3日目

昨日の出来事は全部夢だったのではないかと思うほど、普通の朝。それでもスマートフォンに彼からの通知が残っていて、現実なんだと教えられた。
ここ数日こんな朝が続いていて、なんだか心が落ち着かない。

今日は大学時代の友達と飲みにいく予定だ。久々に会う子も多いから楽しみで、そのために仕事を頑張ろうと気合を入れ直す。

『今日も頑張ろう』
『うん。怪我とか、気をつけて』

焦凍は、意外とマメな方だ。朝と寝る前は連絡をくれるし、仕事の合間でもなんでもないような会話の続きを返してくれる。ヒーローは忙しいはずなのに、時間を見つけて返信をくれていることが伺えた。
…本当、調子が狂う。

あぁ言われた時は、どうせ遊ばれたり揶揄われたりしているだけだと思っていた。なのに、この連絡のマメさとか、昨日のご飯の時間とか、そういう直接的もののせいでその仮説はガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。もしかしたら、本当に。彼の一つ一つの行動が、私にそう思わせて来るのだ。


「「かんぱーい!!」」

大学の頃から行きつけだった大衆居酒屋でジョッキを掲げる。久々に会った友達は容姿こそ変わったものの、陽気さや会話の内容はほとんど変わっていない。
当時から恋やら愛やら金やらバイト(仕事)の愚痴やら。そんな生産性のない会話をするのが馬鹿らしくて大好きなのも変わらない。

「なまえは最近どうなのさ?前に付き合ってたあのパッとしない男と別れたんでしょ?」
「パッとしないって失礼な…平凡って言ってよ」

数ヶ月前まで付き合っていた彼氏は、会社の同期だ。パッとしないと言われれば確かにその通りなんだけど、テンプレートのようにそんな言葉を返す。

「でもなまえ、可愛くしてるし。彼氏できたんでしょ?」

またそんな言葉を当てられてどきっとしてしまう。私という人間は、そんなにわかりやすい人だったか。今まではそんなことなかった気がするのにな…と首を捻ると、白状しろと囲まれてしまった。
酒も回って陽気になったこの場からは、そう簡単に逃げ切れるものでもない。

「実は…、一週間付き合ってくださいって言われて」
「「なにそれ!?」」

口々に飛び交う憶測の声と、楽しそうな笑い声。すっかり私のエピソードを酒のアテにして楽しんでいる。

「私もよくわかんないんだけどさ」
「……それって、揶揄われてるとかじゃないの?」
「そう思ったんだけどさぁ…」

私の真剣な様子にしっかり応えてくれたのは、一番長い付き合いであるサクラだけだった。他の3人は既に違う話題へと移って、そちらはそちらで楽しそうに盛り上がっている。

「なんか揶揄われてるって感じでもなくて。私も最初は適当に受け流そうと思ってたんだけど。」
「へぇ…?どんな人?イケメン?」
「うん、イケメン」

私がこうも言い切るのは珍しかったようで、また周りのみんなも興味深そうに私を見る。写真を見せてと言われても流石にそこまで対応することはできなかった。…有名人だし。

「まぁ、一週間付き合ってみて、それで考えればいいんじゃない?」

当たり前だけど落ち着いたのはそんな単純なところで。私もそのようにするつもりだったし、その話題から離れてあまり気に止めずに楽しく酒を煽った。


店から出てスマホを見ると、着信履歴に5件通知が溜まっている。それらは全て【轟焦凍】と名前が記されていた。

「え、なにこれ」

ひとまず電話を折り返すと、ワンコールで繋がる。

「大丈夫か!?」
「ごめん、スマホ見てなくて。」
「……なら良かった」

心からほっとしたような声色が耳元を掠めると、罪悪感が浮き上がってくる。と思えば、何か言いたげな、探るような弱々しい声。これはもしかして、と一つの憶測が脳をよぎった。

「……何かしてたのか?」
「大学の友達と、飲み会してて。あ、女の子。ごめんね、心配掛けちゃって。」
「そうか、」

今多分、焦凍はほっとしている気がする。そんな声のトーンだった。
私も私で、しっかり女の子だよと弁解してしまっていることに笑ってしまう。揶揄われているのかもとか言ったくせに、誠実に向き合いたいという姿勢が滲み出てしまっていた。

「どこにいる?」
「えっと、今渋谷駅にいて、これから電車に乗るところだけど…」
「迎えにいくからその辺で待ってろ」
「え」

有無を言わさず鳴り響く電子音。どうしよう、申し訳ないけど、この状態で動いたら更に迷惑が掛かるだろう。ひとまず駅前のベンチに腰を下ろして、彼からの連絡を待った。

『ここに停めてる』

位置情報とともに送られてきた簡潔な文章を元に辿り着くと、黒い車から顔を覗かせた焦凍がいた。車でお迎えされたのなんて、高校生の時の送迎以来だ。
少しむず痒い気持ちになっていると、助手席に乗れと目配せをされた。

「ごめんね、ありがと」
「…いや、俺が来たかっただけだ」

ふい、と逸らされた目。助手席に座ると、ふわりと石鹸の香りがした。
そういう柔らかい香りが好きなのかもしれないと思うと、きゅんとしてしまうな。

「ふふ、いい香りするね」
「……酔ってるのか?」
「え、酒臭い?どうしよ、」
「いや、…なんでもねぇ」

ふい、と私から顔を逸らした焦凍は、少し頬を染めていた。その態度に、どうしても勘違いしてしまいそうになる。それに、勘違いしたくなってしまう。

「着いたぞ」

回り込んで助手席の扉を開けてくれた彼は、もういつものように澄ました表情をしていた。
車から降りる前、ぽん、と暖かい手が頭に乗った。控えめに数度頭のてっぺんを撫でると、手は離れていく。

「…おやすみ、」
「あぁ、おやすみ。」

アルコールの酔いからはすっかり覚めているはずなのに、どうしてかドキドキと心臓が鳴った。初めて、触れられた。どうしてもむず痒くて、心が浮つく。

なんだ、もう私はこのプロヒーローに絆されてしまったのか。私を見送りながら片手を挙げる轟焦凍という男が、無性に格好良く見えて仕方がなかった。
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