ざわざわ…
…ざわざわ
暗闇に鈍い銀の筋が通る
手首に肉と骨を断つ確かな感触
ペタリと紅い飛沫が頬に散った
片手の甲で拭うと既に熱を失った赤がベットリと伸びる
白い肌に付いた赤
そのコントラストにゾクリと背筋が戦慄する
自然と口角が吊り上がるようなソレは、恐怖ではない…
―――――例えるならば、身体を交えた時の絶頂のような…
歓喜
「お〜い雫さん、起きて下せェ」
『…んぅ?』
寝起き特有の霞んだ視界にしぱしぱと瞬きを繰り返す。どうにかクリアになった視界に映るのは鮮やかな栗色。
『…はよ』
「もう昼ですぜィ?」
土方コノヤローが呼んでまさァと沖田はニヤニヤと此方を見下ろしている。
『…あ、』
寝相の悪さ故に乱れまくった寝間着。惜しげもなく晒された胸元を見ている沖田の頭を叩いてやった。
「いて…せっかく人が起こしに来てやったのに…」
まぁ代わりに良いモン拝ませて貰いやしたがねィと呟いた沖田をもう一発叩き、のろのろと布団から出る。
着替えようとしても出て行かない沖田を蹴りだし、雫は隊服に着替えた。部屋の外で待っていた沖田と共に副長室に向かう。
「・・・遅ェぞ雫」
不機嫌そうな土方を無視し、欠伸をして沖田と一緒に座布団へ腰を下ろした。
『朝早くから何だよ大串くん』
「てめ、誰が大串だ!!」
『あ…違ったか?』
「コイツはニコチンマヨラーですぜィ、雫さん」
何故か膝枕している沖田の頭を猫の様に撫でながら雫は欠伸をしている。横になったままニタリと黒い笑みを浮かべている沖田に土方は眉間に皺を寄せた。
「テメェら・・・!!!」
『んで何の用だァ?』
何事も無かったかのように聞いてきた雫に頬がひきつったが大きな溜め息で怒りを抑え、土方は真剣な表情で口を開いた…
「・・・江戸に、高杉が来てる」
瞬間、ビシリと空気が凍った…
沖田は赤みを帯びた瞳を僅かに大きくし、撫でる手を止めた人物を見上げる。土方も瞳孔の開いた瞳を細めた。
『へぇ・・・』
笑みに歪んだ唇から心底楽しそうな呟きが漏れる。ダルそうだった気配が一瞬にして殺意に変わった。
眠そうな瞳は刃物を思わせる光を湛え、薄い唇は三日月に歪んでいる。
『そりゃあ、楽しみだなァ…』
ククク、と笑いながら再び栗色の髪を撫でる。総悟が僅かに身を硬くしたのが分かった。
「奴等の船の場所が分かった」
――――今夜、一斉に攻撃する…
『了解…』
刀研いどかないとなァ…笑みを浮かべたまま部屋を出る雫。土方と沖田はその背中をじっと見つめていた。
「…相変わらずだな」
「あんなに殺気立つのは高杉にだけでさァ…」
「嗚呼、そうだな…」
万事屋の知り合いで総悟と並ぶ程の腕を持つ雫。素性は近藤さんしか知らない。いつも飄々としていて一切の躊躇いもなく刀を振るう。自身と同じく近藤さんを尊敬しているから裏切るとは思わないが。
「高杉とは知り合いなんですかねィ…」
「…さァな、」
―――――例えそうだとしても
「アイツは躊躇いなく斬るだろうよ」
煙が踊り、炎が戦場となった舞台を照らす。絶叫が、金属の悲鳴が響き渡る中、この場にそぐわぬ表情をした人が立っていた。
心底楽しそうな笑み、歪められた唇から軽やかな笑い声が漏れている・・・ダラリと下げられた刀は手首から深紅に染まっていた。
向かってくる敵を見る事もなく叩き斬り、動かさぬ視線の先には1人の男が立っている。
『久しぶりだなァ…』
狂気に染まった隻眼。僅かに吊り上がる唇。片手には刀ではなく、優美な煙管が煙を立ち上らせていた。
「・・・雫、行くなよ」
部下が守る敵の頭から一切視線を逸らさない部下を土方はいさめるが、サツキは一切此方を向かない。全身から発せられる殺意はたった1人に向けられていた。
「!!待て…ッ!」
止めようと伸ばされた腕をすり抜け雫は走り出す。大将を守ろうと飛び出して来た敵の群れにそのまま突っ込み刀を振るう。一切傷を付けられる事なくその身を赤く染める姿は…まさしく修羅。
「雫っ…!」
囲まれて小さな背中が見えなくなる。自分と雫を引きはなそうとでもするような男達に苛立ったがすり抜けていけそうにない。
土方は舌打ちをし、刀を握り直した。
晋助を守る幹部クラス以外が全て地に伏せる。息ひとつ乱さずに笑みを浮かべたままの女に背筋がゾクリと粟立った。
「・・・強い」
かつて鬼兵隊の副総督だったという女。天人を叩き出そうと紛争した彼女が何の因果で真撰組に居るのかは知らない。だが、かつての仲間である晋助に殺意を向けているのは確かだった。
「――――ッ!」
一瞬で目の前に現れた女と晋助の間に入り、刀を受け止める。予想外に重い衝撃に歯を食い縛った。
接近した彼女と目があった,瞳孔の開いた薄い水色の瞳。氷を思わせる筈のその瞳はトロリと狂気を孕み、燃える様な殺意に満ちていた。
「お主は不思議なリズムを奏でている…」
全身の体重とバネを使って放たれる刀は重く、早い。防戦一方となりながらも万斎は女の魂から聞こえる不可解ながらも聞き惚れるようなリズムに耳を傾けていた。
笑っているのか泣いているのか叫んでいるのか怒っているのか喜んでいるのか悲しんでいるのか…ただ単に、
―――――狂っているのか…
ガキン、と刀が叩き折られる。驚愕に一瞬…ほんの一瞬の隙を付かれ、鈍い衝撃が脳を揺らした。踵を思いきりこめかみに撃ち込まれたと気付いたのは意識を飛ばす直前だった…
くるりと視線を高杉に戻すと側に金髪の女が立っていた。此方に向けられているのは刀ではなく…2つの銃。飛び道具に目を細めた雫は躊躇わずに突っ込んで行く。
「・・・くっ!!」
それはまさしく獣だった。全身から濃厚な殺気を放ち、赤に塗れながら笑う姿は狂気を含みながらも…美しかった。
銃弾をかわし、刀を向ける女から距離をとりながら急所を狙うが一向に当たらない…遠距離に強い銃はしかし、近距離には向かないのだ。
『・・・悪ィな』
「!!か、はぁっ…」
項を強かに叩かれて視界が歪む。先に倒れた万斎の背中を最後に、また子は意識を失った…
『優秀な部下じゃねェか…』
「ククク…相変わらず甘ェな」
『うるせぇ、女は殺さねェ主義なんだよ』
「なら万斎は?」
『・・・』
「クククッ…」 血で汚れた黒髪を掴み、引き寄せる。抵抗なく腕に飛び込んで来た小さな体を抱き締め、貪るように口付けをした。躊躇いなく背中に回された腕に僅かに口を歪める。
「…ッ」
ピリッとした痛みに唇を離す。雫の濡れた唇が赤く染まっていた。唇を拭う事なく雫は笑みを浮かべた。
『せっかくだ…遊ぼうぜ、晋助』
カチャリと刀が構えられた。赤が酸化し始めて黒ずんだ鉄からは妖気さえ感じる。高杉も刀を抜き、曇り一つない白刃を雫に向けた。
「良いぜ…遊んでやるよ」
殺意が絡み合い、金属が悲鳴を上げた。邪魔する者など居ない舞台で二匹の獣が踊り狂う・・・刀を交えながら笑みを浮かべる2人はまるで戯れる幼子のようで。
『楽しいなァ…晋助』
「…そうだなァ」
『俺は戦場が好きだった…』
ズラに聞かれたら殴られそうだがなァと笑みを深くした雫に高杉は何も答えない。
『あん時は辰馬も居て…4人で馬鹿ばっかりやってた』
『いっつも4人で居たのにな…』
―――今はみぃんな、バラバラだ…
血に酔った瞳が僅かに色を変え、細められる。お互い僅かな傷を作りながらも殺意が衰える事はない。
『先生が止めるまで喧嘩してたもんなァお前ら…』
―――――もう、止める人はいない…
『楽しいなァ…晋助』
「そうだな…」
『悲しいなァ晋助…』
『…寂しい、なぁ』
ポツリと呟かれた言葉と共に雫が1つ、落ちた。高杉は何も答えない。お互い一歩も退かずに刀を振るう。部下を叩きのめした筈のサツキにも疲労の色は見えない。
『――――ッ!?』
しかし、体力より刀の方が限界を迎えた。パキンと儚い音を立てて散った刀の破片を思わず見つめたサツキの脇腹を鉄が貫通する。壮絶な痛みに絶叫せんと開かれた唇を塞がれ、鉄臭い舌に絡め取られた。
「もう壊すしかねェんだよ…この世界は」
『…しん、すけ』
「まァた遊んでやるよ…雫」
『ぐ、ぅっ!!』
勢いよく刀を抜かれ、痛みに呻いた唇に再び口付けられて突き飛ばされる。背後にある筈の柵は崩れ、小さな体は宙に放られた。
「――――雫っ!!」
飛び込んできた土方の腕に受け止められる。いつの間にか船は浮上しかけていた。高杉は変わらず笑みを浮かべている。
―――――今度はちゃんと殺してやらァ…
これで何度めの台詞だろうか…いつも通り、雫も笑みを浮かべて言葉をつむいだ。
『一緒に地獄に堕ちようや…晋助』
愛していながらも一緒には居られない・・・お互い刀を向け合いながらも殺せない…殺さない。
――――この世の地獄とあの世の地獄・・・共に堕ちるのなら、天国だろう?
哀苦しい
…嗚呼、なんて愛狂しい
愛してるから殺したい、殺せない
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