1日目

自慢という訳ではないが、私のこれまでの人生は順風満帆だ。悲しいことがあった訳でもないし、不満があった訳でもない。だからと言って大きな喜びがあった訳ではないけれど、それでもよかった。そんな平凡な暮らしこそ一番の幸せであると信じているからだ。

決して多くのものが手に入るわけではないこの人生が結構気に入っていて、これからもずっとこんな普通の日常を過ごしていければいいと思っていた。

今働いている会社でこのまま普通に勤めて、これから先出会うであろう一般男性と恋をして、結婚して。子供は二人くらい居たらいいなと。お金だってそんなに多くなくてもいいし、マイホームが欲しいという夢があった訳でもなかった。【普通】の幸せが欲しい、それだけだった。

そんな日常が覆されるまで、残り数分。


私の1日は、今日も至って普通だった。
…はずだったのに。

「俺と、付き合ってください」
「えっ!?」

たまたま、いつも行かない方の街にランチを食べに行った。何か特別な理由があった訳ではなく、本当に気まぐれで。
その街はいつもランチをしているTHE・オフィス街ではなく、少し落ち着いたお姉さまが通っていそうな街だった。そんな街で一際人を集めていたのは、人気のカフェでもラーメン屋でもなく、プロヒーロー・ショート。

紅白頭が特徴なその人は、テレビとかに疎い私でも認識しているほどの有名人だった。

そんな有名人が、なぜ、目の前に。


「…あの、何を言って…?」
「付き合ってほしい。俺と」

呆気にとられる私と、至って真剣な表情のプロヒーロー。耳を擘くのは割れんばかりの悲鳴。泣き出している女の子までいる。


え、え?

私はまだ、何も理解できていない。

「あぁ…いきなりはまずいか。」
「あの、……一体何を言っているのか理解できないんですけど。」
「分かった」

「一週間、俺と付き合ってください。」

………何も変わってなくない?


その後、呆気にとられた私の手の中からスマートフォンを奪い取ると、すぐに私の手の中に戻した。その時間、実に数秒。少し頬を緩ませながら手を振ると、颯爽と去っていった。
取り残されたのは私と、【轟焦凍】という名前が刻まれたスマートフォンの画面だけ。開かれたトーク画面には、『よろしくな』と無機質な文字が浮かんでいた。

何が起こったのか理解できないまま、ひとまずオフィスに戻ることにした私。

あの人のせいでお昼を食べ損なってしまった。


それにしても、綺麗な顔だった。イケメンヒーローと名高いだけあるなぁと納得してしまう。
…そんな人が、私に、告白をしたというの?超平凡でなんの特徴もない私に?一体、どういうことだ。まさに天変地異。いくら考えても理解ができない。


◇◇◇



昼食終わりから、何も集中できないまま1日が終わってしまった。何個かの仕事は明日に積み残しになり、申し訳ない気持ちでオフィスを出る。
今までの人生史上、一番落ち着かない1日だった。

調子を取り戻そうと深呼吸をしたところで、スマホが新着メッセージを知らせた。

『明日の夜、飯行こう』

一つ前のメッセージと同じく、簡潔かつ簡素な一文。そういえば返信も何もしていなかったことに気づいたけれど、このメッセージにも既に既読マークがついてしまっている。早く見過ぎた、と眉を潜めながらも、いつもの私の日常に【非日常】が混ざり込んでしまっていることを受け入れざるを得なかった。

『どうして私なんですか?』
『好きだから』
『ちょっと理解できないんですけど』
『好きに理由とか要るのか?』
『いや、それにしてもこんな初対面で…』

意外にも、チャット形式のメッセージはぽんぽんと良いテンポで続いた。この画面越しの相手が、あの有名プロヒーローだということを忘れてしまいそうなほどに、彼は意外と普通の人間だった。少しだけ話が通じない節がある気がするけれど。

特に、恋愛に関する話では会話があまり成立しなかった。適当に彼女が作りたいからはぐらかしているのだろう。

彼は顔も良くて職業も良いし、なんて言ったってプロヒーローの息子という筋金入りの血筋だ。何かおかしな理由で私に絡んでいるだけに違いない。

普通の生活に憧れているとか?
ともかくロクな理由ではないことは確かだろう。

適当に対応して、適当に距離を置いていくのが良いはずだ。

『明日、仕事終わったら連絡する』
『わかりました』

とりあえず明日会ってご飯に行って、静かにフェードアウトしていけばいい。
スマホを閉じると、急に焦りが浮かんでくる。

あんな公共の場で変なことを言われて、今頃SNSは炎上していないだろうか。ファンに職場を突き止められて会社に迷惑がかかったりとか、暗殺されたりとか…しないだろうか。大丈夫だよね……?

現実と夢の間にいるような不思議な気持ちを抱えて、私はいつの間にか眠りについていた。
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