ふわふわ甘い 眩しいほどだった黄色を無くし、シュンと首を垂れさせてしまっている向日葵達を見ると、あぁもうすぐ秋が来るのだと感じるのは毎年のことだ。このお気に入りの麦わら帽子とワンピースで出掛けられるのもそろそろ終わり。ならば今のうちにと思い、私は時々散歩コースにしている自宅近くの小さな森を歩いていた。 茹だるような暑さではないけど、まだまだ残暑は厳しくてじんわりと額に汗が滲む。だからこそ時折吹き抜ける涼しい風がとても気持ち良い。カラッとした爽やかな空気にご機嫌になった私は、風で翻るワンピースの裾を気にしつつも歩みは軽やかだ。 でも、それは突然のことだった。一際強い突風が吹き、人目は無いとはいえさすがに両手でスカートを押さえる。けれどそのせいで麦わら帽子は無防備になり、勢いよく風に飛ばされてしまったのだ。あ、と思ったときには既に遅し。風に煽られ視界を遮る髪を掻き分けて帽子の行方を目で追うと、それは私の手が届きそうにない位置にまで舞い上がってしまっていた。 (お気に入りだから、大事にしてるのに…!) 小さいとはいえここは森だ。何メートルも高さのある木に引っ掛かってしまえば望みは消えるだろう。そうなる前に落ちてきてほしいと願いながら、私は前方に飛んで行ってしまった帽子を追う為にその場を駆け出そうとする。 『えっ!?』 けれどその瞬間、横の草むらから何かが勢いよく飛び出した。そして高く高く跳び上がったかと思うと、私の麦わら帽子をしっかりと掴んで地面に着地する。呆気に取られている私をよそに、それはゆっくりとこちらへ体を向けた。 (…お、女の子…?) 見たところ同じ年頃だろうか。その子は呆気に取られている私をよそに、にっこりと笑みを浮かべながら駆け寄って来た。 「はい、これ。キミの大切な物なんだよね?」 『っあ、ありがとう…!』 高過ぎず低過ぎず、耳障りの良い声色で渡された麦わら帽子を受け取る。私がお礼を告げると、その子はまた嬉しそうに目を細めた。 …というか、何て可愛い子なのだろう。中性的な美人というのも当てはまるかもしれない。襟足が長く、クリーム色が混じった茶髪はふわふわと柔らかそう。瞳はルビーのような赤色を帯びていて綺麗だし、背もすらりと高くてモデルみたいだ。その造形の美しさに、同性とはいえ思わず頬を熱くしてしまった。 (…あれ?でも、どうして…) 考え過ぎかもしれないけど、さっきの言い方ではまるで…前から私がこの麦わら帽子を大事にしていることを知っていたように聞こえる。どこかで会ったことでもあるのだろうか?…いや、こんな美人に一度でも会ったのなら忘れはしないはず。私が不思議そうに首を傾げたからか、その子は察したようにまたニコリと笑った。 「キミ、時々この森を散歩しているでしょ?僕はここに住んでいるから何回か見掛けたことがあるんだよ。夏になるといつもその帽子を被って楽しそうにしているし、きっと大切な物なんだなって思ってた」 『そ、そうだったんだ…って、僕!?』 「え?…あ、もしかして…僕のこと、女の子だと思った?」 『ちっ、違うの…!?』 「うん…でも、ポケモン達からもよく間違えられるし慣れっこなんだ。だから気にしないで!」 そう言って何でもないように笑ってくれたけど、私は申し訳ない気持ちで顔を青ざめさせていた。だってこんなに美人な子が男の子だなんて正直微塵も思わなかったから。平々凡々な顔立ちの私にもその美貌を少し分けてもらいたいくらいだ。 それに何だか恥ずかしい。私って今までそんなに感情丸出しでここを歩いていたのかな。…あ、そうだ!もう1つ気になることがあったんだ。 『ねぇ、あなたはポケモンなの?』 「うん、そうだよ。ミミロップって知ってる?」 『ミミロップ…知ってる!ふわふわで可愛いポケモンよね』 「ふふ、確かに可愛いとはよく言われる…かな」 そっか、この子はミミロップだったんだ。あの普通ではない跳躍力から、薄々人間ではないんじゃないかとは思っていたけど…。なるほど、この森には確か進化前のミミロルもいたし、この子の容姿ならミミロップと言われても納得出来る。…女の子によく間違えられるっていうのも、申し訳ないけど大きく頷いてしまうレベルだ。 「キミは森を抜けたらどこへ行くの?」 『どこと言うか、森を出たらUターンして家に帰るつもりなの』 「そう…じゃあ出口まで一緒に行ってもいい?キミともう少しお話したいから」 『うん!私も話し相手がいる方が嬉しいし、大歓迎だよ』 いつもは1人で散歩をしているけど、誰かとお喋りしながらも楽しそう。けどこの子は野生のポケモンだろうに、人間の私と仲良くして他のポケモン達に何か言われたりしないかな?この子が苛められたりしたら嫌だなぁ…。あぁでも、やっぱりせっかく出会えたのだから、仲良くなりたいな。 初対面なのにこんなことを思うのは変かもしれない。それでもこの子の纏う柔らかな空気は傍にいるだけでも心地良く、会って数分足らずなのに私の心が暖かくなっていくのを感じた。 「ありがとう。それじゃ行こっか」 『そうだね!あ、そういえばあなたの名前…っわ!?』 「!危ない!」 歩き出そうと一歩踏み出した瞬間、地面から露出していた木の根に気付かず、思いきり爪先を引っ掛けてしまった。ここは森だからこういうことも往々にして起こりうると言うのに。 (…あれ?) 絶対に転ぶと衝撃に身構えていたけど、来るべき痛みは襲って来ない。代わりに地面の冷たさとは真逆の、暖かくて優しい感触が私を包んでいることに気付く。ギュッと瞑っていた両目を恐る恐る開いてみると、人の肌と思しき色が視界いっぱいに飛び込んできて息を呑んだ。 「…大丈夫?」 『っ、うん…!ありがとう…』 「ふふ、どういたしまして」 あろうことか私はこの子に抱き着いてしまっていた。いや、正確には転ぶ前に抱き止めて助けてもらったのだけど。この子は襟ぐりが広く開いた服を着ているから、目線的に私の視界を覆ったのはこの子の鎖骨だったようだ。 肌も綺麗なんだなんて呑気なことを考えてしまったけど、いやいや今はそれどころじゃない。私は2度も助けてもらった申し訳なさと、この状況の恥ずかしさですぐに離れようとした。…でも、それは叶わなかった。そっと体を離そうとしても、私の両肩を掴んだままのこの子の手が離れなかったから。 『…あ、あの、もう離してくれて良いから…!』 「うん、そうなんだけど…何だかキミって柔らかくて気持ちいい」 『っ!?』 そう言うと、この子はより自分の方へと私の体を押し付けた。柔らかい、って…。そりゃ私はあなたより肉付きがいいとは思うけど、いつの間にかそんなに太ってしまったのだろうか。だとしたら更にこの状況が恥ずかしい。 おまけに、私は今この子の胸板に手を添えてしまっている状態だからよく分かる。私とは違う薄くて固い胸。綺麗だけど、私の肩をしっかり包み込む大きくて筋ばった手。頬に触れている柔らかな髪の擽ったさを我慢して、こっそり盗み見たのは意外と出っ張っていた喉仏。本当の姿も、人の姿も、可愛い女の子にしか見えないのに。 (…この子は、男の子なんだ) おかしい。どうして私の胸はこんなに苦しいの。この子が男の子だってことはもう知っているのに。それを改めて実感したからって、どうしてこんな…。 「僕ね、人間と話したのは初めてなんだよ。ねぇ、女の子はみんなキミみたいに小さくて柔らかいの?」 『さ、さぁ…どうかな…』 「そっか…じゃあ、キミのことを教えてくれる?」 『え?』 「キミのこと、もっと知りたいから」 やっと私の体を自分から離したこの子は、出会った時と同じくニッコリと微笑んだ。そう、端から見れば全く同じ笑顔なのだろう。でも私にとってはもう違う。だってこの子は、女の子ではなかったのだから。 『…私も、あなたのこと知りたい』 「本当?それなら、友達になってほしいな!友達ならいっぱいお話出来るでしょ?」 友達という言葉に一瞬驚いて僅かに目を見開いたけれど、すぐに大きく頷いた。すると嬉しそうに笑って、「よろしくね」と言って私の両手を掬い取り優しく握る。その瞬間、またおかしな高鳴りが私を静かに襲った。 「…?顔が少し赤いみたいだけど、大丈夫?」 『っだ、大丈夫!』 「そう?じゃあ、そろそろ行こっか。もうじき日が暮れちゃうよ」 『うん』 …友達になってほしいって言われて、私は受け入れたのに。友達にドキドキするなんて変よね。うん、きっと変。 自分自身に言い聞かせるように心の中で呟いて、隣を歩くこの子をちらりと見上げる。笑みを浮かべたままの横顔はやはり美しくて羨ましいくらいなのだけど、今の私には最早それだけではなくてすぐに目を逸らしてしまった。 (…男の子だって、知らなければ良かった) そうしたらきっとカッコ良いと思ってしまうことも無かった。何も考えずに、ただの友達だって思えた。私達の間を爽やかな風が吹き抜ける。この風が私の葛藤を拐っていってくれればいいのに。 私の友達となったこの子が不意にこちらへ顔を向けた。相変わらず柔らかくて可愛い微笑みだ。その笑顔には私と同じ葛藤など微塵も感じられない。だからこそ幾分か気が抜けて、私は情けなくも少しだけ安堵する。 (男の子に慣れていないから、ビックリしただけかもだし) …なんて、いずれは無駄な足掻きになる気もしないでもないけど。まずはゆっくり歩み寄る為に、芽生えかけている気持ちに気付かないフリをするのだった。 (だって、これは恋かもしれないとか。…まさか、ね) main |