「私、東京の大学に行くことにした」

大好きな彼女の透き通った声が、その瞬間氷のように冷たく感じた。勿論付き合っていて喧嘩をしたこともあったし、正直声が聞きたくない時だってあったけど、こんな気持ちになったのは初めてだった。突き放されるような、彼女がとてつもなく遠くにいるような感覚。まるで世界から俺だけが切り離されてしまったかのように、目の前が真っ白になった。

「そう、なんだ…」
「言うの遅くなってごめん。でも、どうしても行きたい大学があって」

目の前で申し訳なさそうに眉を下げる彼女は、まるで知らない人のようだ。課題を見せてあげた時の笑顔も、初めてキスした時の照れた表情も、初めてを経験した時の歪んだ顔も、全てが無かったことになってしまったかのように遠く感じる。

そうか、俺たちは離れ離れになるのか。

そこからどうやって帰ったのか、そもそもあの時どこにいたのか。なまえはどんな顔をしていたのか、俺はなんと答えたのか。思考が全て停止してしまったようで、今となっては頭の片隅にすら記憶が残っていない。どうしてしまったんだ、俺も、なまえも。


そこから、俺たちの関係はみるみるうちに崩れていった。
口数が減って、突き放すことが増えて、しまいには喧嘩もしなくなった。どうしてこうも上手くいかないのかともがいても、どんどん望んでいるものとは物事が逆に進む。バレーの戦略は浮かぶのに、彼女を苦しませない方法が何もわからなかった。

「なんで分かってくれないの?」
「……じゃあなんでお前は相談してくれなかったの?」
「お前って言わないでよっ……孝支はそんなこと言う人じゃ無かった!」

キッと目を釣り上げて捲し立てるように吐き捨てたなまえの顔には、苦痛だけが浮かんでいた。俺と話すのも嫌なんだと分かる視線。ピシャリと背筋が冷えた時には遅く、受験勉強の時間を割いて会いに来てくれていた彼女は俺の部屋から飛び出して行ってしまった。追いかけろ、そう思っているのに、わかっているのに身体が動かない。ふつふつと込み上げる原因のわからない怒りだけが俺の心を支配した。


じゃあ、お前の中の俺はどんなヤツなんだよ。

その一言が頭の中に浮かんでハッとする。
じゃあ俺の中のなまえはどんなヤツだった?それが、本当のなまえだった?

慢心していたんだ。教員を目指すことに対して「孝支なら絶対にできるよ!」と笑顔で背中を押してくれた優しい彼女にだって、自分の夢があるのは当たり前のはずなのに。三年間俺たちの傍で支えてくれていたように、これから先もずっと俺の近くで支えてくれるものだと勝手に思ってしまっていた。立場が変わっても、彼女が俺の彼女でいてくれることは変わらないと思っていた。それは俺のわがままだと言うことに気付かずに、勝手にショックを受けてしまった。最低だ。本当に、最低。

『ごめん、言いすぎた』

優しい彼女は、俺の連絡に対して私もごめんと謝罪をくれた。安心する気持ちと、なんでだよと思う気持ちが半分ずつ。もっと責めればいいのに、こんな情けない俺のことを。少しばかり感じた違和感は、やはり勘違いでは無かったようだった。

今までの仲違いが嘘だったように、卒業までの数ヶ月は元通りに過ごした。デートもしたし、春高に行った俺たちの応援をするためにはるばる東京まで来てくれたりもした。そのまま少し旅行をして、引退してからの少しの学生生活を一緒に楽しんだ。デートもしたし、身体も重ねた。残りの時間を惜しむように、丁寧に。数ヶ月前のギクシャクしていた空気なんて全てなかったかのように思えた。
でも、それは、俺だけで。

それに気付かなかったのも、俺だけで。


卒業式も終わり、彼女が東京に出発する日がやってきた。日本の首都といえど新幹線では一時間半あれば行けるわけだし、俺たちは時間にあまり制約がない大学生になるんだ。今までとは違う。これからもやっていける、そう思っていた。

「孝支」
「んー?」

仙台駅の中に入っているカフェチェーン店でいつものカフェラテを片手に彼女と向き合う。彼女はいつもと違う大きなキャリーバッグを持っているくせに、穏やかな表情をしていた。いやむしろ、いつもよりワクワクとした顔をしていた。新たな地で新生活を始める楽しみが強いのだろうか。
纏っているふんわりとした空気とは反対に、勇敢さがあるところも好きだなと思う。そういう一面を持っているからこそ、こんなにも惹かれたんだろう。

「別れようか」


あの時のように言葉が出なくなるのは俺だけだった。ビリビリと、思い描いていたものが破り捨てられていく。色づいた景色が色を失くしていく。どうして、なんで。

「なんでっ…俺、会いにいくし、」
「本心を話せないのに、遠距離恋愛なんて無理だよ」

いつの間にか溢れたぬるい液体が手の甲に落ちて流れた。みっともない、こんなところで。それでも彼女は困ったように笑っただけで、俺の願った撤回の言葉を発する気は一ミリもないようだった。

「私は、孝支に言いたいことがいっぱいあったよ。でも、言えなかった。それは孝支だけが悪いんじゃなくて、私も。きっとお互いもう少し大人だったら上手く行ったことがいっぱいあるのかもしれないけど、私はまだ大人になれなかったし、なりたいと思わないや」

目の前の彼女が何を言っているのかがわからなかった。でも一つだけ言えるのは、俺もなまえと同じようにまだまだ子供だということだけ。

「私は、寂しいとか、行かないでとか、ちゃんとぶつけて欲しかったよ」


最後に一度だけ目があった彼女は笑っていた。あれ、なまえってこんなに大人っぽかったっけ?と思ってしまうほど、落ち着いた穏やかな笑顔だったと思う。


君が最後に言った言葉の意味も、今なら分かる気がするよ。

俺に足りていなかったのは優しさでも思いやりでもなくて、みっともなくてちっぽけな本心を見せることだったんだ。無理して、我慢に我慢を重ねてたのは、俺だけじゃなかったんだよな。ほんとはあの時、すぐにでも言いたかったんだよ。「   」って。

「傍に居たい」

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