小説 | ナノ
泣き虫少女と夏の憂鬱

行きたくない!行きたくないよー!
窓の外をにらみながら、わたしは必死に念を送っていた。出発したときにはビルやマンションがぎっしり並んでいたはずが、今は見渡す限りの木。この木の海を抜けた先、瓦屋根のお家や古い塔の並ぶ通りを過ぎたさらに奥。夏の風物詩とも言えるおばあちゃんのお家が、この車の目的地である。

おばあちゃんが嫌いなのではない。そこにいる、親戚の男の子が苦手なのだ。いじわるだし、言葉づかいは乱暴で。年上のくせに、ちっとも優しくない。わたしは、夏休みが来る度に彼に泣かされていた。


「そろそろエンジュシティに入るぞ。」


無情にも、お父さんがエンジュシティ到着のお知らせをする。車が森を通り抜け、目的地まであと少し。窓を開けると、風とともになつかしい香りが車の中を包んだ。古い木のにおい、お線香のにおい。セピア色の街並みを見ていると、この街だけお日様の光が茶色く染まっているのではないかと思ってしまう。


「……かえりたーい。」


聞こえてないふり、しちゃだめなのに!お父さんは前だけを見てハンドルを握っている。わたしは窓を閉め、車のシートに埋もれるように眠りについた。


***


街の中よりも少しだけ涼しくて、湿っぽいのにすっきりした空気。それは森の葉っぱと大きな川がつくる特別な空気なのだと、おばあちゃんはよく話していた。とくに大きな川には、川をパトロールする主さまが住んでいるのだという。

エンジュの街を縁取る大きな森の中に、おばあちゃんの家がある。わたしは森の手前で車を降り、お父さんから荷物を受け取った。お仕事が忙しくて、今年は私だけお泊まりなのだ。お父さんの車がエンジュの街に帰っていく。すこし悲しくなったけれど、ぐっとこらえた。「お姉さんになったから、一人でもお泊まり出来るね。」そう言って送り出してくれたのだ。スタートからくよくよしていられない。


「おや、大きくなったねぇ。」
「えへへ。おばあちゃん、こんにちは。お、お世話になります!」


よしっ、ちゃんとご挨拶も言えたぞ!玄関先でサンダルをきれいに揃えると、「すっかり大人だねぇ。」と優しい声が降ってきた。わたしは、おばあちゃんの温かい話し方が大好きだ。頬が熱くなるのが分かる。


「遠くからよく来たねぇ。おやつを用意しているよ。」
「わーい!…じゃなくて、ありがとう、ございます!」
「良いんだよ。さあ、早くお上がり。東(あずま)も待っているからねぇ。」


ひやり。頬の熱が一気に冷えた。それはもう、ゆでたてのラーメンを水に通したみたいに。

アズマ、それが例の男の子の名前だった。名前を聞くだけで眉間がしわだらけになる。まさか、一緒におやつだなんて言わないよね…。

きょろきょろ視線を動かすと、障子のすきまからちゃぶ台が見えた。あっ、今日のおやつは特製わらび餅だ!そしてその近くに敵の影はない。こっそりおやつと一緒に引きこもれば、逃げ切れるかも…!

冴え渡る頭脳で華麗なる作戦を練っていると、ひとりでにおやつが動いた。障子のすきまから、真っ黒な瞳がのぞく。


「チビ、いつまで玄関突っ立ってんだよ。」
「こら、東。ご挨拶しなさいな。」
「…………どーも。」
「お、オヒサシブリデス…。」


とうとう出会ってしまった。いかにも不機嫌そうな態度で現れたその人物から、一歩距離を取る。しかしその手に大好きなわらび餅が捕らわれているのを発見し、ぐっと下唇を噛んだ。おやつの、わらび餅が、魔の手に…!


「荷物はいつもの部屋に置いておいで。あんたのために綺麗にしたからねぇ。」
「うん!じゃあ、お荷物置いたら一人でおやつ食べるね!ひ・と・り・で!」
「ばーちゃん、俺いつもの川辺にいるから。」
「はいはい、いってらっしゃい。」


言うが早いか、アズマは玄関先の下駄をつっかけて出ていってしまった。からん、ころん。独特の足音が遠くなる。

なんだ、空気読めるところもあるじゃない!訪れた平穏をありがたく噛み締めながら、小さな和室の隅に荷物を置く。お客さん用のお部屋らしいけれど、泊まるのは私と家族くらい。壁には小ぶりの額縁が掛かっていて、その中には折り紙のピカチュウがいる。私がうんと小さいときに作ったものを、ずっと飾ってくれているのだ。

さて、お次はお待ちかねのおやつターイム!意気揚々と居間にもどって、はっと動きを止める。あれ、机の上にあったわらび餅って…。


「あらあら、楊枝をつけるのを忘れてしまったねぇ…。これを持ってお行き。」
「あ、う、うん……。」


2人分の楊枝を受け取る。もう1本は言わずとも、アズマの分で…。

もう!何でおやつ持ってっちゃうのー!そんな私の叫びを聞いてくれるのは、握りしめた楊枝だけだった。


***


お家の縁側からも見える大きな川。その川辺にひしめく岩場のなかの、もみじの葉に隠れた静かな場所。秘密基地のようなその場所が、アズマのお気に入りだ。


「やっと来たか。おせーよチビ。」
「う、うるさい!」
「お前が楊枝持ってこないから食べれなかったんだけど。」
「そんなの!知らないもん!」


むしろ感謝しなさい!と言いたかったのに口から出たのは弱々しい唸り声だけだった。悔しい。

楊枝を1本奪い取られ、完全にすねた私は、無言でわらび餅のお皿をこちらに寄せる。石ころで川の水をせき止めた中に、お皿は浸かっていた。澄んだ水のおかげで、ガラスの器は程よく冷えている。


「……それ、俺の。お前のこっち。」
「ええっ!?それ、きなこ少ない…!」
「当たり前だろ。」


あっという間にお皿をすり替え、大きな口にわらび餅を放り込む。その上「食べねーの?そっちも貰うぞ?」とまで言い出す始末。本当に食べられてしまっては困るので、仕方なくわらび餅を口に入れる。やっぱり特製わらび餅は美味しいなぁ…でもあっちの方がきなこ多かったのに。食べ物の恨みは根深い。


「やっぱ、ここで食べる方が美味いな。家の中は線香くさくて好きじゃねぇ。」
「……じゃあずっと川にいれば良いじゃん。戻って来なくていいですよーだ。」
「……テメェ、客のくせに生意気だぞ。」
「うっ」


確かに。わたしだって、普段はこんな口調で話さない。そもそも相手を怒らせるようなことは言わないのだ。それなのに、アズマが相手だと悔しい気持ちが勝ってしまう。


「……でも、ここがお気に入りなのは分かる、かな……。」


紅葉する前のもみじが、太陽を透かして緑の光をちらつかせる。川の水面や岩場を走る細かな影模様は、まるで万華鏡のようだった。

水面を見つめるアズマの頬に、波の反射が光を届ける。彼の姿もまた、絵になるのだった。会うときはいつも浴衣姿なのだが、白い布地にぽつりと染みた赤と黒の斑点模様が、彼の濁りのない黒髪によく映える。


「ふーん。で、何で俺を見つめてるわけ?」
「……は、み、見つめてないし!考えごとしてたの!」
「うわっ、何だよ、叩くことじゃねーだろ。」


「なに慌ててんの?」にんまりと嬉しそうに顔を歪め、アズマがわたしの顔を覗き込む。距離が、近い!


「ばか!だいっきらい!」
「そーですか。……おっ、なんか良いもの着けてんじゃん。」


アズマの視線が下がる。そう、今日はお気に入りのネックレスを着けているのだ。縁日の射的で勝ち取った、小瓶のネックレス。中には鮮やかな青色のシャボン玉液が入っていて、小瓶を開ければシャボン玉を作ることも出来る。


「ちょうどヒマだったんだよな。それ、貸せよ。」
「やだ!これは大切にとっておくの!」
「それ、シャボン玉だろ?使わなきゃ勿体ないじゃん。」
「だーめー!」


アズマがネックレスの鎖を引っ張るので、私も負けじと鎖を掴む。小瓶を太陽に透かすと、海の底みたいに綺麗なのだ。それに、苦手な射的でやっと手に入れたものだから、そう簡単に使ってしまうわけにはいかない。

しばらく引っ張り合いを続けていると、ふと、力が抜けた。


「…………あ、」


ちゃぷん。切れた鎖から逃げ出した小瓶が、川に波紋を作る。


「……あああーー!!!わたしのネックレス!!」
「あーー…………。」
「アズマのせいだー!」


どうしよう、すぐ取りに行けば見つかるかな?川に身を乗り出すと、アズマに腕を掴まれた。


「まさか入らねぇよな?ここ、流れ早いんだぞ。お前だったらすぐ溺れるな。」
「うっ……でも、すぐ行かないと流されちゃうよ!」
「とっくに流されてるだろ。諦めろ。」
「い、いやだぁ……」


ぐすっ。今年は泣きたくないと思ってたけど、ぼろぼろ溢れる涙は止められない。アズマと遊ぶと、いつもこうだ。手のひらで涙を擦りながら、じっと川を見つめる。


「……あーもう!仕方ねぇな!おい泣き虫、ばーちゃんに伝えとけよ!」
「……え?」


下駄を脱ぎ捨て、アズマが川へ飛び込んだ。浴衣の柄が水を彩り、やがて波に飲まれて見えなくなる。

いま、入っちゃいけないって言ったばかりなのに!おやつのお皿を両手に抱え、わたしは慌てておばあちゃんの家へと走った。


***


「おや、また喧嘩したのかい?」


泣き腫らした私を見て、おばあちゃんはそう言った。ふるふると首を横に振り、川辺での出来事を話す。


「まあ……ごめんねぇ、いつも東がいたずらして。」
「………」
「そのうち戻ってくるから、待っていましょうねぇ。」


アズマは泳ぎが得意だと聞いたことがある。だから、おばあちゃんも驚かないのだろう。優しく背中をさすってもらううちに気持ちは落ち着いて、頬の涙が乾きはじめる。


「汗をかいたでしょう。お風呂が沸いているよ。」
「……うん。入る。」
「あがったら、ご飯の準備を手伝ってもらおうねぇ。」


東じゃお手伝いにならないからねぇ。困ったように笑うおばあちゃんを見ていたら、わたしも自然と笑顔になった。


***


ちゃぶ台の上に並ぶ、美味しそうなおかずの数々。しかし、沢山並ぶお皿の一部には、丁寧にラップがかけられていた。

アズマが、帰ってこない。もう日も落ちて、外の森は静かな夜の世界だった。このあたりは街灯が少なく、あっという間に真っ暗闇になってしまう。

暗くなる前には、帰ってくると思っていた。しかし彼は一向に姿を現さず、おばあちゃんもその話題には触れない。

せっかくの美味しいご飯も、なんだか味気なく感じる。もともと全部、アズマがわるいのに。ネックレスを引っ張ったりしなければ、川になんて飛び込まなければ。

おばあちゃんと何かお話したけれど、全然頭に入ってこなかった。全部アズマのせいだ。もやもやした気持ちを抱えたまま、部屋に戻る。


「……もう、アズマの、ばかー!」


お布団に入っても全然眠れやしない。むくっと起き上がり、わたしは障子をかすかに開けた。

おばあちゃんはお風呂に入っているようだ。こそこそ、忍者のように部屋を抜け出す。音を立てないよう、そっとサンダルを履き、玄関の戸を開けた。森の闇に視界が包まれる。

すぐに戻るからね。小さなささやき声で告げて、わたしは森へと足を進めた。


「……なにか、光ってる……?」


勘を頼りに暗闇を進むと、川のある方面がぼんやり明るく照らされていた。

光に導かれるように、木々の間を歩く。行き慣れたはずの川原も、夜はまるで別世界だ。本当にここで良かったかと周りを確認すると、足に何かがぶつかった。アズマの下駄だ。


「……置きっぱなし。」


アズマが水から上がったときのために、置いておいたのだ。しかし誰かに触れられた様子もなく、下駄は無造作に転がっていた。

それにしても、この光は何だろう。川の上にいくつも浮かぶ、丸い光の玉。波を描くように、宙をくねくねと踊っている。見つめていると頭がくらくらするような、変な光。

ふらり、川の近くに歩み寄る。光の玉のおかげで、波の動きがよく見えた。さらさら、とどまることなく川は流れていく。


「なんで……、」


なんで、帰ってこないの。また溢れそうになる気持ちを必死に抑える。本当は、わかってる。アズマがわたしと仲良くしようとしてくれてること。わたしのために、川に入ってくれたこと。

泣かされてるのはわたしなのに、後悔するのもわたしなのだ。本当に、ずるい。

ちゃぷん。水面が音を立てた。顔を上げると、川の流れに逆らうように、尖ったものが動いてくる。どうやら、生き物のツノのようだ。

すいすいと私の目の前に動いてきたそれは、先に何かを引っ掛けていた。


「あっ、わたしのネックレス……!」


声を上げると、生き物が顔を出した。アズマオウだ。

立派なヒレを川に靡かせながら、アズマオウがわたしのすぐ近くに寄ってくる。ネックレスを届けてくれるみたいだ。


「……もしかして、あなたが川の主さま?」


おばあちゃんが話していた、川をパトロールしている主さま。月明かりを受けてまっすぐ伸びたツノ、鮮やかな赤と黒の斑模様。ゆらゆら舞う光の玉のなかで、その幻想的な姿は見とれてしまうほど美しい。

わたしの手が届くよう、ツノがこちらに差し出される。しかし、わたしはそれを手のひらでそっと押し返した。

きらり、小瓶の青が輝く。


「……いら、ない。」


川を漂っていた光の玉が、こちらに集まってくる。わたしたちを照らすように、ゆらゆら、ゆらゆら。


「わたしの宝物、主さまにあげる。だから、」


森のざわめく音が遠くに聞こえる。足元に触れた水が、ひんやりと体を癒す。


「だから、アズマを、返して……。」


瞳を覆った涙が、視界をまばゆく煌めかせる。ゆらゆら、光の玉につられるように、頭がふらふら重くなる。

意識が遠のく寸前、人影がわたしを包んだ気がした。


***


夢だったのだろうか。目を開けると布団の中にいて、首には切れたはずのネックレスがかけられていた。

おばあちゃんのところに行くと、いつも通りの優しい笑顔で迎えてくれる。ちゃぶ台には美味しそうなお味噌汁が並んでいた。


「おはよう。よく眠れたかい?」
「うん……あのね、おばあちゃん。川の主さまって、アズマオウなの?」
「おや?会ったのかい?」
「う、うん…。光の玉と、一緒にいたの。」


あ、夜に抜け出したこと、ばれちゃうかな。一瞬ひやっとしたけれど、おばあちゃんは優しく首をかしげるだけだった。


「この森にはたくさんのズバットがいるからねぇ…。あやしいひかりで照らしていたのかねぇ。」
「へぇ……。」
「そうそう、アズマは夜に戻ってきたよ。でもまたどこかへ行ってしまってねぇ……もう、今日で帰るんでしょう?」
「……うん。お昼前に、お父さんが迎えに来るって。」


アズマの話題で大声を出しそうになったのを、何とか抑える。じゃあ、主さまが願いを叶えてくれたんだろうか。わたしの宝物は、なぜか手元にあるけれど…。考えても分からないので、お味噌汁をすする。家とは違うお出汁のにおいが、心地よく体を温めた。


「わたし、アズマを探してくる。」


家に帰る前に、ちゃんと会っておかないと。お椀を台所に片付け、そのまま玄関に向かう。するとちょうど、玄関の戸が開いた。アズマが両目を見開いて立っている。


「あ、お、おう……おはよ……。」
「おはよう。ちょうどアズマを探しに行こうと思ってたの。」
「ふ、ふーん……。」


どうしたのだろう、妙に落ち着かない様子だ。視線がきょろきょろ動いて目が合わないし、なんだか顔も赤い気がする。もともと色白で、日焼けした顔なんて見たことないのに。

じーっと見ていると、彼はばつが悪そうに頭をかいた。


「……あのね、アズマ。昨日はごめんね。」
「お、おう…………?は、何が?」
「………それと、ありがとう!」
「!??」


アズマの首に、小瓶のネックレスをかける。最初はオクタンみたいに顔を真っ赤にして固まっていた彼だが、首元を確認すると不思議そうに眉をしかめた。


「え、何で俺に?」
「いいの!あげるったら、あげるの!」
「はあ?いや、もらっても困るんだけど……。」


「俺一人で持ってても意味ねぇし…。」ぶつぶつ文句を言っているけれど、気にしない!これはわたしなりのお詫びと、感謝の印なのだ。


「と、言うわけで、帰るまで一緒にシャボン玉やろう!」


彼の手を掴んで玄関を飛び出す。朝の日差しが木の葉をすり抜け、景色を鮮やかに照らしている。


「……ふーん、チビにしては良い案じゃん。」


わたしの手を握り返し、アズマが駆け出した。はやい、はやい!話し声が笑い声に変わり、夏の森に響き渡る。

高く生い茂った木々が、そんなふたりを見守っていた。


main

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -