「何不細工な面で唸ってんだテメェ」

いつの間にか目を覚ましたらしい男に開口一番悪態を吐かれる。眉間の皺は健在であり凶悪な貌がそこにあった。寝てれば綺麗な顔をしていると思うのだが、開かれたその三白眼の鋭さが何物も寄せ付けない。一生寝てればいいのに。

「あん時兵長に付いて行かなければっ…」

「はっ、それなら今頃テメェは巨人の胃の中だろうな」

「…ちっ」

力の入りにくい左足を振り上げて男の顔面を狙う。流石人類最強、いやコイツ人外だった。容易く足首を捉えて踵より少し上に引かれた赤い線のある皮膚に口付ける。一瞬痛みを思い出し、少しだけ身を硬くした。すこし盛り上がった赤い傷跡は今はもう痛まない筈なのに。



エルヴィンが団長に昇格しリヴァイが兵長に就いて暫く、私は巨人に喰われかけた。立体起動のワイヤーを引っ張られ木に激突して失神、その後に来たリヴァイが殲滅してくれた為奇跡的に無傷で生還出来たのだ。無傷で。足首の傷が出来たのは、その後。

「お前には、俺の餌である自覚が無さすぎる」

目が覚まし、ベッドで痛む頭を抱える私を労わるでもなくリヴァイはそう言った。言葉の意味がまるで分からず見つめるしかない私に男は僅かに微笑み、徐に左の足首を掴まれた。吸血するのかと呑気に考えていた私はすぐにその意図を思い知る事となる。

「いっあああああ!!!!!」

焼けた火箸を捻じ込まれたかのような激痛に悲鳴を上げリヴァイを押し退けようと力を込めるがビクともしない。引き剥がそうと重ねた掌から生温かく滑る液体が伝い落ちる。左足首にリヴァイの爪先が食い込み、堪え難い痛みを与えてくる。ナイフのように鋭い爪が、深々と埋まり込んでいた。人外の爪先は私の皮膚に埋まりこみ、我武者羅に暴れてもピクリとも動かなかった。

「調査兵団から身を引き、今後一切家から出ないと誓うか?」

余りの痛みにクラクラする視界で吸血鬼が突き付けてきた条件。あんまりな内容に笑いが出て来た。阿呆か、私には目標がある。巨人をさっさと退治して故郷に帰るという、夢が。テメェの食事なんぞ知った事か。檻で飼われ搾取される家畜になるなんて無理だ。

「…は、誰が誓うかバーカ」

油断すれば漏れそうな悲鳴を噛み殺し、狼のような瞳を真っ直ぐに睨み返して吐き捨てる。みっともなく震えていただろうが、確かな拒絶に男は僅かに目を見開く。しかし、すぐに絶対的強者のように口角を歪ませ低く呟いた。

「そうか、なら躾が必要だな」

それから後は覚えていない。目が覚めれば左足首に赤い線が引かれていたが突き刺された時のような激痛は全く残っていなかった。リヴァイが何をしたのか分からなかったのはたった数分だけ。ベッドの縁から足を降ろし立ち上がろうとした瞬間、私は糸が切れた人形のように床に座り込んでしまった。理解出来ずに呆然と力が入らなかった左足を見つめる。膝を立てる事は出来ても、足首に全く力が入らない。ぶらりと揺れる他人の足のような左足を茫然と見下ろした。リヴァイが部屋に入って来たのかも気付かないくらい驚いていたのだ。

「左足の腱を切断した」

もう立体起動どころか、まともに歩くのすら難しいと悪魔が嗤う。男の意図を今更ながら気付き心中で舌打ちをした。条件に従うも従わないもどっちを選んだって結果は一緒だったのだ。拒否すれば足を奪って動けなくしてしまえばいい。受け入れたとしても家畜に足は要らないとか言って同じことをしたに違いない。あまりの仕打ちに腹が立って、ベッドフレームを握りしめ無理やり立ち上がる。右足だけを支えにして男を睨みつけた。左足に体重をかけてしまえばすぐさま倒れ込んでしまうだろう。

たとえ見え透いた虚勢だろうが、この男の前でだけは弱みを絶対に見せたくなかった。

「残念だけど、家畜はアンタの方よ」

男が目を細めて射るように此方を睨みつける。吸血鬼とてどの血でも良いわけではないらしいと最近気付いた。人と同じく好き嫌いがあり、大変不本意且つ不幸にも私の血液を男はお気に召したらしいのだ。だからお気に入りの餌を失いたくなくて、私を檻に入れたがる。今回のように巨人に殺されればしばらく餌に困るのだから。しかしそうと知って、むざむざ餌になってやる気なんてない。

「巨人を狩らないと、餌をやらないから」

「ハッ…一人でろくに歩けもしねぇ家畜がほざくな」

なんなら今すぐ喉笛を食い千切ってやっても良いと男は囁いた。残念だが私は知っている。この男は尋常でない潔癖性であり、地下街では殆ど食事を取っていなかった事を。私の血を最低週一飲むようになって、顔色に赤みが差したのだから。地下では餓えていたに違いない。そんな中でたまたま見つけた、美味い血を持つ私を殺す訳がない。雌鶏に餌をやれば卵を生み続けるように、私を生かせば血を得れるのだから。

「自分にどれだけ価値があると思ってやがるかは知らねぇが、テメェの代わりなんぞ容易く見つけれる」

「嘘吐き」

ならば何故地下街で飢えていたのか。理由は容易く思い付く。人間の絶対数が少ないのだ。巨人が攻めてくる前はどうしてたのかは知らないが人の数は多かった筈。今よりは餌を探しやすかっただろう。私を失えば、再び飢える筈だ。

取引の材料は、私自身。

「誰よりも多く巨人を殺しなさい」

「…ハ、家畜が脅迫とはな」

良いだろう、と男が嗤う。ニイと笑みの形に歪んだはずの唇は剃刀のような刃を覗かせ捕食する直前の獣のようにしか見えない。此方が有利の交渉の筈なのにそうは全く感じられず背筋に冷や汗が流れる。もしかすればこの場で四肢の腱を切断され家畜と呼ばれる通り血を生み出すだけのモノにされるかと嫌な想像が脳裏を過ぎるが、そうなれば如何様にしてでも自殺してやる。

「巨人が滅びた後、お前は俺の贄になってもらう」

「…存分に飲ませてやろうじゃないの、吸血鬼」

「上等だ」

相変わらず不遜な笑みを浮かべた男は今の言葉を忘れるなよ、と言い残して立ち去った。ドアが閉まった瞬間、冷たい床に座り込む。これで暫くの身の安全の保障は勝ち取った。あの仄暗い瞳が何を考えているのかは分からないが巨人は全滅されるだろう。他でもない彼の手によって。その後自分は家畜として死ぬまで飼われる運命だとしても、この世界の命運に比べたら紅茶の葉くらい軽い物だろう。

足が動かなくても調査兵団の中で出来る仕事はある。今までのように壁外調査に行くのは難しいだろうが立体起動装置の研究やら兵団のサポートやらハンジのように巨人の研究やら仕事は山積みだ。そこまで考えてふと嫌な考えが過ぎる。

壁外調査は致死率が高い。今回のように奇跡的に五体満足で怪我さえ負わずに帰還できることなど極稀である。だからか、とまだ癒えて間がない足首を押さえる。壁外に出れなくさえしてしまえば私が死ぬ確率はぐっと減る。私が大人しく家畜になるとは思っていなかっただろうが、調査兵団を退団すれば上々、拒否されても足が不自由なのだから壁外に出れず致死率は低くなる。最初からリヴァイの手の内で踊っていた事に気付き歯噛みする。

「…」

先ほどの自身の命を懸けた契約の内容に盲点は無かっただろうか。巨人が滅びさえすれば人類は壁外に解放され未来は明るいだろう。自分のように親を失い仲間を失い友を食われる人も居なくなる。何の不備もないはずだ。この際自分の未来はどうでもいい。贄の意味はよくわからないが死ぬ方がましな目に合わされるんだろうな、と悟る。だがリヴァイは約束は守るだろう。巨人の絶滅は確定した運命だ。ななのに、完璧な契約の筈なのに胸が騒ぐのはどうしてだろうか。数年経った今でもその嫌な予感はいつだってリリアの胸の中に渦巻いて出て行ってくれない。


「…この傷も薄くなったな」

どこか残念そうに呟く声に我に返れば左足首に舌を這わす男。その生暖かい感触に思わず足を引き抜いて抱え込む。他より皮膚の薄いからか傷跡だから敏感なのかどうもそこに触れられるのがリリアは苦手だった。反比例してリヴァイは傷口を気に入っているようだった。自ら刻み付けた足枷だからか契約の証だからかやたらと触れたがる。大体触れてくる時は吸血の際だからそれも相まって嫌なのかもしれない。

「契約、忘れてないでしょうね」

「お前の方こそ」

シーツに抑え込まれぼんやりと男を見上げる。再び左足首に口付けられても今度は抵抗しなかった。真っ直ぐリヴァイを見つめれば長い睫毛が僅かに伏せられる。色を濃くした瞳が狼のように酷薄な光を放っている。間違いなくリヴァイは巨人を滅ぼす筈。そのはずなのにどうもリリアは違和感を感じて仕方がなかった。

「俺は巨人共を滅ぼす。お前は俺に喰われる」

「…分かってるならいいわ」

首筋を丁寧に舐め上げられ唇が這わされる。即座に歯を立てずに愛撫のようなくすぐったさに恋人の真似事が上手くなったなと心中吐き捨てる。兵団では私たちは恋人となっているが、単に吸血するのに便利だからで同じ部屋で過ごしても違和感のないように計らったからだ。だからってこんな事しなくてもいいのにとリリアは思う。

「もうすぐだ」

「そう…さっさと済ませてね」

そっけなく答える彼女は知らない。リヴァイの発言は彼女の思っている滅びとは正反対の意味であって、すでに取り返しがつかないほど世界は壊れかけていた。それを知りながら男は白い首筋に歯を立てる。

もうすぐ、世界は崩壊する。


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