あふぶるにゃんの乳首事件
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全面硝子張りの箱庭でもいっとう良く陽の光を浴びられるソファの上にごろりと延びたダブルコートの毛並み。見るからにふわふわそうな上質な毛皮は小さく、けれども一定のリズムでくうくうと上下している。
まだ冷たい寒空を飛んで訪れた客人をもてなす訳でもなくふかふかのソファの上で上等なラグと化してしまった屋敷の主人を見つめクラークは小さく口許を緩ませた。
やっぱり、ブルースも猫なんだなぁ。
普段は毅然と優雅に街の名士として振る舞う彼も、どうやらこの心地のいい日差しには勝てなかったらしい。
はじめこそ訪れたクラークに額を押し付け尻尾を絡ませていたブルースは、夜の散歩の疲れと春の香りを纏った陽射しに数回あくびを繰り返し、やがて鋼の男の膝に長い毛だけを残すと窓際のソファで眠り始めてしまったのだった。
鳶色の瞳が完全に閉じ呼吸も落ち着いてきたところを見計らい、クラークは音をたてないようそうっと数センチほど浮き上がると柔らかなお腹の毛皮に太陽の熱を蓄えている猫の元へと近づく。人よりも遥かに敏感な嗅覚がほんの少しミルクの混じったブルースの匂いを捉えた。
クラークの中に普段よりも温いより匂いの濃いだろう魅惑の腹部に顔を埋めたい衝動が沸き上がる。
……いや、駄目だ。ブルースは今お昼寝中なのに。
身体は鋼でも心は割合と普通のそれに近いクラークは目の前に無防備に晒される猫の腹部に釘付けの視線をなんとか引き剥がそうと目元に力を込める。
すると、人よりも特殊な能力を持つ目があるものを捉えた。
まるで縦に引き伸ばしたかのように前足の先から尻尾の先まで伸びた身体のちょうどお腹の辺り、ふかふかのダブルコートの下にぷちっとした突起が見える。
ん?
思わずなんの効果もないはずの眼鏡を外しクラークは眉根を寄せ慎重に視覚を調節した。常人ならば毛を掻き分けなければ見えないはずの滑らかな地肌が鮮明に見えてくる。緩やかに引き伸ばされた柔らかな腹部。そこには間違いなく小さな突起が存在を主張していた。
まず最初にクラークが考えたのは毛穴が腫れたのだろうか、と言うことだった。ぷちんとした小さな突起。豪奢な毛並みを持つブルースだ。毛穴がつれたことによって炎症を起こしたのかもしれない。
だがそれにしては肌に炎症を起こしているような赤みが存在していなかった。
まさか、なにか腫瘍のようなものだろうか?
胸の内に浮かんだ不穏な考えに思わずクラークは眉根を寄せた。いくらアルフレッドが健康に気を使い、心血を注いで大事にしても100%病気を防ぐことなどできはしない。
堪らず、不安に心拍数をあげながら穏やかに眠る身体にそっと手をのばした。慎重に手触りのいい毛をかき分けて透かし見ていた辺りを探り出す。するとやはり白い地肌にごくごく小さな突起が見つかった。
クラークの指先と比べてもさらに小さいそれ。赤く腫れているわけではないがうっすらとピンク色をしているのは毛が生えていないからだろうか。

「痛かったらごめんよ」

毛を掻き分けられても眠ったままのブルースに謝りながらそうっと突起に指先を触れさせる。

「なぁん……」

薄桃色の口から極々小さな鳴き声が溢れ落ちた。びくりと突起に触れた指先が震える。
やはり痛みを感じるのだろうか?不安に眉間の皺が深くなった。
だが心配は杞憂だったようで眠ったままのブルースの心臓は穏やかなままトクトクと鼓動していた。今のはどうやら人間で言うところの寝言だろうか。
ともかく起きてしまうほどの痛みはないらしい。しかし痛みがなさそうだからといってこれが良性のものであるとは限らない。
あいにく、クラークの目はレントゲンのように物体を透かし見ることができても彼にはそれが良いものか悪いものかを見分ける知識がなかった。
ひとまずアルフレッドさんに相談しよう。
一人うんうんと頷きながら小さな膨らみを宥めるように撫でてやる。
病院は嫌だろうけれど、我慢してね、ブルース。
そうして振り返るとティーセットを盆にのせたアルフレッドが奇妙なものを見るような目でじっとこちらを見ていた。思わず口からうひゃともあひゃともつかない声が飛び出す。

「い、いたんですかアルフレッドさん」

人外じみた五感に感知されることなく自分の背後をとる執事に内心震えながら慌ててメガネを直す。当の銀縁メガネに隙のない執事は客人の驚きに満ちた声に動揺することもなく淡々とお茶の用意ができましたので、と手に持つ銀盆を掲げて見せた。

「ところでケント様」

淀みなく紅茶を用意しながらアルフレッドは片方の眉をあげる。

「ブルース様の乳首がどうかされましたか」

衝撃的な言葉に、ブルースの身体から離れた指先どころか全身が硬直した。
今、目の前の執事の発した言葉の意味に思考が全く追い付かず、その癖、身の内から燃えるような熱さが爆発し特に頬は焼け落ちてしまいそうな程の熱を感じる。
ちくび、チクビ、乳首。……あの、お母さんが、子供に乳を与えるためについてる、乳首。
クラークは自分の無知と、雄とは言え乳首を突き回していたこと、そしてそれをじっと観察されていたという事実にうち震え、言葉を失い、正直穴があったら入りたくなった。
だがクラークに銀の弾丸を放ったアルフレッドは赤く染まる頬には目もくれずきっちりとティーセット用意し終えると、まだ眠ったままの主人の横へ歩み寄る。そして失礼いたしますとひとりでに断ると美しい毛並みに指を沈めた。

「このようにブルース様にも普通の猫のように乳首が8個ほど」

掻き分けられた毛のわだちに小さな蕾が並ぶ。
な、なんかいけないことを知った気分だ……。
カンザスの純朴な青年は頬に熱を閉じ込めたままぼんやりと思った。

【終】

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