのなまえで、優しい笑顔で、可愛い彼女のまま。別れ話もしていない、だけど、これから先の話もしなかった。

「なまえ、」

「…日向、頑張ってね。日向ならきっと大丈夫だよ」

今にも遠ざかっていきそうな彼女の背中に呼びかけた。振り返ったなまえはいつもみたいにふわりと微笑んで、俺に励ましの言葉を掛けてくれた。それ以上でも、以下でもない。これ以上踏み入れることができないような雰囲気。俺たち、付き合ってるよね…?声を掛ける直前まで浮かんでいたその言葉が彼女に届くことはなかった。

分かっていた。きっとあの時、俺に背を向けたなまえは泣いていた。



「もしもし、日向」

「急にどうしたの?谷地さん」

「なまえちゃんはね、日向のことが大好きなんだよ」

ビーチで及川さんに会った。懐かしくて思わずグループチャットに写真を送信したその日、突然谷地さんから電話が掛かってきた。連絡はたまにとってたけど、こうやって突然電話が掛かってきたのは初めて。少し暗い声をした谷地さんは、突然そんなことを言った。

「ずっとね、寂しいって言ってたよ」

「でも日向の前では笑ってたいって、そう言ってたんだよ」

「…だから、分かってあげて欲しいな」

今更、今更じゃん。俺は今ブラジルにいる。すぐに手を伸ばしても届かない。今更言ったって、無責任だ。
…でも、無責任なのも、今更?

本当は分かっていた。寂しいと思っていることも、傍に居てほしいと願っていることも。俺自身も彼女の傍に
居たいと思っていることも。

谷地さんとの通話が終わると、静かな部屋がやけに気になった。こっちにきてからずっと無意識に避け続けていたその名前をスマートフォンに表示する。今、日本は昼間だろう。もしかしたら出るかもしれない。声が聞けるかもしれない。もしそうだったら俺の気持ちを話そう。なまえの気持ちも、多少無理矢理になっても話して貰おう。そうしたらきっと、もう少しだけ上を向けると思うから。

「行かないで」

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