2日目

昨日積み残した仕事を片付けることに必死になっていると、いつの間にか定時の20分前になっていた。残した仕事も含めて無事に完了していて、いつもの自分のペースを取り戻していることにホッとする。

「みょうじさん、もしかして今日デート?」
「え、」
「なんかいつもよりおしゃれだし、キラキラしてるし」

同僚の女性は、退勤間近の私の目元を指差した。こんなに突然、図星を突かれることがあるのだろうか。
上手くはないかもしれないけれどはぐらかしながらオフィスを出て、近くの商業ビルのトイレに駆け込む。

確かにいつもの出勤メイクよりはラメが多めだったし、どのお店にいくのかわからないから無難な膝丈のワンピースを着ていた。普段はパンツスタイルが多い私は、側から見ればただの浮かれている女に違いない。それを無意識にやっていたというのだから、私も私だ。

「…大丈夫、だよね」

ラメは目立たないように少しぼかしたし、ヨレている箇所は治した。


彼、ショートさんに指定されたお店は、職場の最寄駅から二駅隣の駅にあった。指定された時間に現地集合で、私にはお店の住所だけが送られてきている。

そりゃあ歩いているだけでファンに囲まれてしまうような人なのだから当たり前だろう。チャットのやり取りで少しだけ天然なのか世間離れしているのか、大丈夫かな?と思う節があったので、そこには少しばかり安心した。

地図アプリに送られてきた住所をコピペして検索する。指定された通りに歩くと、たどりについたのは日本家屋のような風貌の建物。
カラカラと音を立てる扉を開けると、出汁の良い香りがした。

「……よかった」

なんだか、居心地の良さそうなお店だ。
フランス料理とか、イタリアンとか、シャンデリアがありそうなお店を想像して気を張っていた私は、ホッと胸を撫で下ろす。カウンターが数席と、奥にテーブル席がある。

カウンター席の端っこに座った紅白頭の彼は、くるりとこちらを振り返ると手を上げた。

「こっちだ」
「……お疲れ様です」
「あぁ、お疲れ」

向かい合わせも緊張するけど、カウンターはもっと緊張しないですか?
とはいえ、座るしかないのでショートさんの隣の椅子に腰掛ける。肩と肩が触れそうで触れない。唐突にグッと近づいた距離のせいで、心臓が跳ねた。

「何がいい?」

ショートさんは目の前にあったメニューを広げながら私に差し出す。そこには手書きの達筆な文字がずらり。そもそもここはなんのお店なんだろうか。

もり
かけ
ざる
きつね

「……お蕎麦?」
「あぁ、そうだ。俺は冷てぇやつにする。」
「こんなに寒いのにですか?」
「冷たいのが好きなんだよ」

メニューをチラリとも見ない彼は、頼むものが既に決まっているらしい。少し満足気に語る彼は少しだけ子供っぽく見えるから、蕎麦へのこだわりは相当強いんだろうな。
こういうパターンのものは、あまり深くは突っ込まずにいくのがベターだ。

「じゃあ、私はとろろの暖かいので」
「…おじさん、ざるととろろの暖かいのください」


「……なんで笑ってんだ。面白いことあったか?」

だって、笑ってしまうじゃないか。こんなに緊張しながらシックなワンピースを着て、履きなれないヒールを履いて1日を過ごした私、面白すぎるじゃないか。

「初デートで蕎麦、って」

思えば思うほど笑えてくる。お腹を抱えて笑うと、不思議そうに顔を覗き込まれた。その綺麗な瞳と目線が交わって、またどくりと心臓が跳ねる。

「デート、確かに。」

「…蕎麦、嫌いだったか?」
「ううん、好き。」

もしかしたらこの人は、思いの他普通の人なのかもしれない。初デートに蕎麦だなんて的外れなことをするほど、恋愛経験が少ないのかもしれない。職業がヒーローというだけで、もしかしたら私たち一般人と、感覚はあまり変わらないのかもしれない。なんなら少しだけズレてる。

「そういえばショートさん、年はいくつなんですか?」
「次、23になります」
「……まじ?年下?」
「…あ、」

明らかヤベェ、みたいな表情を浮かべた。蕎麦を食べ進めていたその手はぴしりと止まり、まさに固まってしまっている。

「ふふ、いいよそのままで。代わりに私も敬語やめる」

そういうと、彼は安心したように表情を緩めた。あんまり笑わない人なんだろうなと思っていたけど、意外とわかりやすい。困ったり、焦ったり、ホッとしたり。じんわり暖かくなるみたいに、浮かび上がるみたいに表情に現れる人だ。

出てきたお蕎麦は本当に美味しかった。
今まで食べたお蕎麦の中でダントツ一番美味しかった。

「やっぱり好物だから、食べ歩いたりするの?」
「あぁ、ここのは一番旨い。」

あ、嬉しそうな顔。

「一番旨いのを食べさせたかったんだ」

キラキラとエフェクトが付きそうな言葉とともに、彼はふんわりと笑みを浮かべた。

「…笑った」
「笑うぞ、俺だって」

多くの社会人がするような貼り付けた笑顔ではなく、浮かぶべくして浮かび上がったかのような優しい笑顔。こんな表情をする人だなんて思わなかった。

今日は、新しい発見ばっかりだ。今までテレビで見ていたヒーローとは全く違う、轟焦凍という一人の人間を知った気持ち。それがなんだか嬉しいと思っている自分に気づいて、少しだけ頬が熱くなった。

二人でいる時間は何だかんだ楽しくて、核心に迫るような話は一つもできなかった。
なんで私なんですか、とかいきなりなんだったんですか、とか本当は何か目的があるんでしょう?とか。聞かなければいけないことはたくさんあったはずなのに。

「送っていく」

そんな一言に素直に甘えてしまった。こんなはずじゃなかったのに。

折角だから、流れに身を任せてみればいい。平凡な人生を好む私がこんなことを思ってしまうほどに、浮かれている。

「あの、ショートさん」
「焦凍でいい」
「…ショート?」
「焦凍。」

「…焦凍、ご馳走様。」

私が軽く頭を下げると、それを見た彼はまた笑った。

この人が笑うと少しだけ胸が苦しくなるのは、きっと顔が綺麗すぎるから。
普段表情に出なさそうな人の笑顔は、新鮮だから。

そう言い聞かせながらも、新しいおもちゃを手にした子供のように、家に帰るまでの私の足取りはとても軽かった。
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