小説 | ナノ
雨の邪鬼

空から降ってきた水滴が傘の骨を伝い、目の前で雫となって地に落ちた。
ぴちょん。ぴちょん。
これが主旋律。
水滴は絶え間なく傘に落ち、その音は頭上で反響した。
ざあああざあああ。
これが伴奏。
目を閉じ耳を澄ます。
伴奏は大きすぎて、主旋律をかき消している。
私は傘を閉じた。
演奏がやんだ。
徐々に体が冷え、重くなってきた。

私は、雨が嫌いだった。



天気は曇り。私はレインブーツを履いて外に出た。
両手には、すっかりくたびれてしまった傘と綺麗な傘。
私はくたびれた方の傘を広げる。まだ降っていない。でもこれから降ってくる。
ぽつり。ぽつり。
ほらね。私が家を出るといつもこうだ。

ぽつぽつぽつ。
たちまちその勢いは増し、天気の急変に慌てた人たちが屋根を求めて駆けだした。
鮮明だった視界にノイズがかかり、重く湿気た匂いが漂ってくる。
忙しい足音も徐々に引き、建物や地面、そして傘に連綿と打ち付ける音のみが残った。

全く、もうすぐ昼食だというのに、どこをほっつき回っているのか。
今日の天気は不安定だってテレビでも言ってたんだから、大人しく家にこもっておけばいいものを。

そんなことを物ともしないことも、外に出るのが好きなことも、分かっている。
分かっているけれども、こうして嫌な天気の下を歩くのは勿論嫌な訳で。
それでも私がこうして歩くのは、そんなあいつがちょっぴり羨ましい、なんて思うからだ。

緩やかに風も吹き始め、傘の下から吹き込んできた水滴が服を濡らした。
合羽も着てくるべきだったかもしれない。
前言撤回。全然羨ましいなんて思わない。
やっぱり、雨は面倒くさい。


しばらく進むと、辺りの陰鬱な空気とは不釣り合いな音楽が、遠くから微かに聞こえてきた。
その音に近付くと、数人の子供達の歌声の前で、上機嫌に踊るルンパッパが視界に入った。
何となくその場に出るのも憚られて、私は陰に身を潜めて様子を伺う。
合羽を着て笑顔を浮かべた子供達は、この天気を楽しんでいるようだった。

明るい歌声は僅かに響き、重い音と混ざって周囲に溶け込む。
それは子供達とルンパッパだけの小さな世界を作った。
悪天下、やっていることは滑稽なはずなのに、その世界の中は明るく楽しそうで、そんなことを微塵も感じさせなかった。
陰に佇み覗き見ている私の方が、随分惨めで滑稽だ。

私は、あいつにかつて言われたことを思い出した。



「見て、これ」

傘をさしていると、突然、あいつは私の傘の中に入ってきて両肩に手を置いて言った。
私は驚きつつも、言われた通り前を見た。

空から降ってきた水滴が傘の骨を伝い、目の前で雫となって地に落ちた。

「音、聞こえない?」

耳を澄ます。
ぴちょん。ぴちょん。
注意深く聞いていると、確かに聞こえる。

「これが主旋律」
「え?」
「じゃあ次、頭の上らへん。これはよく聞こえるよね」

水滴は絶え間なく傘に落ち、その音は頭上で反響した。
ざあああざあああ。
よく聞こえる。

「これが伴奏。
さあ、よーく聞いてみてよ。
傘が奏でる音楽が聴こえて来ない?」

音楽? そんなもの、
ざあああああざあああああ
傘を打ち付ける音は大きすぎて、小さな水滴の音をかき消している。

「聞こえないよ」
「……そっか。それは、残念」

当たり前のことを言っただけのつもりだったけれど、あいつの声は寂しそうな色を含んでいて、私は隣を見れなかった。



やっぱり聞こえない。
思い出しながら同じことをやったけれど、それでも分からないのが悔しくて私は傘を閉じた。
私は、目の前の世界をただ呆然と見ていた。

突如、若干悪化した天気に子供達が親に呼ばれて帰り出す。
手を振り彼らを見送ったルンパッパが、私と同じ世界にいるのを確認して私は少し安堵した。


「やっぱり、雨は嫌いだよ」
「そう? 僕は、雨、好きだけどなあ」

ぼそりと呟いた独り言を、あいつは拾った。

「甘雨ってやつだよ。雨はさ、草木を潤してくれる」

こんな雨が? と自嘲気味に言おうとしたけれども、若葉色の髪が濡れて張り付くのも気にせず、らんらんと楽しそうに両掌を上に向けたあいつを見て、私は言葉を飲み込んだ。

「こうやってさ、雨は僕も癒してくれるんだよ」

あいつの真剣な声色に、思わず私も片手の平を上に向けた。
そうなのかな、なんて。
私はその手を軽く握る。

「それはルンパッパの特性が”あめうけざら”だからなんじゃないの」
「そんなこと、」
「あるよきっと」

ああ、我慢したのに皮肉めいた言葉が出てしまった。
あいつが困ったような顔をした気がして、私は背を向ける。

「あーあ、私にも”あめうけざら”があればよかったのに」

ごめんとは言えなくて、私は代わりに大きく呟いた。

「じゃあ、これでどう?」

あいつは私の持っていた新しい方の傘を一つ取ると、あいつと私の上に傘を差し掛けた。
ざあああ。
瞬間、頭上に音が響く。
驚いて顔を上げると、あいつは私を見て微笑んでいた。
思わず、頬が緩んだ。


帰り道、あいつと私は同じ伴奏を聞いてる。
頭上に響く音がさっきよりも少し和らいだ。

ぴちょん。ぴちょん。
耳を澄ますと、微かに主旋律が聞こえるような気がした。

突如始まった演奏に、陰鬱だと思っていた雨も、嫌じゃないかもしれないと思えた。


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